『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』を解読しながら訳していく Vol.35

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『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』解読・翻訳シリーズ第35回のアイキャッチ画像。ウェイト=スミスタロットを徹底追究し、表面的な解釈を超え、より魅力的なタロットの世界へ!!

こんにちは。

ご覧いただきありがとうございます。

まずは、前回の内容を簡単に振り返りたいと思います。

前回の一文では、コート・ド・ジェブラン著『原始の世界』に描かれたイラストが、エッテイヤのカードやマルセイユタロット、そして1909年当時に流通していたフランスのその他のものは異なるということが語られていました。

今思い出したのですが……〝Court de Gebelin〟という名前そのものの記載はありましたが、『原始の世界』という書物については、私がAIとのセッションを経て得た情報です。(お伝えするのを忘れていました)

なんと、『インターネットアーカイブ』というサイトでは、その実物を見ることができます。

実際に描かれているイラストと、マルセイユタロット、念のためヴィスコンティタロットを比較した画像なんかも掲載しました。

しかし、ウェイトが「異なる」と述べた内容については、具体的に何が異なるのかということには一切触れられていませんでした。

そこで、「異なる」という表現が一体何を指しているのかというところにも着目し、様々な視点から考察を加えていきました。

残念なことに、明確な答えを得ることはできませんでした。

また、調査の過程で得られる発見したことの〝喜び〟と、謎が深まることによって生じる〝空しさ〟のような感覚が、一度に押し寄せてきたような回でもありました。

まだしばらく、このテーマが続きそうですが、果たして、どのような結末を迎えるのでしょうか。

では早速、見ていきましょう。

よろしくお願いいたします。

今回の一文:〝事実〟として語る仮説――それでも語り続けるウェイトの真意とは?

今回の一文です。

I am not a good judge in such matters, but the fact that every one of the Trumps Major might have answered for watermark purposes is shewn by the cases which I have quoted and by one most remarkable example of the Ace of Cups.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

こちらを、前半と後半の2つに分けていきたいと思います。

〝I am not a good judge in such matters〟

〝but the fact that every one of the Trumps Major might have answered for watermark purposes is shewn by the cases which I have quoted and by one most remarkable example of the Ace of Cups〟

本文をそのまま引用しています。

字数のバランスが少しおかしく思われるかも知れませんが、文の意味としては適切な分け方だと思います。

また〝shewn〟は〝shown〟の古い綴りで、現在ではほとんど使われない語だそうです。

意味としては同じ(見せられた/示された)です。

では宜しければ、ぜひ最後までご覧ください。

判断を控える――その理由

では、前半のI am not a good judge in such mattersを見ていきたいと思います。

文も短いので、このまま進めていきましょう。

まずは、〝I am not a good judge〟ですが、こちらは「私は良い判断者ではない」という意味です。

そして〝in such matters〟ですが、こちらは「このような(そのような)事柄において」というような意味になります。

〝matters〟には、「問題」とか「事柄」という意味があります。

洋楽なんかでもよく耳にしますよね。

お気付きの方もいらっしゃるかも知れませんが、この前半の文章は、『よく使われるフレーズ』だそうで、ややフォーマルな場なんかでは、謙虚さや配慮を示す言葉として定着しているそうです。

これまでの、ウェイト自身の主張に対し、そのような控えめな姿勢を取っているのでしょうか。

それとも、これから語られる何かに対して、布石のようなものを置いているのでしょうか。

……気になるところです。

いずれにしても、普段あまり見られないので、ウェイトが控えめという時点で、思わず警戒してしまいますね。(笑)

では、一度まとめてみましょう。

〝I am not a good judge in such matters〟

私はそのような事柄において、良い判断者ではない

はい、このような感じになるかと思います。

これまでの経緯がありますので、これが、本当にウェイトの謙虚な気持ちからくるものなのか、それともいつものような皮肉が込められたものなのか、ちょっとまだ判断が難しい気がします。

また、全体の訳を見てから考えましょう。

では、次に進みます。

事実ではない〝事実〟――カップのエースに何を語るのか

次は、but the fact that every one of the Trumps Major might have answered for watermark purposes is shewn by the cases which I have quoted and by one most remarkable example of the Ace of Cupsです。

こちらは、わからない単語が多いので確認していきます。

Trumps Major → タロットの大アルカナ(※注)

answered → 答えた、応じた

shewn → 見せられた、示された

cases → ケース、事例

quoted → 引用した

remarkable → 注目すべき、顕著な

※これらはほんの一例です。

【※注】〝Trump Major〟についてですが――いつもお伝えしていることになりますが、ウェイトは、この『The Pictorial Key to the Tarot』の冒頭=表紙をめくってすぐのタイトルページにWith 78 plates, illustrating the Greater and Lesser Arcana, from designs by Pamela Colman Smith.と明記しています。

これを見る限り、ウェイトは、自身のタロットにおいて、大アルカナを〝Greater〟、小アルカナを〝Lesser〟と呼んでいることが伺えます。(断言はできないのですが恐らく……)

ですので、ここで言う〝Trumps major〟が、ウェイト=スミスタロットの大アルカナを直接的に示すかどうかは、少し慎重に見極める必要があると思います。

ということで、少しずつ見ていきたいと思います。

まずは〝but the fact that every one of the Trumps Major 〟ですが、こちらは「しかし、大アルカナの全てのカード1枚1枚が~であるという真実」というような意味になると思います。

この〝every one〟と離れたものを使っているのが、カード1枚1枚を大事にしている感じがして、とてもウェイトらしいなという気がします。

また、〝fact〟を使うと、「これが真実だ!」というような、かなり強調した文になると思うのですが、ウェイトの中で、何か確信していることを伝えたいのかも知れません。

ですが、あくまでも『ウェイトにとっての真実』ということは、忘れてはいけないところだと思います。

では次に、〝might have answered for watermark purposes〟ですが、こちらは「透かし目的として答えるかも知れない」というような意味です。

この「答える」には、日本語の「応える」のようなニュアンスがあると思います。

1つ前のものと合わせて「しかし、大アルカナの全てのカード1枚1枚が、透かし目的として答えるかも知れないであるという真実」という感じになると思います。

恐らくですが、カード1枚1枚に物理的な〝透かし〟が施されているという意味ではなく、「カード1枚1枚が(アルビジョワ派の)〝透かし〟と同じような機能を持っているかも知れない」というようなことを言いたいのかなと思います。

……あれ?

ですが、少し変ですね。

以前、何処かで扱いましたが、〝might〟は「~かも知れない」という意味を持つ単語の中でも、「可能性が低い」「ほとんど確信はない」というニュアンスがあったと思います。

それなのに〝fact(事実)〟という強い言葉を使っているのは、かなり違和感があります。

「~かも知れない」ということを「事実!!」と断言するのは、だいぶ説得力には欠ける気がするのですが……。

もしこれを、ネイティブの方が読んだらどう感じるのでしょうか。

ここは、ちょっと考えどころですね。

続いて、〝is shewn by the cases which I have quoted〟ですが、こちらは「私が引用した(その)事例により示されている」というような意味で、この〝事例〟というのは、これまでに挙げられてきたウェイトの考察(アルビジョワ派の透かしとタロットが関係しているという)を指していると考えて差し支えないと思います。

そして〝and by one most remarkable example of the Ace of Cups〟ですが、こちらは「そして、〝カップのエース〟における特に注目すべき例によって」というような意味だと思います。

一度まとめてみましょう。

〝but the fact that every one of the Trumps Major might have answered for watermark purposes is shewn by the cases which I have quoted and by one most remarkable example of the Ace of Cups〟

しかし、大アルカナの全てのカード1枚1枚が、透かし目的として答えるかも知れないであるという真実は、私が引用した(その)事例と〝カップのエース〟における特に注目すべき例によって示されている

というような感じでしょうか……。

「〝カップのエース〟なんて出てきた?」と思ったのですが、そう言えば、『The Pictorial Key to the Tarot』の中でも数少ない挿絵(カードのイラスト以外の)が、次のページに載っていたことを思い出しました。

Arthur Edward Waite著『The Pictorial Key to the Tarot』に掲載されたマルセイユタロットのカップのエース。
『The Pictorial Key to the Tarot』【PART1】p.10

恐らく、この後〝カップのエース〟について何らかの語りが始まるのではないでしょうか。

また、これから語られる『カップのエース』の挿絵は、ウェイト=スミスタロットのものではなく、マルセイユタロットのカップのエースなので、やはりここのでの〝Trump Major〟は、ウェイト=スミスタロットの大アルカナではなく、主にマルセイユタロットのことを指していると見て良さそうです。

(左)ニコラ・コンヴェル版のマルセイユタロット(右)ウェイト=スミスタロット。カップのエースが並んだタロットカードの比較画像。
カップのエース
(左:マルセイユタロット/右:ウェイト=スミス)

ねっ?

挿絵は、ウェイトが手描きしたものなのかはわかりませんが、まったく同じ絵柄ですよね。

何が語られるのか、早く先が知りたいです。

では、『まとめ』に入りましょう。

まとめ|結論・解説・考察

お疲れさまでした。

では、改めて今回の一文をご紹介します。

I am not a good judge in such matters, but the fact that every one of the Trumps Major might have answered for watermark purposes is shewn by the cases which I have quoted and by one most remarkable example of the Ace of Cups.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

そして、今回のこれまでの訳です。(多少不自然でも文の構造を優先しています)

→ 私はそのような事柄において、良い判断者ではない

→ しかし、大アルカナの全てのカード1枚1枚が、透かし目的として答えるかも知れないであるという真実は、私が引用した(その)事例と〝カップのエース〟における特に注目すべき例によって示されている

また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、改めて前回の結論もお伝えしておきます。

その図版は非常に素朴であり、素朴であるが故に、エッテイヤのカード、マルセイユタロット、また現在フランスで流通している他のものとも異なります。

最後に、本文の内容をより忠実に整えた(当サイト比)訳がこちらです。

私は、このような事柄において適切な判断を下せる者ではありませんが、大アルカナの全てのカード1枚1枚が〝透かし〟として機能していたかも知れないという事実は、私が引用した先の事例、並びに〝カップのエース〟に見られる、非常に際立った例によって示されています。

はい、このような形に整えてみましたが、いかがでしょうか。

「判断ができない」と言いつつも、仮定のことを「事実」と言う語りには、ウェイト自身が、その主張を事実以上に強く推し勧めたいというような意図が感じられると思いました。

ですので、若干ぎこちなくなるのは承知の上で、敢えて、〝might〟と言いながらも〝fact〟とするニュアンスを取り入れました。

今回の内容は、「それほど解説を添えなくても伝わっていそうだな」と感じたので、今回は、これまでにウェイトが引用したと語る〝事例〟を少し整理しみてたいと思います。

また、今回の一文を読んで思った、私の率直な意見(感想?)なんかもお話しできればなと思います。

宜しければ、ぜひ最後までお付き合いください。

解説・考察

では、まず最初に、これまでに、ウェイトが主張してきた、いくつかの〝事例〟をまとめました。

ウェイトの主張

  • タロットの起源はアルビジョワ派にある
    …という可能性があるにも関わらず誰も語ってこなかった
  • 〝教皇〟ないし〝司祭〟のカードには、アルビジョワ派の〝透かし〟に秘められた謎を解く鍵がある
    …かも知れない
  • 〝女司祭〟のカードは、アルビジョワ派そのものを表す
    …と想像してみてください
  • 〝塔〟のカードは、教皇と教皇が持つ世俗的な権力を引きずり下ろされたかのような様子を描いている
    …と想像してみてください

大まかになりますが、これらが、ウェイトが「~かも知れないという事実」として掲げ、〝事例(cases)〟として「引用した」ものだと考えられると思います。

少し棘のある言い方に聞こえるかも知れませんが、私が、敢えてこのような言い方を選んだのは、この「引用した(quoted」という言葉も、何処か信憑性に欠けるなぁと思ったからです。

と言いますのも、物凄い細かい点かも知れませんが、普通「引用」と聞けば、多くの方は「何処かから持ってきた情報=自分から発したものではない」という認識を持つのではないでしょうか。

きっと、多くの方がそのような認識を持つと思うのですが……となると、ウェイトのこの〝quoted〟という言葉の選択には、少し慎重さを要する気がします。

それは、いずれの事例を発した時も、一言も「どこどこに書いてあった」などとは述べてはいないからです。

また、最初にウェイト自身が言っていたことですが、「これはまだ誰も語ったことがない可能性だ」とも自分で言っています。

もし仮に、「引用した」という語が、アルビジョワ派の透かしについて多く取り上げていた『A New Light on the Renaissance』だったり、マルセイユタロットを複写したものが多く掲載された『原始の世界』に向けられたものだとするのなら、まだわかるのですが――もしそうだとすると、「大アルカナ全てのカード1枚1枚」と言っている語は、『原始の世界』だけを指していることになると思うので、〝cases〟と複数形にするのは少し違和感があります。

もし最初から、ウェイトがこの『カードの全ての1枚1枚』に対して「一括りではない」という意識でいたとするのなら、それは確かに〝cases〟と複数形になるのかも知れませんが……。

あぁ、もしかしたら後者なのかも知れませんね。

ですが一応、これらの考察は残しておきたいと思います。

私は適切な判断が下せるほど、英語に精通しているわけではありませんから。

……なんて、ウェイトの語り口を真似してみたり。(笑)

これまでの記事を読んでくださっている方であれば、既に伝わっていることかなと思うのですが、実際、ここ何回かの一文には、落ち度と思われる点が度々見受けられました。

そのどれもが、「〝真実〟とは言っていないよ」「そうかも知れないと言っているだけだよ」とも聞こえてきそうな、曖昧且つ、微妙な〝余地〟のようなものを残していて――個人的には、そこに〝誠実さ〟のようなものを感じられることはありませんでした。

元々、ウェイトに誠実さのようなものを求めていた気持ちはありませんが、これまでのウェイトの一文からするに、他者への批判めいた語りが多く含まれていたので(例えば「タロットの起源がエジプトにある」と主張する人たちに対してとか)、てっきり私は「あぁ、ならウェイトはそういうことをしない人なんだろうな」と思い込んでしまっていたみたいです。

正直、「どっちも変わらないじゃん。」という気持ちです。

確かにウェイトは、表面的な言葉の使い方だけを見れば、嘘をついているわけではないのかも知れません。

ですが、事実ではないとわかっていながらも、間違いなくそれを鵜呑みにする人がいるであろうことくらい想像できたはずなのに、それでもなお、真実かのように語るその様は、やはり、あまり美しくないなぁと感じてしまいます。

ある意味、「タロットの起源はエジプトにあり~」だなんて振り切っちゃっている方が、潔さは感じられる気がします。

もちろん、それも「良い」ことだとは思えませんが。

もしかしたら解釈として正しくないかも知れませんが、個人的には、当時の民衆(とは言え、ウェイトも同じ階級だったはずですが)をかなり軽んじているような発言にも捉えられました。

ウェイトの掲げた仮説が間違っているとも言い切れないですし、そんな起源であったって、それはそれで良いとは思うのですが、こうした語りが現在に至るまで、まるで〝正しいこと〟かのように語り継がれてしまうのは、個人的には、言葉の重みを改めて感じさせられる部分だなと思いました。

もしかしたら、そういうことが当たり前の時代だったのかも知れませんが、ちょっと残念な気持ちは否めません。

……珍しく感情を挟んでしまい、結果、ウェイトに対する批判のようなものになってしまったかも知れないのですが。(決してそうしたかったわけではないのですが)

この文章を、載せるかどうかも少し悩んだのですが、恐らく、他のサイトではあまり触れられていない部分であったり、翻訳するだけではきっと分かり得ない部分でもあっただろうと思ったので、ぜひ知っておいてもらいたいなという気持ちで載せることにしました。

あくまで私個人の一意見ですので、ぜひみなさんはみなさんで、ご自身の中で感じられたことを大事にしてもらえたらいいなと思います。

今回はここまでです。

次回は、今回新たに挙げられた『カップのエース』についてのお話しになりそうですね。

では、また次回お会いしましょう。

今回も、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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