『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMPS MAJOR)』翻訳・解読【隠者】Vol.2
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こんにちは。
『タロットの世界』にお越しくださり、ありがとうございます。
寒いですね。
お元気でいらっしゃいますか?
最近、訳を進める中で「あっ、前も○○って言ってたな!」と、僅かながらもこれまでのことを振り返ることがあるのですが、その時に使われていた単語を思い出せず歯痒い思いをすることがあります。
と言いますのも、以前からお伝えしているように、ある単語を調べた際に出てくる日本語は、意外にも必ずしも正解というわけではないのですね。
ウェイトが使うような単語は、日本語的にもまだまだ幅が狭いと言いますか、的を捉えられていないと感じることが度々あります。
その瞬間は、それであっていると思いそのように訳しても、後々「あれ?この意味の単語少し前にも使われてたな?けど何ていう単語だったっけ?」と調べられないわけではないのですが、特定するのは困難で……どうしても腰が重たくなってしまいます。
なので、つい後回しにするのですが、そうすることによって、私の中に「じゃぁ、あの時の訳はちょっと違うニュアンスだったかも知れないよね?」という疑問が浮かび上がります。
しかし私は、そこに立ち戻り頭を抱えるよりも、今はこのまま突き進みたい気持ちがあります。ですので、ひとまずは今後道中迷ったとしても、『この§2を終えるまではひたすら突き進む』と決めました。
とは言え、そこまで大きく外しているとは思わないのですが、新年ですからね。『新年の抱負』として、これを掲げたいと思います。
では、「隠者」の第二弾を始めていきたいと思います。
前回の記事はこちら
もくじ
今回の文章:『タロット』を貶める占い的解釈への痛烈な断罪
今回扱う文章です。
These interpretations are comparable in every respect to the divinatory and fortune-telling meanings with which I shall have to deal in their turn.
The diabolism of both is that they are true after their own manner, but that they miss all the high things to which the Greater Arcana should be allocated.
It is as if a man who knows in his heart that all roads lead to the heights, and that God is at the great height of all, should choose the way of perdition or the way of folly as the path of his own attainment.
※原文にある改行時に用いられるハイフン(-)は省略しています。
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
また一文ずつ見ていきたいと思います。
では、よろしくお願いいたします。
一文目:伝統的な解釈を占いレベルと切り捨てるウェイト
最初は〝These interpretations are comparable in every respect to the divinatory and fortune-telling meanings with which I shall have to deal in their turn.〟です。
まずは単語等の確認から行っていきます。
・interpretations → 解釈
・comparable → 匹敵する、同等である
・in every respect → あらゆる点で、全面的に
・divinatory → 神託的な
・deal with → 扱う、取り上げる、対処する
※ここでは一般的なものを挙げています。
〝divination〟を取り上げた頃が懐かしいですね。もう随分と昔のことのように感じます。
その時にもお伝えしたことなのですが、今一度解説をさせてください。
〝divination〟を調べると「占い」と訳されるのが一般的かと思います。
ですが、私たちが思う一般的な占いは〝fortune-telling〟になると思っています。
そのため、私は〝divination〟を「占い」とは思えないとお伝えしていました(今回は〝divinatory〟が使われていますが)。
例えば、おみくじの結果やTVで流れる星占いランキング。個人的には翌日になれば忘れているようなことは〝fortune-telling〟に属すると思います。
だからこそ、〝divinatory(divination)〟をそれらと同じ「占い」と訳してしまうのは、やはり重み的なものが少し違うと思ってしまうのですね。
かと言って、試しに「神託」や「神託的な」とするのも、日本語として意味するのはまた別のものを指してしまう気がして、なかなか適切な語が思い付きません。
個人的には〝divination(divinatory)〟が示す「占い」は、〝fortune-telling〟より、もう少し重たいものというようなニュアンスを付け加えたいのですが…。
そうした経緯もあり、今回は敢えて〝fortune-telling〟を「占い」とはせず「おみくじ(のようなもの)」と、〝divinatory〟を「占い」と訳してみようかなと思います。
実際、海外に〝おみくじ〟があるかはわかりませんが、言葉の重みの違いを表現できればと思います。ご容赦ください。
では、参ります。
最初は〝These interpretations are comparable in every respect〟ですが、こちらは「これらの解釈は、あらゆる点において同等である」という意味です。
〝comparable〟を「匹敵する」とするか「同等である」とするか、若干意味が異なると思うので悩ましいです。
続いて〝to the divinatory and fortune-telling meanings〟ですが、こちらは「占いやおみくじ的な運勢診断の意味と」というような意味です。
そして〝with which I shall have to deal in their turn〟とありまして、こちらが「それ(占いの意味)と共に、それらの順番において私は取り扱わなければならなくなるだろう」というような感じかと思います。
かなり意味不明な日本語になっていますが、恐らくは「その時が来たら」とか、「後程」というようなニュアンスかと思います。
普通に「後で」と言う際にも、このようなわざわざ遠回しな表現をする必要があるのでしょうか…。
普通に〝after(後程)〟とか、百歩譲って〝later(遅れて)〟とかではだめだったのでしょうか。
と言いたいところなのですが、忘れてはいけません――わかる人にだけわかればいい――というのがウェイトの正装(スタイル)ですからね。
では、一度まとめてみたいと思います。
〝These interpretations are comparable in every respect to the divinatory and fortune-telling meanings with which I shall have to deal in their turn.〟
→ これらの解釈はあらゆる点において、占いとおみくじ的な運勢が持つ意味に匹敵し、それらと共に、私はそれらの順番において取り扱わなければならないだろう。
文の構造に寄せて訳すと、とんでもない日本語になりました。つまり究極の直訳です。
もう少しだけ、自然な日本語に寄せてみましょう。
これらの解釈は、あらゆる点において、後程私が(然るべき順序で)取り扱うことになる〝占い〟や〝おみくじ的な運勢診断 〟の持つ意味と同等である。
このような感じでしょうか。
「後で取り扱う」ということが、どのくらい後のことなのか現時点ではわかりません。
しかし、これまでに語られてきた「隠者」の解釈と、これから語るウェイト自身の何らかの解釈、これらが「占いやおみくじ的な解釈と同等である」――つまりは、結局いつも通り「表面的な解釈に過ぎない」というようなことを言っているわけで、もう少し踏み込んでみますと「そこには真のタロットというようなものはない」というようなことを言っているのだと思います。物凄い遠回しですが。
本来、ウェイトが自身の解釈を「表面的」などとそのように言うのは稀です。ですので、当然そこには何らかの含みや意図があるのだと思いますが、いずれにしても、当時一般的だった従来の解釈を切り捨てているのだと思います。
この一文物凄く難しくて、久しぶりに不貞腐れかけました。(笑)
では、次の文章に入りましょう。
二文目:強烈な比喩――〝diabolism〟に込められた攻撃性
二つ目の文章は〝The diabolism of both is that they are true after their own manner, but that they miss all the high things to which the Greater Arcana should be allocated.〟です。
わからない単語があまり多くないので、このまま読み進めます。
まず〝The diabolism of both is〟ですが、こちらは「両者の邪悪さ~です」といったような感じでしょうか。
個人的にはこの〝diabolism〟の原形ともなる〝diabolos(ディアボロス/ギリシャ語)〟が大好きなのですが、解説文として取り入れられていることには驚きを隠せません。
ひとまずは「邪悪さ」と訳しましたが、ディアボロスと言えば、ゲームなどの世界でもとても有名な悪魔的存在なのですね。それも〝最悪最強〟といったような異名を持つことも珍しくありません。

そのことからも〝diabolism〟は「悪魔主義」「悪魔崇拝」「悪魔信仰」というような訳が出てくるのですが、ウェイトはエリファス・レヴィやコート・ド・ジェブラン、そしてこれから語られるであろうウェイト自身の(恐らく表面的な)解釈に対し、更に畳みかけるような表現を用いているように見受けられます。
なかなか何かに対して「邪悪」とか「悪魔的」とか、そのような表現をすることってそうないと思います。
現代英語で使われることはほぼないそうですが、今的に言うと、かなり強烈な〝ディスり〟だそうです。
話を戻します。
続いて〝that they are true after their own manner〟ですが、こちらが「それらは、それら自身のやり方に従えば真実です」というような意味です。
つまり、「占いやおみくじ的なやり方では正しい」というようなことを主張していると思うので、続く文章はもうどんな内容が語られるか、なんとなく想像がつきますよね。
そして〝but that they miss all the high things〟とありますが、こちらが「しかし、それらは高次なる事柄の全てを見落としている(ということ)」というような意味になると思います(やっぱり笑)。
最後に〝to which the Greater Arcana should be allocated〟とありまして、こちらが「大アルカナに割り当てられるべきである」というような意味です。
〝to which〟は直前の〝all the high things〟を指していると思うので、特別訳す必要はないかと思います。
では、まとめます。
〝The diabolism of both is that they are true after their own manner, but that they miss all the high things to which the Greater Arcana should be allocated.〟
→ 両者の邪悪さは、それら自身のやり方に従えば真実ではあるが、それらは大アルカナに割り当てられるべき高次なる全ての事柄を見落としている。
このような内容になると思うのですが、なんとなくでも意味は伝わってきますよね。
要約すると、エリファス・レヴィやコート・ド・ジェブランの解釈と、後で語られるウェイト自身の何らかの解釈を「悪魔的」と称しているわけです。
そして、いわゆる占いやおみくじ的なルールに従って言えばそれは正しい(真実な)のだろうけど、根本的に本来大アルカナが象徴する崇高なる解釈を全然捉えられていない、という言い分だと思います。
単純に「誤り」や「間違い」とせず〝diabolism〟と用いていますが、ウェイトは何故後で語られる自身の解釈に対しても、この〝diabolism〟を適用させているのでしょうか?
本当は、そうした解釈を述べたくはなかったということなのでしょうか?
となると、後に語られる解釈は結局は表面的なものということになりますかね…。
表現に関する受け取り方は人それぞれだとは思うのですが、一方で、私もおみくじ的な解釈(例えば「○○のカードが出たら上手く行く」的な)はあまり好きではありません。
「もし、そうだったら嫌だなー」とは思うものの、進まないことには何もわかりませんので、どうかそうでないことを願って先へ進めてみましょう。
では、最後の文章を見ていきましょう。
三文目:正しい道を知りながらも愚行を選ぶ者とは
最後は〝It is as if a man who knows in his heart that all roads lead to the heights, and that God is at the great height of all, should choose the way of perdition or the way of folly as the path of his own attainment.〟になります。
少し長いですが頑張りましょう!!
また単語や熟語の確認から行いたいと思います。
・as if → まるで~であるかのように
・all roads lead to the heights → 全ての道は高みに通ずる
・choose → 選ぶ
・perdition → 永遠の破滅
・folly → 愚行、愚かさ
・attainment → 達成、到達
※ここでは代表的なものを挙げています。
日本では「choice(チョイス)する」という言い方をよく耳にすると思いますが、これは和製英語的なものだったのですね。
私は〝choice〟が「選ぶ」を意味するのだと思い込んでいましたが、本来は「既に選ばれた結果」を指すそうです。
つまり「choiceする」という日本語は英語的には間違いで、「選ぶ」ということを表現したいのであれば「chooseする」と言う方が正しかったのですね。
初めて〝choice〟と〝choose〟の違いを知りました。嬉しいです。
では、見ていきましょう。
まず〝It is as if a man〟ですが、こちらは「それはまるで一人の人間が」というような意味です。
〝man〟は「男性」を指すこともありますが、これまでの文脈からもウェイトは〝man〟を「人間」というような意味で使っていると思います。
次に〝who knows in his heart〟とありまして、こちら直訳ですと「その人自身の心で知っている」というような意味になるかと思います。
続いて〝that all roads lead to the heights〟ですが、こちらが「全ての道が高みに通ずる」という意味です。
そして〝and that God is at the great height of all〟ですが、こちらは「そして、神は全ての高みの中でも最も高みに位置する」というような意味でしょうか。
日本語としては少し不自然ですが、意味はわかりますよね。つまり、神はあらゆるものの頂点に位置するというような意味なのだと思います。
それから〝should choose the way of perdition〟とありまして、こちらが「破滅の道を選んでしまうようなものだ」というような意味になります。
ここでの〝should〟は「~すべき」という意味ではなく、「まるで〜するかのようだ」「そんなこと本来ありえないのに、あえてそうしてしまうようなものだ」というニュアンスになるそうです。
私はこの〝should〟の使い方を調べてみてもあまり理解できなかったのですが、正直ここは「もう、そういうものなんだ」として通り過ぎてしまおうと思います(すみません…悪しからず)。
また、〝perdition〟も〝diabolism〟同様にかなり強い言葉です。
宗教などの文脈で使われる語だそうなのですが、単なる「破滅」よりも遥かに重く〝魂レベルでの最悪な結末〟を意味するそうです。
ウェイトだからこその語彙という風に感じられますが、他にも「魂の滅び」「地獄堕ち」というようなことも意味するので、いずれにしても日常会話で使われることはまずないそうです。
更に〝or the way of folly〟とありまして、こちらは「あるいは愚行の道」という意味だと思います。
もう語られている単語の一つひとつが〝ウェイトらしい〟ですね。
最後は〝as the path of his own attainment〟ですが、こちらが「彼自身の到達の道として」というような意味でしょうか。
補足が必要な箇所が多かったのでわかりづらくなってしまったかも知れません。一度まとめてみましょう。
〝It is as if a man who knows in his heart that all roads lead to the heights, and that God is at the great height of all, should choose the way of perdition or the way of folly as the path of his own attainment.〟
→ それはまるで、全ての道が高みに通ずるということをその人自身の心で知っている一人の人間が、そして神が全ての高みの中でも最も高みに位置するということを(知っている一人の人間が)、彼自身の到達の道として、破滅の道や愚行の道を選んでしまうかのようである。
日本語としてはだいぶ不自然ですが、文法に忠実に訳すとこのような形になります。
私もなかなか上手くまとめられず、何度もAIとのやり取りを繰り返したのですが、まずはダイレクトな訳としてはこちらで問題ないと思います。
それを踏まえ、日本語として少し良い感じに整えます。
それはまるで、全ての道が高みに通じ、その上、神が全ての高みの頂点に位置することを心の底で知る者が、自らの到達の道として破滅の道や愚行の道を選んでしまうようなものだ。
このような感じでしょうか。
しかし、言っていることはわかるのですが、内容があまり理解できません(わかりますか?)。
そのことにつきましてはひとまずは後回しにして、一旦今回の『まとめ』に入りたいと思います。
まとめ
改めて、今回扱った文章をご紹介します。
These interpretations are comparable in every respect to the divinatory and fortune-telling meanings with which I shall have to deal in their turn.
Arthur Edward Waite
The diabolism of both is that they are true after their own manner, but that they miss all the high things to which the Greater Arcana should be allocated.
It is as if a man who knows in his heart that all roads lead to the heights, and that God is at the great height of all, should choose the way of perdition or the way of folly as the path of his own attainment.
『The Pictorial Key to the Tarot』より
また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、前回の結論もお伝えしておきます。
9、「隠者」、一般的にはそのような用語で呼ばれ、カードの順序では次に位置付けられる。彼は〝カプチン修道士〟とも呼ばれ、より哲学的な表現では〝賢者〟とされる。
彼は、カードの順序で先に位置する〝真理〟を、そして道中彼に先行した〝正義〟を探し求めていると言われる。
しかし、後に見られるように、これは探究のカードと言うより到達のカードである。
また、彼のランタンにはオカルトの光が宿り、彼の杖は魔法の杖であるとも言われている。
そして、今回のこれまでの訳です(多少不自然でも、なるべく原文に手を加えずダイレクトに訳したものになります)。
→ これらの解釈はあらゆる点において、神託的、そして占い的な意味に対して同等であり、私はそれらの順番が来た時に扱わなければならなくなるだろう。
→ 両者の邪悪さは、それら自身のやり方に従えば真実ではあるが、それらは大アルカナに割り当てられるべき高次なる全ての事柄を見落としている。
→ それはまるで、全ての道が高みに通じ、そして神が全ての高みの頂点に位置することを心の底で知る者が、自らの到達の道として破滅の道や愚行の道を選んでしまうようなものだ。
最後に、本文の内容をより忠実に整えた(当サイト比)訳がこちらです。
これらの解釈は、あらゆる点において、私が後程順を追って扱わなければならない〝占い〟や〝おみくじ〟といった類の意味と同等のものである。
両者の禍々しさは、それらのやり方においては真実ではあるが、それは本来大アルカナが象徴する高次なる全ての事象を見落としている点にある。
それはまるで、全ての道が高みに通じ、神こそが全ての頂点に位置することを心の底では知りながらも、敢えて自らの到達すべき道として破滅や愚行の道を選んでしまうようなものだ。
いかがでしょう?
なるべく本来の意味は損なわず、でも出来る限り自然な日本語になるように整えられたつもりです。
やはり〝diabolism〟を「邪悪さ」と訳すのは、あまりにも不自然だったので、ちょっと行き過ぎな気もするのですが、〝わかりやすい〟を優先して「禍々しさ」としてみました。個人的には〝diabolos〟らしさは出ているかと思います。
とは言え、今回取り扱った文章の全体的な意味(内容?)はわかりましたか?
最後に少しだけ解説を加えて、終わりにしたいと思います。
解説・考察
実は、こうして完成形の訳をお伝えしてはいますが、記事には記載していない失敗作がたくさんあるのです。
今回取り上げた文章は、訳すのも、意味を理解するのにも、かなり時間がかかってしまいました。
まったく正月気分を味わえませんでした。(笑)
なるべく日本語として自然なものに寄せられたとは思うものの、正直、三文目は私は何を言っているのかあまりよくわかりませんでした。
最後に補足として、私なりの〝わかりやすい〟に言い直して締め括りたいと思います。
敢えて強めの表現を用いようと思いますが、ご容赦ください。
……つまるところ、いつも通りなんです。
「何そんな低レベルなこと言ってるの?もっと高みを目指しなさいよ!」というようなことを言っているのだと思います。
一文目では、これまでの解釈(主にエリファス・レヴィとコート・ド・ジェブランの解釈)を切り捨てていました。
ですが、そこには何故かウェイト自身がこれから述べるであろう何らかの解釈に対しても同様にでした。
これには、2つのことが考えられると思います。
- 1つは本を売らなくてはならないため、多少でも初心者にも向けて、ウェイトも不本意ながら、そうした表面的な解釈を書かざるを得なかった。
→ だからこそ〝diabolism〟として、自分でも「汚らわしい!」といったような表現をし、そのような解釈は『真のタロット』ではないという念押し。 - もう1つは、要はウェイトが思う『真のタロット』の解釈ではないので、あくまでウェイトが記述する表面的な解釈と、これまでの解釈を同等に扱うことで、これまでの解釈の格を下げるという目的があったかも知れない、という可能性。
こんな風に思いました。
二文目は良さそうですよね。
そして肝心の三文目なのですが、こちら物凄ぉーーーく遠回しな皮肉だと気付いた方いらっしゃいましたか?
私自身「言っていることはわかるんだけど、何のために言っているの?」というような疑問が拭えず、ですが、自分の頭で導き出すのには限界が…ということで、AIとのセッションを重ねていました。
すると、このような解説でようやく腑に落とせましたので、共有させてください。
「本当の目的地(神・高み)を知っているのに、わざわざ破滅的な近道やバカげた解釈を選ぶなんて、正気の沙汰じゃないよ」と、彼らの姿勢を痛烈に皮肉っています。
「タロットは占い道具を超えた『聖なるもの』なのに、みんなそれを無視して安っぽい遊びに使っている」というウェイトの憤りが、この文章の正体です。
「なるほど!!」となれましたかね。
いわゆる『いつも通り』ですよね。(汗)
そして、今もその傾向はあまり変わっていませんよね。
いろいろ思うことはありますが、きっとこういうところが私にとってウェイトの好きなところなんだなと思います。
では、今回は以上となります。
最後まで見てくださり、ありがとうございました。
また次回(まだまだ「隠者」は続きます)。

