『The Pictorial Key to the Tarot』を解読しながら訳していく Vol.6

この記事は約 30 分で読めます。

『The Pictorial Key to the Tarot』を解読・翻訳するシリーズ第6回のアイキャッチ画像。タロットの歴史や解釈を深掘りする内容を示す視覚的な要素を含む。

はい、では続きをやっていきます。

ようやく、Reface(序文)の1ページ目の終わりです。

長かった。

ん?1週間くらいですか?

思えば、こうしてブログなんかにしなければ、さすがにもう少し早く進めそうな気もするんですが、それはそれできっと「後でいっか♪」なんて毎日のように後回しにして、気付けばタンスの奥、、、なんてことになりかねません。

決して、自分の思い描くスピードではないのですが、このくらいが丁度良いのかも知れませんね。

何と言うか、先が気になって急ぎたいのですが、でも急いだところで、なんですよね。

何せ、ほとんどの英語の意味がわかっていませんから。

よくやってます。

「自分で言うなよ。」という感じかも知れませんが、温かい気持ちでどうかスルーしてやってください。

というわけで今回も1つずつやっていきます。

よろしければ最後までお付き合いください。

今回の一文

今回の一文です。

〝Reface(序文)〟の最後の部分になります。

楽しみです。

Yet it is just this which may seem doubtful, in the present instance, not only to Mr. Smith, whom I respect within the proper measures of detachment, but to some of more real consequence, seeing that their dedications are mine.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

あの、みなさんお気付きになられました?

わからない方もいらっしゃるかも知れませんが、「長い!!」というのは言うまでもありませんが、この文章、2ページ目に突入しているんですよ。

私、訳しながら、リアルタイムでこうして書いていますので、そこまで先を読んでいないのですが、当然この1ページで一旦は区切り良く終わるんだと思っていました。

びっくりです。

というわけで知らずに2ページ目に突入してしまったわけなんですけども、これまた長い。

そして今回の一文は珍しく(?)読めず、単語の意味もわからないものが多かったです。

また硬そうな文ですね。。。(小声)

頑張りましょう!!

①『Yet it is just this which may seem doubtful, in the present instance, not only to Mr. Smith,』

やはりだいぶ長かったのと、それと読む方の負担も大きいかなと思ったので区切りの良さそうところ3つに分けました。

Yet it is just this which may seem doubtful,

Yet

いきなり「そうなの?」という感じだったのですが、この場合の〝yet〟は〝まだ〟とかそういう意味ではないそうです。

私は〝まだ〟という意味しか知りませんでした。

文章の冒頭や、接続詞として使われる場合は〝それにも関わらず〟〝しかしながら〟〝それでもなお〟というような意味になるそうで〝まだ〟の面影もありません。

またあまり文法的なことはわかりませんが、この一文のこの後の部分を強調させるために使われているんだとか。(対比とか逆説と言うそう。。。)

では、何が〝それにも関わらず〟なんでしょう。

it is just

こちらは後に続くものを「それこそがまさしく!!」みたいな風に言っています。

this which may seem doubtful

〝doubtful〟は、ご存じトランプのゲームにもある「ダウトーーー!!」と一緒です。

一見「ダウト+フル?超嘘じゃーん!!」ということかと思ったのですが、完全に〝フル〟違いでした。

私が最初に思ったフルは〝いっぱいの〟とか〝満ち足りた〟という意味の〝full〟

こちらは〝~の性質を持った〟とか〝~らしい(っぽい)〟という意味の〝ful〟

ですから「それってどうなの?」「なんか胡散臭くない?」というような〝疑わしい〟といった意味になります。

してやられました。

〝which〟〝seem〟なんかは、これまでにやったので飛ばします。

may

〝may〟は〝~かも知れない〟という意味ですが、またこちらも文法的なあれで申し訳ないのですが、「May I help you?」なんかに使われる〝許す〟みたいな意味もあります。

ここでは前者の意味を使いますが、前々回くらいにやった〝seem〟も〝~のように思える〟とかでしたから、〝~かも知れない〟も含むし、〝~のように思える〟も含むわけです。

いつもながら、何か含みを持たせているような気がしてなりません。

というわけで、いけそうですかね。

〝Yet it is just this which may seem doubtful,〟

→ 実に疑わしく思えるものなのかも知れない。

何か少し変ですね。

こちらは前回からも引き続き、周りから見た自分、みたいなことについて話してる最中だと思うので、ここは恐らく『実に疑わしく思っているだろう。』みたいな感じじゃないですかね。

いかがでしょうか?

ちょっと先へ進んでみましょう。

in the present instance, not only to Mr. Smith,

また出てきました、〝Mr. Smith〟

当サイトでは今のところですが、実はスミスさんは実在しない人物なんじゃないかなと考えております。

本当は世間一般、大衆に向けたメッセージなんですが、「お前らな!!」と頭ごなしに言っては聞き入れてもらえませんよね。

ですから、このスミス氏という架空の人物を使ってクッション剤の役割をさせているのだと考えます。

そうすることで、あたかも読んでる人が〝私とウェイト〟の直接的なやり取りではなく、あくまでも〝スミス氏とウェイト〟のやり取りのように見せることができ、それによって人を引き込みやすくしたるするのではないでしょうか?

意味わかりますかね。

勝手な妄想を続けますが、昔も今も、野次馬、ミーハー、他人の噂話、そういうことが好きな人は一定数います。

どうでしょう?

私(読者)とウェイトの直接的なやり取りより、スミス氏とウェイトのやり取りの方が、なんとなく受け入れられやすそうな雰囲気がありません?

「何々?あのオカルトオタクで神秘オタクのウェイトが今度はタロットだってかい?」

「まぁ~たタロットだなんて、ありゃカードゲームじゃないのかおぇ~?本当に変わったお人だよ~。」

「何々?そんなウェイトにぎゃーぎゃー吠え散らかしている、スミスさんなんて人がいるのかい?」

「おもしろそうだね!!どれ、ここはひとつ様子を見てみようじゃないか!!」

ねっ!!

なんだか、容易に想像できるじゃないですか?

ただし『今のところ』ですが。

もしかしたら全然、見当はずれかも知れません。

専門家の方、もし知っていましたら、優しく、そっと教えてください。

すみません、無駄、、、ではないと思うのですが、なんとなく楽しくなってしまいました。

なんとなく私にはこんな風に映っているんですよねぇ。

景色が浮かぶんです。

では各単語の意味に入りたいと思います。

in the present instance

これ酷いんですよ。

私、てっきり「プレゼントの中にinstanceが入っているんだ!?」と思いきや、やはりこういった文章では贈り物としての〝プレゼント〟ではなく、〝現在の〟とか〝今の〟という意味になるそうです。

たっはーーー!!

そんな意味もあったんですね。

段々と春なんですかね。

私の脳みそも春休み中、、、みたいです。

では次。

〝instance〟こちらは〝事例〟〝場合〟〝例〟など、特定のケースを指す場合なんかに使う言葉だそうです。

ですので、『今回の例では』みたいな意味になりますかね。

プレゼントだなんてとんでもないですね。

次行きます。

not only to Mr. Smith

こちら、簡単ですね!!

『スミスだけ!!ではない!!』という風に言っています。

しかしなんですが、意味はそれであっていると思うのですが、私「なんで〝to〟がいるのかな~?」と思ったんですね。

だって〝to〟がなくても意味としては同じに感じませんか?

ですからまた例によって調べたんです。

すると、こちらはスミス氏だけに断定(限定?)するのであれば〝to〟はなくとも通じるそうなんですが、肝心のこの後の文章にまだ続きがあって、そこにスミス氏の他にも、、、というような意味が含まれているそうなんですね。

もちろん私が日本人だからかも知れませんが、英語って複雑ですね!!

思っていたよりずっと細かい。

でも負けないぞ、頑張りますぞい!!

ということで、意外とあっさりと辿り着きましたね、半分くらい。

〝Yet it is just this which may seem doubtful, in the present instance, not only to Mr. Smith,〟

これらは『実に疑わしいだろう。今回のことに関しては、スミス氏だけでなく、、、』というような感じはないでしょうか?

早く続きを知りたいですね。

スミス氏じゃない人物が出てくるんですかね?

もうひと頑張りしますか^^

②『whom I respect within the proper measures of detachment, 』

私が始めた見た英語、及び何て読むのかわからない英語がこの後一気に集約しています。

まるで、倒しても倒しても出てくる何かのようです。

whom I respect within the proper measures of detachment,

whom

これです!!私初めて見ました、こんな英語。

調べると〝who〟の親戚みたいな感じなんですね。

なるほど!!

スミス氏の他に、、、という雰囲気を匂わせたのはこのためだったのですね。

I respect

〝I respect〟はそのままですね。

〝私が尊敬している〟または〝吾輩が一目置いている〟みたいな感じかも知れません。

勝手にウェイトを想像したら何故か夏目漱石が浮かんで〝吾輩〟が出てきました。

余談でした。

within

〝within〟はよく歌詞なんかでも出てきますよね?

ですよね?

おおまかにですが、どんな場合でも〝~の中で(に)〟という感じです。

ウェイトがリスペクトしているのは何なのでしょうか?

続く文章は、私はほとんどの単語の意味がわかりませんので1つずつやっていきます。

(the) proper

〝proper〟ってアパレル関係の仕事をしていた時によく使っていました。

〝定価〟という意味だと思って使っていましたがなんだか違いました。

ですがこれで困ったことはありませんでした。

ちゃんとした意味としましては〝適切な〟とか〝正式な〟〝厳格な〟そういった意味だそうです。

うん、まぁ定価でもそこまで外れてはいなかったですね。

measures

こちらは〝メジャーズ〟と読みますが、これ何のことかわかりますか?

あの、お裁縫なんかが得意な方はすぐにぴんと来るかも知れません。

あと建築とか?

はい、とういわけで、あの物を測ったりする時に使うメジャーの〝measure(s)〟

のことです。

私は日本人ですからね、いつも〝巻き尺〟って言ってました。

ここではその道具としてのメジャーではなく〝対策〟〝手段〟〝尺度〟〝基準〟〝単位〟〝寸法〟などなどといった意味を持ちます。

なるほど、この前の〝sense〟みたいに「言われれば!!」という感じですが、私なんかはきっとこれらの単語を聞かなければ一生測る方のメジャーだけで終わっていたと思います。

さて、とは言っても、また使い道が幅広いこと。。。

また似ている音としてマイナー、メジャーの〝major〟がありますが罠ですから引っ掛からないようにしてくださいね。

実は大アルカナのことを「major」と言ったりもします。

ですので引っ掛かった方もいらっしゃるかも知れません。

いないか。

確かウェイトは大アルカナのことを『greater』というような表現をしていた気がしますが、今後はどうなんでしょうね。

楽しみです。

続きまして、最後。

detachment

「ディテックメント、、、?」

珍しく読めない単語で出てきました。

こちら〝ディタッチメント〟ですね。

需要があるかはわかりませんが、恐らくウェイトの訳を書いていて、こんな読み方までいちいち書かれているサイトは他にないでしょう。(小声)

どうぞ広めてくださいね。

〝detachment〟こちらもまた少し用途が幅広いです。

  • 距離を置く/関与しないこと
  • 客観性/独立性
  • 物理的な分離

なかなか。

客観性と独立性なんて全然異なる意味の言葉な気がしますけどね、ふぅん。。。

そんなわけで、ここではどれにしましょう。。。

しかしやはり今回も一筋縄ではいかなそうです。

〝whom I respect within the proper measures of detachment,〟

→ 私は尊敬する適切な距離の手段

今のところですが、ここまでのものを日本語にしようとするとやっぱりおかしな日本語になります。

これまでの訳と合わせるとだいぶおかしいです。

『実に疑わしいだろう。今回のことに関して、スミス氏だけでなく、、、私は尊敬する適切な距離の手段、、、』

うーん、酷い。

このまま先も行ってみましょうかね。

頑張りましょう!!

③『but to some of more real consequence, seeing that their dedications are mine.』

半分ずつやっていきます。

but to some of more real consequence,

〝but(しかし)〟〝to(~に対して)〟〝some of(~の中のいくつかの)〟あたりは大丈夫そうですかね。

あ、念のため単語の後に()を使って一応それっぽい、いわゆる一般的と思われるような意味を添えましたが、それがこういった文章の中での意味として当てはまるかどうかは、また別ということを知っておいてくださいね。

なるべくなら、私もその文章で使われそうな意味を載せようと思いますが、その限りではないと思います。

consequence

こちら〝結果〟〝影響〟〝重要性〟〝影響力〟なんていうニュアンスを持った言葉だそうです。

出ましたニュアンス!!

そしてまたやはりラテン語です。

もうみなさんも音と雰囲気でおわかりいただけるのではないでしょうか?

元は〝consequentia(連続・結果)〟というラテン語で、更に遡ると〝consequi(追いかける、従う)〟というラテン語だそうです。

進化してきたんですね、consequence。

少し話が逸れますが、ウェイトはアメリカ生まれのイギリス育ちなんですが、それってどちらの人種、、、と言うと、ちょっと日本語的に表現が微妙ですが、要はイギリス人、アメリカ人、どちらなんでしょう?

ちなみにウェイト目線での話しです。

恐らく、一般的には、何処に移り変わり暮らしていたとしても、基本的には生まれた土地の人間、つまりこの例で言うのなら、ウェイトはアメリカ人ということになると思うのですが、昔こんな人もいたんですよ。

生まれも育ちもカナダなんですが、ご両親は日本人、という日本語はほとんどわからない見た目は日本人のカナダ人。

なんか面白くないですか?

私はそれを特に否定する気持ちもなく、かと言って「うん、そうだよね!!絶対そうだと思う!」みたいに賛同する気持ちもなく、ただただ「そうなんだ!!」という気持ちで聞いていましたが、そういった経験があったので、果たしてウェイトは自分のことを何人だと思っているのかなぁ?とふと疑問に湧きました。

また、お父さまが亡くなって、そしてイギリス人のお母さまだったからこそ、イギリスに移住したそうなのですが、何歳の頃にイギリスへ行ったのかは本人も明かしていない(単に覚えていないだけかも知れませんが)そうなんですね。

一応、神秘業界の中では「10歳になる前には、、、」と言われているそうなんですが、となると恐らくイギリス英語が主で、アメリカ英語も多かれ少なかれわかるのだと思いますが、こういったラテン語由来のもって、普通に英語として組み込まれていて、みなそれを普通に英語だと思って使っているんでしょうかね?

わからないからこそなのか、なんとなく私は「あ、これまたラテン語かな?」と思ったものには癖みたいなものがあると思っています。

あまり説得力がないかも知れませんが、基本的には私が「ん?」と思ったものをただの興味本位で調べています。

それと特徴的だなと思うところが、はっきりとした意味らしい意味がない、というとそうではないのかも知れませんが、なんとなくぼやけているんですよね。

全体的に〝~っぽい〟〝~のようなニュアンス〟という感じなんです。

あと全体的に神がかっているんですよね、音が(笑)

これすごいわかりづらいと思いますが、音が不思議なんです。

こういったことが自分の身なら、どんなことに置き換えられるだろうと少し考えてみたのですが、少し考えただけでは、私の頭では「日本人がミルクティーとかって、ない英語を(カタカナ)英語だと思ってしゃべっているのと一緒?」という例えしか出てこず、多分そうではないだろうなと、自分で考えていても違うということはわかっていても、「じゃぁ!!」と代わりに浮かんでくるものはありませんでした。

ちょっとややこしくなりそうだったので一旦ここで無理矢理戻します。

何でしたっけ。

あぁ、〝consequence〟!!

こちら読み方わかりますか?

カタカナで表記してみると『コンスクェンス』といったような感じです。

なんかやらたと〝ス〟という感じがしますので良かったら聴いてみてくださいね。

やっぱり音が少し独特なんですよね。

では、、、

〝but to some of more real consequence,〟

→ しかし、より影響力のある何人か

みたいな感じでしょうか。

これの1つ前の訳が酷かったのでどうなることかと思いましたが、一応ここはすんなりそれらしい日本語になりましたね。

では最後の文章に行きましょう。

seeing that their dedications are mine.

それでなんですが、ちょっと私の区切り方が良くなかったかも知れません。

ごめんなさい。

この③の文章は②の〝whom〟を説明しているような文章になるんですよね。

だいぶ長かったので、良かれと思って3つに分けたつもりだったのですが、区切った自分も「あれ?この単語、何に掛かっていたんだっけ?」「というかウェイトどんなこと言ってたっけ?」みたいなことになっていて、かえってわかりづらくしてしまったかなぁと。。。

気を取り直して頑張りましょう!!

では最後です!!

〝seeing that their dedications are mine.〟

こちら〝seeing that(~であると思っている)〟〝their(彼らの)〟〝are mine(私のものである)〟あたりは大丈夫そうですよね?

dedication(s)

こちらは〝献身〟といったような捧げる行為を表す言葉です。

やはりラテン語です、ふんわり。

しかしこの文章、なかなか難しいです。

〝dedication〟の意味がわかったからと言って、この部分を直訳してみますと、

彼らの献身は私のものだと思うから、、、みたいなことを言っていると思うんですけど、一旦今回の一文をもう1度持ってきますね。

Yet it is just this which may seem doubtful, in the present instance, not only to Mr. Smith, whom I respect within the proper measures of detachment, but to some of more real consequence, seeing that their dedications are mine.

そしてとりあえずでも、ここまで訳したものです。

『実に疑わしいだろう。今回のことに関して、スミス氏だけでなく、私は尊敬する適切な距離の手段、しかし、より影響力のある何人か、彼らの献身は私のものだと思うから。』

かなり無茶苦茶です。

『何人か』と言っているのは、今のところで、もしかしたら人のことではないかも知れません。

さて、どうしたことか。。。

まとめ&解説

はい、では改めまして、今回の一文を載せます。

Yet it is just this which may seem doubtful, in the present instance, not only to Mr. Smith, whom I respect within the proper measures of detachment, but to some of more real consequence, seeing that their dedications are mine.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

そして一旦、直訳のようなものも載せておきます。

私の訳したものをだけを見るより、そっちの方がいろいろな角度からウェイトの言い分を想像したり、解釈したりしやすいのかなぁ?なんていう風に思ったので。

私自身もこの本の内容がわかる、ということが大事ですが、だからと言って自分のその解釈をみなさんに押し付ける気はありません。

このようなページを見てくださっている方って、きっと基本的にはこうしたウェイトの出した本の訳なんかを調べようとして辿り着いたのだと思うのですが、一見日本語的には意味不明、かなり微妙であっても、直訳を載せた方が、見てくださっている方のイメージしやすい単語もあるかも知れないなと思いました。

ですので、これまでのものに対してはよっぽど暇があった時、気が向いた時にやろうなんて思いますが、一応今回からはそのようにしてみたいと思いました。

では、まず先に、これまでやってきた単語やフレーズなどの意味を使いながら直訳的なものを載せます。

あくまで〝風〟です。

直訳風

しかしながら、ここがまさしく疑わしく思う点かもしれない。

それは適切な距離を保ちつつ敬意を払っているスミス氏だけではなく、より実質的(現実的)な影響を持つ何(人か物質的なものなのか現時点ではわかりません。)か、彼らの献身は私自身のもの。

という感じです。

どうでしょう?

言ってる1つ1つの単語の意味はわかると思いますが、だからと言って、何が言いたいのかはよくわからなくないですか?

ということで本サイトのお出ましです。

当サイトではこんな風に訳しました。

タロットの世界の見解

しかしそうは言っても、素直に聞き入れることは難しいかも知れません。

また今回の件に関しては、先ほど言った限りではありません。

私が公平な立場からも見ても、そういった意見は私の研究に必要だと思っていますから。

という感じなのですがいかがでしょう?

今度こちらの見解を英文にすると、まったく別の英文になってしまうのですが、でも直訳ではなく、私が私なりにウェイトを思って「こんなことを言いたいんじゃないかなぁ?」という言葉をまとめるとこんな風になりました。

例によって解説させてくださいね。

これだけを見たら、かなり本文を無視してると思われそうですから。

まっ、思われてもいいんですが、なんとなくここまでの経緯を説明したいです。

もうかなり前から「長くなってるよなぁ。。。」とは感じているのですが、何卒ご容赦ください。

もう少しお付き合いくださいね。

「本当に大丈夫かな。。。」と自分でも心配になるくらい、本文の単語の意味をすっ飛ばしちゃってはいるんですが、でもすごいちゃんと経緯はあるんです。

なので言い訳として、これらの解説をさせてください。

まず今回、この一文を訳してる途中に気が付いたことがあります。

これまで一文一文で訳し終えていたせいか、訳し終えた一文一文の前後の繋がり方が少しおかしかったのです。

ちょっと文脈が合っていないというか、そんな感じです。

見ていただいたらわかると思います。

そしてこれは今回の訳を考えている中で、「前に自分がどんな風に訳したんだっけ?」というように見返していった中で思ったことでした。

そこでなんとなく、そのちぐはぐと言うか、バラバラ感を、もうちょっとウェイトに寄せて、実際にウェイトが言っているみたいにするのもありかな?というようなアイデアが浮かび上がりました。

直訳だとだいぶ硬い文章になるので、もう少しそこを現代風と言いますか、私が思う〝わかりやすい〟にアレンジしてもいいな、と思ったのです。

以前、「この『The Pictorial Key to the Tarot』を訳した本なんか既にいっぱいあります」みたいなことをお話ししたと思うのですが、〝apologia〟に苦戦していた時に「もう買ってしまおう!!」と参考にしたかったのですが、なかったんですね。。。

どうやらこの今の世の中に、日本語に訳された『The Pictorial Key to the Tarot』はないそうなんです。

もう絶版になっていたのです。

ですから、「なら今、正解らしい正解はないんだ!!」という感じのことを閃いてしまったのです。

だからと言って、それが=どう訳してもいい、にはならないと思っていますが、こうやってきちんと単語の意味を理解したり、訳している最中や、何故そのような訳になったかという経緯もお伝えした上でなら、まだ読んだ人たちに納得してもらえるんじゃないかなぁなんてそんな風に思いました。

何が言いたかったかのかと言うと、もし私が間違っていても『これが正しい!!』という正解らしい正解はない(むしろあるならそれをください(笑))ので、もし間違っていても怒らないでほしいし、逆にそれがわかりやすかったんならこの思い付きは成功だ!!ということでそれでいいんです。

あれ、何が言いたかったんでしょう。。。

あ、ですから、仮に本文の英単語の直訳した意味をすっ飛ばした訳をしていても、それは決して無視しているのではなく、一応は理解した上でそのように変化変容をさせています、ということが言いたかったです。

すみません、長々と。

では説明に入りたいと思います。

私は最初〝Yet it is just this which may seem doubtful,〟のあたりを『実に疑わしく思っているだろう』というように訳しました。

それは間違っていなかったと思います。

それに多分、当時のウェイトもこんなような言い方するんじゃないかなと思います。

ですが、私は、何において『疑わしく思っているだろう』と言っているのか?という点に着目しました。

これは前々回くらいですかね。

ウェイトは『さて、、、スミス氏の意見がいかに文学的な評価を受けるものであったとしても、それらは、私たちと同じ意見、考えでなければ、取るに足らないようなものだ。』ということを、おおよそ世間一般の人々に向けて言っているのですが、多分そこのことを言っているのだと思います。

ですから、疑わしいという訳はあっていると思うのですが、なんとなく、それって素直に聞き入れてもらえない、、、っていうことでもあよね?と解釈したんです。

何と言いましょうか、、、

一応、この本って万人に向けたものだと思うんです。

仮に当時のイギリスが、まだタロットや占い、その他さまざまな神秘系いろいろにおいて無関心、否定的、批判的、であったとしても、とりあえずはそのように考えます。

でなければ、本にはしていないと思うんです。

あ、またここで言うのもなんですが、、、本当要領が悪くてごめんなさい。

実はこの『The Pictorial Key to the Tarot』は、改訂版と言うのでしょうか。

元々は挿絵もないような状態で『The Key to the Tarot』という本で出版されていたそうです。

『The Pictorial Key to the Tarot』が出版されたのが1911年なのですか、それの2年前、1909年に。

改訂されても現代の人間には「絵がない!!」なんて言われていますが、でもそうなんです。

で、この〝Reface(序文)〟はこの『The Pictorial Key to the Tarot』が出版される時に付け足されたものだそうで、もし元々の『The Key to the Tarot』の反応があまりにも悪ければ、この『The Pictorial Key to the Tarot』は出ていなかったんじゃないか、とは考えられないでしょうか?

敢えて難しい言葉を使ったり、敢えて難しい表現をしているようにも思えるのですが、基本的には、この本は万人の、多くの人に向けた本なんじゃないかな?と私は考えます。

ということから、私はそのような人たちに向けて、いきなり「疑わしく思うんでしょ?」「どうせ信じないんでしょ?」みたいなことを言うかな?と、ましてや序文の序盤で、、、という感じに思ったんです。

ですので、もう少し柔らかく、でも少しだけウィエトが大事にしていそうな〝品格〟や〝格式〟といったようなものをなるべく損なわずに、と考えたらあのような訳になりました。

すみません、本当長くて。。。

ですが続けます。

それでなんですが、次に「ん?」と思われるところが、多分『先ほど言った限りではありません。』というところだと思うんですね。

こちらは〝not only to Mr. Smith,〟のところをそう訳しております。

詳細は前回書いた『スミス氏について』を見てほしいのですが、ここではすごくざっくり言いますが、要は、どんな意見も然程重要ではない、それが例えこの世の中で評価されていたとしても、我々の思うところと違えばそれは大して取るに足らない出来事だ、みたいなことを前回の一文で言っているんです。

実際にはもっと遠回しに言っていますが、これらを言ったことを踏まえて『先ほど言った限りではありません。』なんですね。

前回お伝えしましたように、当サイトでは、今のところ、スミス氏を仮の人間、架空の人物として、実は普通に世間一般の人に向けてこれらのメッセージを放っているんじゃないかなと思うんです。

少しきつい言い方、でもちょっとわかりやすくなるかな?という意図を持ってお伝えしますが、恐らくは、ウェイト側から見たウェイトの非理解者に向けたメッセージなんだと思うんですよね。

かなり極端な言い方をしていますが、でもそのくらいに言った方が多分こうして読んでくださっている方にも伝わりやすいですよね?

なので、直訳すると『スミス氏だけではなく』なんですが、そんな風に訳してしまいますと、後に続く文章と合わせた時にやはりあまり意味のわからないものになります。

直訳風の方も見ていただけたと思うのですが、『それは適切な距離を保ちつつ敬意を払っているスミス氏だけではなく、より実質的(現実的)な影響を持つ何(人か物質的なものなのか現時点ではわかりません。)か、彼らの献身は私自身のもの。』ですよ?

「え?どういう意味?」じゃないですか?

このまま後ろの文にも着目していきますが、この直訳風から『スミス氏だけではなく』を取っ払います、もう訳したので。

すると、『それは適切な距離を保ちつつ敬意を払っている、より実質的(現実的)な影響を持つ何(人か物質的なものなのか現時点ではわかりません。)か、彼らの献身は私自身のもの。』となるのですが、何故か私はこれでぴんときました。

「あ~~~~!!なるほど~~~!!」

『適切な距離』というようなものは〝スミス氏(要はウェイトから見るウェイトの非理解者や、占いなどにまったく関心のない一般人、またはそれ以外の人間)〟との間の距離感のことを言っているんだろうなと思ったわけです。

ですが+『敬意を払っている』わけなんです。

最初は『尊敬している』と訳していましたが、何故か途中で勝手に〝敬意〟になっていました。

ですので、「私はこうこうこういう者だが(Vol.2参照)、だからと言ってこちら側に偏っているわけではないよ。自分が重要だと思う以外の意見にもきちんと敬意は払っているよ。」というような言い分なのかなと思ったわけです。

そして、続いて『彼らの献身は私自身のもの』というようなことを言っているのですが、私はそれが「例え重要ではない、不必要だと思われる意見も、1周回って自分への献身=貢献だよね。」と言っているように思えました。

また妄想が始まりますが、ぜひみなさんも一緒に想像をしてみてください。

ウェイトの時代です。

1910年代、今から100年以上も昔の話です。

平成や令和生まれの方には想像しにくいかも知れませんが、昭和生まれの方であれば多分ここ10年、20年の世の中の進化ったら凄まじいものだったのが容易にわかると思います。

その進化する以前の、もっと前の話なんです。

どんな時代だったでしょう?

きっと世間一般の噂話なんてあっという間に広まったでしょうし、考えてみてください。

ウェイトがイギリスでタロットを持ち込まなかったら?

恐らく、今の占い業界、神秘業界、タロット業界、このサイト、なかったものがたくさんあるのではないでしょうか。

逆に言うと、ウェイトは初めてイギリスにタロットカードを持ち込んだ人なんですよ。

もうおわかりですよね?

いつも叩かれるのは少数派なんです。(多分)

で、〝最初の人〟はもっと酷く言われることもあるでしょうし、もっと非難されたり叩かれたりすると思うんです。

みんな、自分のわからないものは怖いんです。

受け入れられないんです。

コロナが始まった頃の日本もそんなでしたよね、日本中が。

コロナになったわけじゃないのに実家に帰れない、なんて、そういう人いっぱいいませんでしたか?

『東京』と言うだけでやたら懸念されたり。

私もだいぶ初期の頃にコロナになりましたが、熱は出っ放し、味覚も嗅覚も失っているというのに、心配どころか「家族に近付くな。」と言う実の姉にはさすがにショックを受けました。

「血も涙もないってこれかぁ~!!」って思いました。

あ、冗談ですよ。

どれも想像でしかありませんが、恐らく、ウェイトのから見える、ウェイトに向けられた世の中の目って、きっと嬉しいものばかりではなかったのだろうなと思います。

恐らく、ぶん殴りたくなるようなことを言われたこともたくさんあったと思います。

それがスミスさんだったのかも知れませんね。

わかりませんけど。

でもそういうことって少なからずみなさんにも1度や2度、経験あると思うんです。

私はホステスをしていましたから、そういうことがけっこうありました。

引退してだいぶ経っているので今まで忘れていましたが、けっこう言いたい放題言われてましたね。

そういう時って辛いですよね。

しかもそういう時に限って、「聞くよ。」なんて言われたもんだから、つい良かれと思って喋ってみたら余計に嫌な思いをしてしまったり。

みなさんにもありません?

きっと、ウェイトもそのような経験、たくさんしていたんじゃないかと思うんですよね。

で、ここからが大事で、結局こういうことって、自分にとって『ピンチはチャンス』とか『失敗は成功の元』みたいな感じで、仮に一旦はそこで嫌な思いをしたとするじゃないですか?

挫折、失敗、挫けた、涙、なんでもいいです。

とにかく自分にとっては一見ネガティブに思えることです。

「あぁ、なんでそんなこと言われなきゃあかんのやろ?」

「あぁ、言うんじゃなかったなぁ。。。」

なんて、そんな風に一瞬は落ち込むかも知れません。

それもいいんです。

「放っておけば機嫌なんて直る~♪」とそこで終わってもいいんです。

ですが、そこからまた様々なことを派生させることもできますよね?

例えばですが、、、

「じゃぁ、タロットに対して否定的なイメージを持った人にはどんなアプローチが有効か?」とか、

「理解してもらうまでにはいかなくとも、もう少し耳を傾けてもらうにはどのような方法があるか?」とか。

逆もあると思います。

「そういう人は放っておいて、自分たちだけで楽しもー!!」とか。

要は、一見は、すごい嫌なことなんですが、落ち込むこともできますし、泣くことだってできます。

怒っていても顔は笑える人もいれば、そのまま「なんだよ、、、」と不貞腐れることもできます。

ですが、いかようにもできるよ、自分の成長にも繋げられるよ、というような話だと思うんですね。

私がウェイト=スミスタロットにおいて1番好きなのがここです。

自分を見るためのものなんですよね。

ですから、これらのことを踏まえて、おおまかにですが「スミス氏(一般の人々)の意見はそんなに重要ではないけど、そういった意見も僕の研究には大いに役立っているよ。」=『彼らの献身は私自身のもの』=『貢献』みたいなことを言っているんだと思いました。

すごいですね、ウェイト。

最初は偉そうな、少し傲慢な感じにも見えましたが、早くも私の中のウェイト像が変わってきました。

また『公平』と訳しましたのは、これまでの解説と重複しますが、自分はこういう者(Vol.2参照)だと名乗っているけど、だからと言って偏った考えはしていないよ、ちゃんとスミス氏の意見も尊重しているよという意味でそうしました。

直訳だけでもわかりませんし、やはり私の見解だけでもこんな風に説明をしないと不十分ですよね。

自分でやるって大事ですね。

大変だけど。

本当に。

というわけでいかがでしたでしたでしょうか?

こんな感じで上手く伝わりましたかね。

伝わっていると良いのですが。

だいぶ長くなってしまったので、締めの言葉はなしにしてここで終わりにしたいと思います。

最後まで見てくださった方、本当にありがとうございます。

懲りずにまた次回。

では。。。

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