『The Pictorial Key to the Tarot』を解読しながら訳していく Vol.18

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『The Pictorial Key to the Tarot』を解読・翻訳するシリーズ第18回のアイキャッチ画像。タロットの歴史や解釈を深掘りする内容を示す視覚的な要素を含む。

この記事での『神秘学』における訳や解釈は、現在の解釈とはやや異なります。細かな点にはなりますが、研究過程の一部分として敢えて修正せずに残しています。その変遷も含め、温かく見守っていただけたら幸いです。

はい、こんにちは。

前回は、アーサー・エドワード・ウェイト著である、この『The Pictorial Key to the Tarot』の構成について書かれた一文でした。

たった今は、まだ序盤も序盤の〝Reface(序文)〟という章を訳していますが、この序文の後に出てくる内容を説明していたのですね。

序文の後は、三部に分かれた小論があり、その第一部ではタロットの歴史的な背景や、それに紐づくこと、またそこから生じる事柄についてなんかを扱っているよ、ということでした。

私自身、タロットの歴史を年表にまとめたことがありまして、多少は知っている、知らない人よりかは知っている、というくらいであれば知っているのですが、ウェイトがタロットのどのような歴史を語るのかが楽しみです。

今回で、15/18個目なので、あと3つ。。。

頑張りましょう!!

今回の一文 ウェイトの批判|フランスの神秘学派が生んだ50年の幻想とは?

では今回の一文です。

とても長いです。

It should be understood that it is not put forward as a contribution to the history of playing cards, about which I know and care nothing ; it is a consideration dedicated and addressed to a certain school of occultism, more especially in France, as to the source and centre of all the phantasmagoria which has entered into expression during the last fifty years under the pretence of considering Tarot cards historically.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

一度、このように3つに分けます。

〝It should be understood that it is not put forward as a contribution to the history of playing cards, about which I know and care nothing ;〟

〝it is a consideration dedicated and addressed to a certain school of occultism, more especially in France,〟

〝as to the source and centre of all the phantasmagoria which has entered into expression during the last fifty years under the pretence of considering Tarot cards historically.〟

ここから、また細分化していきますね。

また先にお伝えしておこうと思うのですが、3つ目の文の〝centre〟と〝pretence〟という単語は昔のイギリス英語の表記だそうで、念のため、現代であれば、、、と言いますかアメリカ英語の方も載せておきます。

  • centre → center
  • pretence → pretense

多分今後も、このようなことは多々あると思うのですが、もしかしたらそのままスルーしてしまっていることもあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。

では参りましょう。

「この小論がトランプの歴史への貢献ではない」と明言

はい、ではIt should be understood that it is not put forward as a contribution to the history of playing cards, about which I know and care nothing ;〟なんですが、やはりかなり長いので、カンマ(,)のところで前半後半に分けます。

【前半】トランプの歴史への貢献ではないと強調

はい、では前から順にやっていきましょう。

It should be understood that it is not put forward as a contribution to the history of playing cards,

〝It should be understood〟「それは理解されるべきだ」という意味ですね。

「知っておくべきだ」「知っていて当然だ」というニュアンスがあるみたいです。

〝understood〟は私の好きな受動態で、原型の〝understand(理解する)〟が受け身の状態になります。

続く〝that〟以降に、「理解されるべき」ことが述べられているわけなんですが、何が出てくるのでしょう?

はい、では〝is not put forward〟ですが〝put forward〟「提案する」「提示する」というような意味があります。

前々回あたりに〝put〟について少し触れましたが〝put〟には「(公に)述べる」という意味もありますから、+〝forward(正面/前面)〟で「意見を前に出す」みたいな感じになり「提案する」という形になるんですね。

このように、成り立ちを考えるのってけっこう面白いです。

ですが〝is not〟とありますので「提案しない、、、」ということになるのでしょうか。

ちょっと先を見ないとわかりづらいです。

先へ進みましょう。

〝as a contribution to the history of playing cards,〟ですが、一見長く見えますが、そんなに難しくはなさそうです。

〝contribution〟「貢献」「寄与」というような意味で、「トランプの歴史への貢献として」というようなことを言っているかと思います。

「トランプ?急に何の話?」という感じがしますが、一度まとめてみましょう。

〝It should be understood that it is not put forward as a contribution to the history of playing cards,〟

それは、トランプの歴史への貢献として提示されるべきものではないということを理解されるべきである。

というような感じでしょうか。

〝It(それは)〟とありますが、前回くらいから、ウェイトは、この本の内容についての話をしていて、恐らくこの〝It〟が指すものは前回に出てきた『三部構成』のことを指していると思います。

この『The Pictorial Key to the Tarot』がトランプの歴史に貢献するものではない、ということだと思うのですが、当時はタロットとトランプは同じような扱いだったということなのでしょうか?

はい、それはですね、以前にも何処かでお伝えしたと思うのですが、元々タロットは、占いをするための道具なんかではなかったんですね。

元々は、トランプと同じようなカードゲームだったんです。

ですから、このようなことを言い始めたのかな?という気がするのですが、どうでしょう。。。

ちなみになんですが、私も、タロットは占いのための道具だとは思っておりません。

では後半も見ていきましょう。

先が気になります。

【後半】ウェイトのトランプに対する立場

about which I know and care nothing ;〟ですね。

そんなに難しくはなさそうですね。

〝about which〟「それ(トランプの歴史)について」ですね。

続く〝I know and care nothing〟なのですが、こちらは〝know(知っている)〟〝care(気にかける)〟2つの動詞が〝and〟で繋がれているので、どちらの動詞にも〝nothing(何も~ない)〟が適用されるのだそうです。

ですので「私は知らないし、関心もない」というような意味になります。

私はこのルールを知らなかったので、ちょっと手こずってしまいました。

ここでの訳をまとめると、「トランプの歴史について、私は何も知りませんし、関心すらありません。」といった意味になるかと思います。

では全文もまとめてみましょうか。

〝It should be understood that it is not put forward as a contribution to the history of playing cards, about which I know and care nothing ;〟

これは、トランプの歴史に貢献するものとして提示されたわけではないということは理解されるべきであろう。それについては私は何も知りませんし、関心すらありません。

という感じですが、いかがでしょうか。

ウェイトの「誤解しないでもらいたい!!」というような強い意志が感じられますね。

まぁ、そんな風に言わなきゃいけないくらい、周りが、、、ということだったのでしょうか。

きっと、この頃の、タロットが置かれている状況よりは、今の方がまだ、幾分ましなのかな?と思いますが、結局いつの時代であっても「扱っている人が扱っている人ならば、、、」という点は変わらないんでしょうね。。。

では次に進みましょう。

フランス神秘学派への考察|捧げられた小論に込められた意図

it is a consideration dedicated and addressed to a certain school of occultism, more especially in France,

こちらはこのまま前からやっていきます。

〝it is a consideration〟とありますが、〝consideration〟には多くの意味があります。

「考察(熟考)/検討」「配慮/思いやり」「報酬/対価」などなど。

本当に意味そのものが違うので、使い方が少し難しそうです。

まぁ、ですが恐らく、このウェイトの文章的に言うと「考察」とかが良さそうですかね。

ということで〝it is a consideration〟「それは1つの考察です」というような意味になります。

次に〝dedicated and addressed to〟ですが、〝dedicated〟には「捧げられた/専門化された」というような意味があり、特定の対象に向けて使われるような単語だそうです。

また〝addressed〟「対象とする/~に向けられた」という意味だそうで、「特定の人や集団を意識して書かれた」というニュアンスがあるそうです。

個人的には「アドレス(address)=住所」みたいな感じの意味が出てくるのだろうと思っていたのですが、なんとなく似ていますかね?

そうでもないか。。。

ということで「捧げられて、向けられている」というような、少し変わった日本語になるかと思います。

では何に対して捧げているのかを見ていきましょう。

はい、では〝a certain school of occultism〟ですが、〝a certain〟「特定の」「多少の/ある程度の」というような意味になります。

ですが、「たった1つの」というニュアンスではなく、「いろいろあるうちの1つ」というようなニュアンスだそうです。

そして続く〝school of occultism〟「神秘学派」というような意味で、前のものと合わせて「ある特定の神秘学派」というような意味になるかと思います。

自分で訳していて、意味がわかってきたとしても「特定の神秘学派?」と、実際にはそれが何を指すのかよくわかっていませんで、、、

翻訳している時のあるあるなんですけど、この訳した後に自分で自分に「何のことよ?それ。。。」と1人突っ込みをしている時なんかもけっこう面白くて、今であればこの「特定の神秘学派」が何なのかとかも、つい突き止めたくなってしまうんですね。

もしかしたら、特にこれといったものではないかも知れませんが、でももしかしたら何か特定の、それらしい何かが見つかるかも知れませんし、調べずにはいられなくなってしまうんですよね。

まぁでも、ウェイトのことですのできっと何かあるような気もします。

さぁ、先へ進みましょう♪

はい、ではここでの文章では最後の部分〝more especially in France,〟になりますが、〝especially〟「特に/とりわけ」といった意味がありまして、それの〝more〟ですから「より一層」とかだと雰囲気が出ますかね。

「フランスにおいてはより一層」みたいなことを言っています。

まとめられそうですかね。

〝it is a consideration dedicated and addressed to a certain school of occultism, more especially in France,〟

これはある特定の神秘学派に捧げ、向けた考察である、特にフランスにおいて。

直訳するとこのような形になると思うのですが、「捧げ、向けた」って、日本語としては少しおかしいですよね。

ですが、これまで、当サイトの記事をご覧になってくださっている方であれば、もしかしたらお気付きになられた方もいらっしゃるかも知れません。

はい、久しぶりですね。

ウェイトって、ウェイトが書く文章の特徴の1つとして、同じような意味の単語を続けることがあるんですよね。

私は『ウェイトマジック』と、そのように読んでいますが、私はこの「捧げる」「向けた」もまたそれだと思っていて、恐らくなんですが、これは完全に特定のある人物、もしくは団体、もしくは他の何かしらに向けられたものだと思うのです。

ふんわり読んでいると見逃してしまいそうですが、これまでにも同じような意味の単語を並べていたことがあって、最初は私もそれに「最初からもっと直に伝わる言葉があるんじゃない?」と思っていたんですね。

ですが、少し前から、ウェイトの文章には、表向きの一般的な意味に対し、もはや「わかる人だけわかればいい」とでも言わんばかりの、本当にわかる人じゃないとわからない、裏の意味が設定さえれていることに気が付きました。

ですから最初から強い、真っ直ぐに伝わってしまう言葉は、むしろ使ってはいけないんですよね、多分。。。

使ったら負けなんです。

「1人で変わったゲームしてるなー」と、私なんかはそう思ってしまうのですが、でもきっとそういうことだと思うんですね。

先のことはまだわかりませんが、今の段階ではその推測は当たらずとも遠からず、多分そのようだろうと考えております。

ですから、きっとこの「捧げる」も「向ける」も、敢えて微妙に遠回しな言い方をして濁していますが(いますよね?)、それなのに「主にフランス」だなんて、少し矛盾しているように感じられませんか?

「普通に限定してるじゃないか!!」という気がするんですね。

世界にはおよそ200の国があるというのに、そのうちの1つだけですよ!?

「主に」とは言っていますが、「それ、ほとんど確定でしょ!!」というような感じがしてしまいます。

それに、すごい細かいことを言うようですが、〝more especially〟も別に〝more〟はなくていいんですよね、本当は。

既に〝especially〟だけでも「特に!!」と協調できているんです。

でもやっぱり本当はフランスって断言している要素を含ませたいはずなので、なので、敢えてなくてもいい〝more〟を付け足して、また同じような意味を重ねて、「わかる人には気付いて!!」というようなニュアンスを込めているのではないでしょうか?

私はこれらのやや曖昧な文章は、ウェイトの意図的なものだと思っております。

この部分で使われている単語自体には、特別な意味(生命の木の用語だったり、キリスト教の何かだったり)や裏設定のようなものはないような気はしますが、なんとなくそんな風に思いました。

もちろん、ただの推測ですから、実際のところはわかりませんが、1つの捉え方として聞いてくだされば嬉しいです。

はい、では最後の文章に入ります。

50年前から続いた誤った解釈|幻想の源、中心となるものに迫る

最後は長いので〝as to the source and centre of all the phantasmagoria〟と〝which has entered into expression during the last fifty years under the pretence of considering Tarot cards historically.〟また前半後半に分けました。

【前半】幻想の源と中心|Phantasmagoriaへの言及

では、前半の〝as to the source and centre of all the phantasmagoria〟ですね。

あと少し、頑張りましょう。

〝as to〟「~に関して」「~について」というフレーズになりますが、これ「aboutじゃないの?」と思った方、いらっしゃいませんか?

簡単に〝about〟との違いを説明しますが、〝as to〟はややフォーマルで特定のテーマや対象に焦点を当てた言い方、〝about〟は広い範囲に使えややカジュアル、という使い分けだそうです。

恐らく、この後に続く〝the source and centre of all the phantasmagoria〟そのものを特定しているのだと思います。

そして、この〝the source and centre of all the phantasmagoria〟ですが、何とも不思議な響きですよね。

〝phantasmagoria〟は「マンタズマゴーリア」と読みます。

前から順に見ていきますが、〝source〟「源」「出所」「起源」なんていう意味ですね。

〝centre〟ですが、これはアメリカ英語で言うところの〝center(中心)〟と同じです

本場イギリスでは今も〝centre〟が普通に使われているそうで、どうして本家そっちのけで〝center〟の方が広まっている感じがするのでしょうか、不思議です。

ちなみに一見「セントル」と読みたくなりますが、読み方は「センター」に近いそうです。

はい、では次に〝phantasmagoria〟ですね。

私は何故かこの〝phantasmagoria〟と聞いて、マクゴナガル先生(ハリー・ポッター)を思い出してしまうんですけど、この〝phantasmagoria〟というのは18世紀頃の幻灯機という投影装置から生まれた言葉だそうで、「幻想的な」「幻影」「錯覚」「不気味な夢のような光景」といったような意味があるそうです。

18世紀風の幻灯機(Magic Lantern)の展示。円形のスクリーンに幻想的な映像が投影され、周囲はランタンの灯りに包まれている。『MATIC MAGICWEAR』と書かれたブースには、複数の光源が配置され、昔の映像技術の雰囲気を演出している。
18世紀頃の幻灯機を使った上映会、みたいなイメージです。

「目まぐるしく変わる幻想的なビジョン」「誤った認識による幻想」といったようなニュアンスを含むそうで、もうこれが何のことを言っているのかは、これまでこのシリーズを読んでくださっている方であればすぐにぴんと来ると思います。

「幻灯機」と聞いてぴんと来る方は、恐らく多くはないと思うのですが、「映写機」なんかと近いものだそうです。

ですが、もしかすると今時の方には「映写機」すら通じないかも知れませんね。。。

ということで、すごく大袈裟に言いますが、今で言うところのプロジェクションマッピングの超元祖!!とお伝えしましたら、イメージがしやすいでしょうか?

幻灯機そのものは〝Magic Lantern〟と言うそうで、その名の通り、光を使って幻想的な映像を投影する技術の初期状態だそうなんです。

今では、あらゆるものがPC1つで完結されてしまいますが、少し前のプラネタリウムなんかにも、これに似た機械を用いていましたよね。(ちなみに幻灯機そのものは映像を映し出すものだそうです)

現代の映写技術として進化した投影システム。巨大な望遠鏡を通じて、ドーム型の天井に惑星や星座、銀河が映し出されている。これは18世紀の幻灯機(Magic Lantern)から続く技術の発展を象徴しており、幻想的な宇宙空間を演出している。
実際のプラネタリウムにはもっと大きい投影機があった気がしますが、なんとなくイメージだけでもお伝えできれば^^

「プラネタリウムとか久しく行ってないなぁ~、行きたいな~☆彡」と思いました。

はい、ということでですね、全部出揃いました。

〝the source and centre of all the phantasmagoria〟

全ての幻想の源と中心

といった意味になるでしょうか。

毎度不思議なんですが、いえ、当たり前っちゃぁ当たり前なのかも知れませんが、英語って、日本語で同じことを言うよりも、割と短くなる傾向があると思うんです。

ですが、このように、「え?そんなに短いの?」と原文を見た長さからは想像もつかないような短さになると、なんだかすごい拍子抜けです。

まっ、何てことでもないのですが、余談でした。。。

では、次が最後の最後です。

いきましょう!!

【後半】50年に及ぶPhantasmagoria(幻想)|歴史的考察という名目により広まった誤った解釈

はい、では最後になります。

which has entered into expression during the last fifty years under the pretence of considering Tarot cards historically.

前から順に見ていきましょう。

〝which〟は1つ前に出てきた〝phantasmagoria(幻想)〟のことを指しています。

たった今思ったのですが、本来であれば取るに足らない、そのような人たちの吹聴を、よく〝phantasmagoria〟だなんて、なんて素敵な、綺麗な表現をしたんだろうと思ってしまいます。

私はですが、〝phantasmagoria〟と聞いて、マクゴナガル先生の他にも灯篭祭りのようなイメージが浮かんでくるんですね。

幻想的な夜空に浮かぶカラフルなランタンの群れ。月と星々に囲まれた空間には、リボン状の光が流れ、夢のような幻想的な雰囲気を演出している。ランタンは様々な形をしており、それぞれに繊細なデザインが施され、視覚的な魔法のような効果を生み出している。右下には『phantasmagoria』の文字があり、幻想の世界が広がる。
こんなイメージ。

とても幻想的なイメージが湧いてくるのですが、恐らくいつものウェイトであれば、そんなすんなり素敵な言い方をしているわけがない、、、と思ってしまうのです。

疑い過ぎかなぁとも思いますが、少し斜に構えた視点も持って、この先の文章を見ていきたいと思います。

はい、では〝which〟に続いて〝has entered into expression during the last fifty years〟です。

〝entererd〟は文字通り〝enter〟の過去形で、「入った」「参加した」というような意味になります。

PCを使う方であれば「あれ?決定じゃないの?」と思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、PCにおけるEnterキーと〝enter〟は別物なんですね。

そして〝into〟があるので「~に入り込んだ」というような意味になりますが、私自身、この訳であまりぴんと来ていませんので、ちょっと調整が必要そうです。

〝expression(表現)〟少し前にやりましたので飛ばします。

〝during〟「~の間に」「~にわたって」というような意味で、+〝the last fifty years〟とありますので、「過去50年間」というような解釈で良いと思います。

全部を繋げますと、「過去50年間にわたって、そのような現象が知れ渡ってしまった、、、」みたいなニュアンスになると思います。

情報が足りないのか、いまいち〝entered into〟が決まらない感じがあります。。。

先を見てみましょう。

〝under the pretence of considering Tarot cards historically.〟とありますが、〝pretence〟には「偽り」「見せ掛け」といったような意味があり、〝under the pretence〟「~の偽りの元に」というような意味になり、「~を装って」とか「~という名目で」というような感じになるかと思います。

なんだか面白そうな雰囲気です。

では続きです。

〝under the pretence of considering Tarot cards historically.〟に続きますのは、〝of considering Tarot cards historically.〟で、〝considering〟という単語は〝consider〟という単語が原型です。

意味は「何かを考える/判断する/考慮する」というような意味で、それが現在分詞形というものになり「考えている」「考慮している」というような意味になるそうです。

要は「タロットカードの歴史を考慮している」というようなことを言っているのですが、1つ前にやりましたよね?

これは装っているものにあたるものなんです。

ですから、「タロットカードを歴史的な視点で考察するように見せかけておいて、、、」というような感じなのですが、ちょっと攻撃的なのが面白いです、個人的に。

わぁ、全部終わりましたね!!

お疲れ様でした。

ではひとまずここでの文章だけを一度まとめます。

〝as to the source and centre of all the phantasmagoria which has entered into expression during the last fifty years under the pretence of considering Tarot cards historically.

過去50年間、タロットカードを歴史的に考察するという名目のもとで表現されるようになった、全ての現像と源の中心について。

というような感じになると思いますが、これだけ長い文章ですと、やはりちょっと日本語としての並びはおかしくなってしまいますね。

言っている意味はわからなくないのですが、「で?それで?どういう意味?」感が否めません。。。

では、まとめに入りましょう!!

まとめ&解説

では、改めて今回の一文をお見せします。

It should be understood that it is not put forward as a contribution to the history of playing cards, about which I know and care nothing ; it is a consideration dedicated and addressed to a certain school of occultism, more especially in France, as to the source and centre of all the phantasmagoria which has entered into expression during the last fifty years under the pretence of considering Tarot cards historically.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

そして、今回のこれまでの訳です。

これは、トランプの歴史に貢献するものとして提示されたわけではないということは理解されるべきであろう。それについては私は何も知りませんし、関心すらありません。
これはある特定の神秘学派に捧げ、向けた考察である、特にフランスにおいて。
過去50年間、タロットカードを歴史的に考察するという名目のもとで表現されるようになった、全ての現像と源の中心について。

また、こちらが前回の見解です。

この後に続く小論は三部構成となっており、第一部ではタロットの歴史的背景について論じ、それに紐づく、それらから生じるいくつかの事柄についても扱っています。

そして、本文の意味や、文の構造をなるべく壊さないように、割と忠実に訳したものがこちらです。

直訳風

これは、トランプの歴史に貢献するものとして提示されたわけではないということは理解されるべきであろう。それについては私は何も知らず、関心すらありません。
これらは特にフランスの、ある特定の神秘学派に捧げ、向けられた考察であり、過去50年もの間、タロットカードを歴史的に考察するというふりをしながら表現されてきた、全ての幻想の源と中心について。

ちょっとまだ文章としてはあんまりかも知れません。

また今回は道中に、割と踏み込んだ解釈ももうお伝えししまったので、なんとなくウェイトの言わんとしていることは伝わっていると思うのですが、今一度、当サイトの見解もまとめてみます。

タロットの世界の見解

これが、トランプの歴史に貢献するものとして提示されているわけではないということは当然理解されるべきことであろう。
私はそれについて何も知らないし、また関心もない。
この小論は、主にフランスのある特定の神秘学派に捧げ、向けられたものであり、過去50年という歳月の中で、タロットカードをさも歴史的な解釈をしているかのように見せかけてきた全ての幻と、またその核となる源に迫るものである。

はい、という感じです。

本文の意味をあまり壊さず、でもかなりわかりやすくなったんじゃないかな?と思います^^

割と道中にいろいろな説明を混ぜてしまったので、今ここで改めてお伝えしなくてはならないことは、特にない気がするのですが、、、少し、補足のようなものを付けさせてください。

まず、『これが、トランプの歴史に貢献するものとして提示されているわけではないということは当然理解されるべきことであろう。』なんですが、これは我々読者たちに向けられた言葉であると思うんですね。

タロットを単なるカードゲームの1種としてではなく、またカードゲームの歴史の一部として扱っているのではない、ということを強く主張している気がします。

しかもそれを「理解されて当然だ」というニュアンスを含んでいるんですね、恐らく。

「それくらい、わかるよね?」というような感じです。

そして、『私はそれについて何も知らないし、また関心もない。』はそのままで、最初からウェイトはタロットの象徴的な側面や、神秘的な面のことしか言っていません。

トランプなんか、どうでもいいんです。

ちなみに私はトランプも好きです。。。

あれ、聞いてない?

ま、いいか。。。

そして最後の部分ですが、この小論が捧げられたと言われている『主にフランスのある特定の神秘学派』についてですが、『過去50年』という部分を鑑みても、ウェイトのこの『The Pictorial Key to the Tarot』が出版されたのが1910年頃ですから、恐らくそこから50年遡った1860年頃のことを指しているのだと思うんです。

私はウェイト以外に、タロットで有名な人、という人をほとんど知りません。

「聞いたことある」というくらいであれば、それなりには知ってはいますが、そのような人たちが実際タロットにおいてどのようなことをした人なのかということはまったく知りません。

なので、その頃のフランスで、タロットに関する人で、有名な人がいないか調べてみたんですね。

すると、Eliphas Levi(エリファス・レヴィ)という人がいました。

さすがに私も名前くらいは聞いたことがあったのですが、いつ頃の人で、実際何をした人なのかということは何も知りませんでした。

ウェイトが『主にフランスのある特定の神秘学派』『過去50年という歳月の中で、タロットカードをさも歴史的な解釈をしているかのように見せかけてきた全ての幻と、またその核となる源』と言っているものが、果たして、直接的にエリファス・レヴィ(の思想と言っても良いかも知れません)のことなのか、さすがにまだそうだとは断言できません。

そのようなことを裏付ける記事とかを見付けることはできなかったのですが、ウェイトが、このエリファス・レヴィから影響を受けている可能性は非常に高そうですし、これらとまったく関係がないとは言えなさそうです。

タロットに詳しい方であれば必要ないものだと思いますが、私自身エリファス・レヴィについてほとんど知りませんし、また知らない方にとってはないよりはあった方が良いと、あって困るものでもないと思いますので、すごく簡単にですが、エリファス・レヴィについてまとめてみました。

エリファス・レヴィとは?

Eliphas Levi(エリファス・レヴィ)は19世紀のフランスの神秘思想家で、近代のオカルティズムの父とも呼ばれています。
エリファス・レヴィはタロットを単なる占いの道具としての価値だけではなく、神秘学的な象徴体系としての意味を確立するのに大きく貢献した人物だそうです。
エリファス・レヴィのタロットにおける重要な成果の1つに、『タロットの22枚の大アルカナにヘブライ文字22文字を対応させる』という解釈を提唱したというものがあります。
これにより、タロットは単なるカードではなく、カバラ(ユダヤ教の神秘思想)とも結び付きのある『深淵な知識の書』として扱われるようになったそうです。
実際には〝本〟ではありませんが、象徴や教えを通じて深い知識を伝えるような書物のような役割を果たし始めた、ということなんですね。
そして、その解釈はフランスの神秘学派に広がり大きな影響を与えたそうです。

私、エリファス・レヴィって女性だと思っていました。。。

そう感じられた方はいませんでしたか?

もし私と同じように、エリファス・レヴィと聞いて女性だ!!と思った方がいらっしゃいましたら、ぜひ1度エリファス・レヴィと検索してみてくださいね。

特に解説することがないと言ってしまったのですが、このエリファス・レヴィの簡単な説明に加え、ウェイトの序文との関係性も見ていきたいと思います。

やはり、ウェイトが言う『過去50年間の幻(phantasmagoria)』は、このようなフランスの神秘学派によるタロットの解釈のことを指している可能性が高いと思います。

繰り返しになりますが、ウェイトがこの序文を書いた(出版した)のが1910年頃なので、過去50年を遡ると1860年頃になります。

まさにこの時期はエリファス・レヴィがタロットとカバラの関係を提唱し、フランスの神秘学派に影響を与えていた時代だそうです。

ウェイトは、このエリファス・レヴィを筆頭に広まっていった『タロットカードをさも歴史的な解釈をしているかのように見せかけてきた全ての幻』に疑問を抱いていたことは言うまでもないと思います。

序文の中で、ウェイトは、タロットを純粋に、霊的な象徴として位置付けていることが伺えます。

それに対し(以前にもお伝えしたのことなのですが)ウェイトの視点(他にも多数いたそうですが)から見たフランスの神秘学派は、魔術や錬金術、数秘術の要素を過度に取り入れていると捉えられ、こうした行き過ぎた魔術的解釈の押し付けが本来のタロットの価値を歪めている、というようなことを道中ずっと述べていました。

また、序文の中では触れられていませんが、ウェイト=スミスタロットでは、エリファス・レヴィが起用したヘブライ文字のタロットへの対応を明示しないデザインにしていて、このことからも、ウェイトはフランスの神秘学派とは一線を引いていたとも考えられます。

これらを基に、ウェイトの序文にはフランス神秘学派への批判が込められていると考えられる、と考えられそうですが、しかしそれは単に否定するわけではなく、タロットをより純粋な霊的象徴(精神的な成長を象徴)として、不毛な議論に終止符を打とうとする流れの一部だったのではないかと、私にはそのように思えました。

エリファス・レヴィの他にも、同時期のフランスの神秘族では、Papus(パピュス)や Stanislas de Guaita(スタニスラス・ガイタ)という人も有名だそうです。

あまり手広くやりたい方ではありませんから、今回はエリファス・レヴィ1人に絞りましたが、きっとまたすぐにでもお会いするでしょう。。。

また、最後になりますが、言い方としては『幻想的』と、そ少し雰囲気のある表現をしていますが、もはやそのような良い意味での幻想ではないだろうという私の個人的な解釈から、ストレートに『幻』とさせていただきました。

なんとなく『幻想』だと、どうしても綺麗な感じがしてしまうんですよね、先ほどのイメージ画像のように。

ウェイトの視点で考えますと、きっとそのようではないだろうなぁと思いました。。。

ですので、ここはストレートに『幻』とした方が、少し批判的な雰囲気も出せるかなと思い、そうしました。

ウェイトは、一見否定しているようにも見えますが、恐らく使われている単語から言って、そこまででもない気がするんですね。

すごく簡潔にお伝えしますが、、、

ウェイトは、間違いなく自分で自分の小論をある特定のフランスの神秘学派に「捧げている」し「向けている」はずなんです。

ですが、ウェイトは、単語の意味としては「捧げられた」「向けられた」という少し曖昧さを感じさせる言い方をしていて、微妙に「自分がやっているわけじゃないよ」というようなニュアンスを残しているような気がするんですね。

あっているかわかりませんが、「ウェイトがしている」のではなく「小論がさせられている」みたいな言い回しなんです。

すごい細かい部分なのですが、、、

ですから、単なる否定や、一方的な攻撃や批判ではなく、ウェイトが思うタロットを提唱する上で、この批判は通過点=せざるを得なかった、みたいな感じにも受け取れなくないかなと。。。

それが意図的なものなのかはわかりませんが、もしかしたら、本心ではがっつり「このインチキ野郎!!」とか「ふざけやがって!!」とは思っていたかも知れませんが(どちらかと言うと私は、きっとウェイトはそのように思っていたんじゃないかな?と思っていますが)、私が見る限りではそのようなことが、この一文からは伺えます。

実際、ウェイト=スミスタロットには同じくカバラが組み込まれていて、それの大元がエリファス・レヴィであるなら、完全に否定はできないはずなんですよね、気に入らないところはあるのかも知れませんが。。。

はい、では以上となります。

随分と長くなってしまいました、、、満身創痍です。。。

タロットがより楽しいものとなりましたら幸いです。

序文も残すところあと3回になりましたが、序文を終えたら一旦違うことをやりたい気がしてきました。。。

どうしましょうかね^^

ではまた次回。

最後まで見てくださたった方、ありがとうございました。

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