『The Pictorial Key to the Tarot』を解読しながら訳していく Vol.12

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『The Pictorial Key to the Tarot』を解読・翻訳するシリーズ第12回のアイキャッチ画像。タロットの歴史や解釈を深掘りする内容を示す視覚的な要素を含む。

こんにちは。

前回は、タロットに対するウェイトの理解や、思いが、見え隠れするような一文でした。

とてもじゃありませんが、ただ英文を訳すだけでは見えてこない、タロットカードに対するウェイトの思いがいっぱいに詰まった一文だったと思います。

個人的には「わかった!!こういうことか!!」となるまでにかなりの時間を要しましたが、いざ訳し終えてみると「早く次に行きたいな。」と、つい先が気になってしまいます。

前回の一文を終えたら休もうと思っていたのですが、ついPCに向かっては、本を眺めてしまう自分がいます。

では、今回もやっていきましょう。

ちょうど今回で、この〝Reface(序文)〟の半分くらいのところまできました。

訳し始めた頃は「1か月くらいで終わればな。。。」なんて思っていましたが全然でした。

訂正します。

できれば年内、今年中に終わらせられるよう、頑張りたいところでありますね。

ですが、もちろん早さも大事なのですが、何よりもきちんと〝理解する〟というところに重きを置きたいのは言うまでもありません。

ちなみになんですが、、、

「この序文が終わったらようやくカードの解説だー!!」

なんて思っている方、いらっしゃいますでしょうか。。。

とても言いづらいのですが、実は、まだカード1枚1枚の解説には全然入れません。

この序文が終わると次は〝THE VEIL AND ITS SYMBOLES〟という話が待っています。

ここでは、タロットそのものがどういったものであるか、ということについて長々と語られています。

4つの章に分かれていて、なんと50ページ近くあります。。。

序文の10倍かぁ。。。(遠い目)

私も早くカードのページに入りたいところではあるのですが、たった序文の3ページにすら、ウェイトの思想や、カードに対する思いがあちらこちらに散りばめられています。

それも、一目見ただけではわからないように。。。

ですのできっと、その〝THE VEIL AND ITS SYMBOLES〟にも、たくさんのウェイトマジックが施されていると思います。

今日までに、Arthur Edward Waite(アーサー・エドワード・ウェイト)についての記事や、『The Pictorial Key to the Tarot』のことが書かれている記事なんかをちらほら拝見させていただいたのですが、恐らく私レベルで解説している日本語のサイトって現状ないと思います、恐らくですが。(小声)

別にこれは私の訳が正解だなんて言うつもりではありません。

ですが、私自身は私の見解であっているんじゃないかな、とは思っています。

ですが、いろいろな解釈があるとは思うのですが、当サイトに限らず、何でも鵜呑みにするわけではなく、今一度良い方の意味で疑う気持ちを持って、見てみてくださいね。

こういった発信活動をしている最中で思ったのですが、やはりコミュニケーションって、発信する側だけの問題ではないな、ってつくづくそう思うんですよね。

なんか何かを否定したいわけではないのですが、「いや、さすがにそれは違うんじゃないかな、、、」みたいな訳を見掛けたのですが、そのように思う私もいれば、「そっか!!これが正解なんだ!!」と思って受け入れてしまう人もいるわけですよね。

何と言うか、私は別にウェイトにとって何者でもないのですが、なんとなく、その人が伝えようとしていることとは全く違う受け取り方をされてしまったり、またそれをさも真実かのように伝えてしまうのってなんだかなぁ、、、と思うのですよね。

私自身、気を付けなければいけないことでもあるのですが。

突然、なんでこんなことを言い始めのか、自分でもよくわかりませんが、改めて自分自身、気持ちを引き締めて、でもなるべく多くの方に見ていただけたとして、それが「なるほど!!」「なんか面白いんじゃん!!」なんて思っていただけるような訳を努めたいなと思いました。

というわけで、もちろん私の訳も含めて、なんでもかんでも鵜呑みにせず、今一度ご自身で調べてみることもぜひおすすめしたいですが、私が「面白い!!」と思ったウェイトの世界観がなるべく多くの人に、できるだけ誤解のないように知れ渡ってくれたら嬉しいな、と思う昨今です。

前置きなのに、またどんどん長くなってしまいそうなので、この手の話はこれで終わりにしましょう。

では、参ります。

今回の一文

今回の一文です。

The fact that the wisdom of God is foolishness with men does not create a presumption that the foolishness of this world makes in any sense for Divine Wisdom ; so neither the scholars in the ordinary classes nor the pedagogues in the seats of the mighty will be quick to perceive the likelihood or even the possibility of this proposition.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

今回は3つに分けます。

最後の一文が少し長いので、その中でまた2つに分けます。

前回の一文、とても長がかったと思うのですが、きっとみなさんも、そんな長文には段々と慣れてきてくださっている頃だと思いますので、容赦なく、私にとって区切り良さそうなところで分けさせていただきます。

ご容赦!!

では。。。

The fact that the wisdom of God is foolishness with men

知っていそうで知らない単語が出てきました。

fact

みなさんもそうじゃありませんか?

「ファクト」ってよく耳にしますが、実際のところ、意味という意味って、実は知らなかったりしませんか?

私だけかな。。。

漫画やアニメなんかでも「ファクト」って、1度や2度ならず、聞いたことがある気がします。

ですが、それらしく聞いてはいますが、意味なんかは知らなかったりしますよ。

日本語には、そのように使われてしまっている単語、実は多いですよね。

というわけで〝fact〟なんですが、これまた少しややこしい。。。

〝fact〟という単語自体に意味という意味がないそうなんですね。

「えっ!?」って感じじゃありません?

じゃぁ、日本でよくタイトルなんかにも使われがちな『ファクト』って何のこっちゃ?という気がします。

ですが、それでいて、それっぽく聞こえるのも不思議ですよね(笑)

『THE FACT』なんて言われると少しかっこよく聞こえます。

ですが実際、会話の中に〝fact〟が単体で登場することはあまりないそうです。。。

「隠された真実」や「客観的な現実」みたいなことを表すそうなんですが、物凄く細かく言うと、前提として何か基盤になっている事実や根拠がある状態で使うのかな?という感じがします。

まさに、この文章も〝The fact〟と始まっていて、「これは疑いようのない真実だ!!」とか、何か強く伝えたいことが前提に(として)あるんだと思います。

wisdom

はい、こちらはタロット業界にはよく出てくる言葉ですね。

正確には、タロットというよりかは、『オラクルカード』に多いという感じがしますが、なんとなくこの業界は「叡智」という意味を持つ、この〝wisdom〟が好きだなと思います。

ですが、私も知らなかったのですが、私の聞く限りでは、多分この〝叡智〟という言葉の意味を、本当に理解して使っている人は少ないように思えます。

生きていて普段「叡智」って使わないじゃないですか?

ですからみなさん、そういった占い動画なんかを見て「叡智」という言葉を仕入れてくる人が大半なんじゃないかな?と思うんですね。

で、恐らく「なんだか物凄い知識みたいなもの」と解釈されて終わってしまっていると思うんですね。

何故なら、私がそのように解釈していたからです。

ですが、百歩譲って、それでも良しとします。

では、「じゃぁ、物凄い知識って?一体何?」って感じにはなりませんか?

ちょっとこれはごめんなさい。

私はそもそもそういった動画や、いわゆる一般的な占いの解説書に〝叡智〟と書かれていても、そもそもまったく信じていない、もしくは鵜呑みにすることもほとんどありませんので、今まですごいスルーしていました。

どちらかと言うと、「はいはい出ました、また叡智、好きだねぇ~」と、小バカにしていたかも知れません。

そもそもなんですが、そういった解説書とかって、他のカードの意味のところにも〝叡智〟と書かれていることも多く、それがいわゆる表面的な解釈に私思えてしまうのですが、それが真実だということを証明できるような解説はほとんどないに等しいです。

私、いつも「じゃぁ、別々のカードにする意味なくない?」って、「1枚で良かったんじゃない?」みたいに思ってしまうんですね。

少し辛口なことを言いますが、実際には、表面的にでも解釈をしているようには、とても見えないんですよね。

タロットに限らず、こういったものは、世の中ごまんとあります。

正直、私の至って普通の感覚では「果たしてこれを信じる人がいるのだろうか、、、」という気持ちでした。

どこの誰が書いたかもよくわからないような、なんでそれがそういう意味だなんて根拠もなければ何もない、ただ「このカードの意味は〝叡智〟という意味があります。」だなんて言われて、じゃぁそのカードが出たとしたら「やった!!僕(私)、叡智を得た!!すごいわ!!」とでもなるのでしょうか?

『病は気から』なんていう言葉がありますが、確かにこれは、私もある意味、理にかなっている言葉だなとは思いますが、否定はできませんが、どちらかと言えば、そんな人は稀でしょう。

ですので、このような解説書、と呼ぶのも甚だしい解説書が、どうしてこの世の中に需要があるのか、いささか不思議に思ったりもします。(小声)

まぁ、そういうことなんでしょう。

恐らく、私が言わんとしているようなことは、これから先、ウェイトが言ってくれているような気がしているのでこの辺で控えておこうと思いますが。。。

ようやくここで本題に戻りますが、〝叡智〟って知識とかよりも、もう少し先にあるものだそうなんですね。

もう少し具体的に、でも簡単に話をしてみますが、「知識を実際に生かし、賢明な判断をする力」というような感じかと思います、多分。

もちろんそれには経験から得られるような知識もあると思います。

物凄く簡単に言っていしまうと、みなさん、料理したことありますよね?

毎日という方もいらっしゃるかも知れませんが、恐らく「したことがない」という方はいないと思います。

で、例えばですが、その料理のレシピなんかは知識にあたりますよね。

仮に、カレーを作るのだとして、カレーを作るには何が必要かを知っている状態

それがレシピであり、知識と言えると思います。

ですが、今度は、実際に作る工程なんかも必要ですよね?

材料を揃える、食材をどう切ると食感的にもより美味しくなるのかとか、火加減はどうだとか。

私が思うに、これらは、実際その場で作っている中で初めて行う作業であるのなら〝知恵〟だと思うんです。

ですがこういったことを1度でも経験しているのであれば2回目以降は〝知識〟と言っていい気がします。

知識が増える(集まる)ことによって、知恵へと進化し、それの究極系が叡智だと思うのですが、これを無理くり〝叡智〟に落とし込みますね。

どうなるかと言いますと、

  • 食材の組み合わせから生まれる味だけではなく、そこから生まれるエネルギーとも調和する
  • スパイスが持つ力を超え、それが人間の体や精神にどう作用するのか直感的に理解する

というようなことになりまして、もはやそれは「カレーを作っているのか?」いや、「カレーを作ることによって新たな宇宙の仕組みや生命の発見、または理解を得ようとしている」という次元だと思うんですよね。

あり得ないじゃないですか。

普通に食べて「あー美味しかった!!」で終わりですよね。

ですが、叡智ってそういうレベルだと思うんですね。

多分恐らくですが、人間なんかが考えられることなんて〝叡智〟には到底及ばないと思うんです、反論は受け付けておりません。

ちなみにこれは私がcopiと一緒になっておよそ小1時間〝叡智〟について追究した結果です。

何か参考になれば幸いです。

ないか、こんなこと参考にする時なんか。。。

ま、いいか。

随分〝wisdom〟について長く触れてしまいましたが、恐らくこれでみなさんも完全な叡智マスターですよ。

仮に、世界超人頭脳決定戦とかがあったとして、それで見事1位の座に就けたとしても、それでもまだ全然叡智の領域ではないと思っています、もちろん個人的にですが。

散々〝叡智〟について、いろいろを説明してきましたが、私の感覚だけの話をしますと、〝叡智〟って、そもそもが神様めいた言葉に感じます。

ですから、私は何かの宗教に属しているわけではありませんが、言ってしまえばそもそも人間なんかが到達できるような境地ではないと思うのですよね。

というか、そうであってほしい、と思っています。

だってその方が面白そうじゃないですか。

こんな風にウェイトの小難しい本なんかを翻訳したりしていますが、世の中には、別に知らなくても良いことも普通にあると思うんです。

個人的には手品が好きなので、手品の種を明かす人とかは本当に夢がないな、とか思ってしまいます。(小声)

あれは営業妨害とかにはならないんですかね?

まぁ、それは一旦脇に置きまして、、、次に行きます。

foolishness with men

「バカな男」「愚かな人」と思われました?

私は最初、そのように思いました。

改めて〝foolishuness〟についても調べてみても〝愚かさ〟〝バカさ〟というような意味が出てくるのですが、この〝with men〟がちょっと違う意味をしていまして、一見〝男(man)〟の複数形にも見えますが、実はそういうことではないんだそうです。

こういった文章を介してでは音を伝えられないのですが、私くらいの世代の人であれば1度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

「○○○○、メーン!?」と、いわゆるスラングと言いましょうか。

私は学生の頃、下北沢にいることが多かったのですが、当時は『B系』と呼ばれる服装が流行っていまして、黒人さんがよく路上にいたんですね。

仲の良かった男の子たち数人が、よくに絡みに行っていたんですよね、買いもしないくせに、、、、、、、、、ボソッ(笑)

ですので自動的に、当時、その黒人さんが言っていた「なんとかメーン!?」という音がすごく記憶に残っていまして。

男の子たちも一緒になって「なんとかメーン!?」ってやってるんですね。

もう随分と昔の話になりますが、その時以来、そのような人たちを見掛けることはなかったと思いますが、そんな風に、「Hey guys!!」とかと、似たような使われ方をしていたのが〝men〟なんだそうです。

今の私の例からすると、ちょっとギャップがある感じがしますが、でも多分あっているかと思います。

「みんな」とか「人々」みたいな意味になるんですが、もうちょっと掘り下げますと、現代では〝people〟になるんですって。

このウェイトの『The Pictorial Key to the Tarot』って、割と最近に感じられる方もいらっしゃるかも知れませんが、でも100年以上も前のものなんですね。

今で言う〝people〟が、当時は〝men〟だったって感じなんだそうで、少しニュアンスも違うみたいで「人間」や「人類」という意味を表すそうです。

段々と見えてきましたかね。

お察しの通り、この〝The fact that the wisdom of God is foolishness with men〟は、直訳すると「神の知恵が人間と共にある愚かさである事実!!」という感じになりますが、やはり、ちょっと日本語的には意味不明なので言い直します。

〝The fact that the wisdom of God is foolishness with men〟

→ 人間にとってバカげている、神の知恵は!!

みたいな感じにでしょうか。

そうなんですかね。。。

神様がいるかいないかは私にはわかりませんが、私は、もし神様がいるなら人間の方がそりゃ愚かだろうと思ってしまうのですが、みなさんはいかがでしょうか。

当時のイギリス、またはウェイトの目に映る非神秘族はそんな風に思っているように見えたのですかね。

次が気になります。

does not create a presumption that the foolishness of this world makes in any sense for Divine Wisdom ;

はい、では次に行きたいと思います。

いや~、本当に続きが気になります。

何て言っているのでしょうか。

〝does not create〟は大丈夫そうですかね。

早い話「作らない」と言っています。

言い方はいろいろあるかとは思いますが、ひとまず意味としてはそのような意味です。

presumption

こちらは「プリザンプション」というような読み方をします。

「推定」「前提」「仮定」といったような意味があります。

「思い込み」とか「根拠がある、ないに関わらず、人が前提として考えること」というような意味が含まれるそうです。

まさしく先ほどお話しした〝叡智〟は、このことではないでしょうか?

〝無意識〟なんですよね、そうやって思い込んでいることすら。

個人的には「そんなこと言ったら、この世の全てが思い込みじゃない?」という気もしてしまうのですが、まぁこちらは置いておきましょう。。。

ということで〝presumption〟はそのような意味になります。

直訳では〝does not create a presumption〟で「推定を生み出さない」という意味になると思います。

続いて〝that the foolishness of the world〟を直訳すると「この世の愚かさが~」とか「この世界の愚かな~」みたいな感じかと思います。

続けます。

次は、こちらで〝makes in any sense for Divine Wisdom ;〟またセミコロンが出て来ましたね。

また、これまでにやった単語ばかりで嬉しいです。

〝make〟にはいろいろな意味があります。

いろいろな使い方ができてしまうので、細かい調整なんかは後にしましょう。

そして〝in any sense〟は「どんな意味でも」「いかなる解釈でも」というような感じですね。

〝(for) Divine Wisdom 〟とってもウェイトらしい表現ですよね。

こちら先ほどの〝wisdom of God〟と一緒じゃないの?という感じがするかも知れませんが、前者は文字通り〝God(神様)〟=「神様の叡智」という意味ですが、後者も〝神の叡智〟とは言えなくないのですが、どちらかと言うと「神聖なる叡智」といったような意味になってくると思います。

いつか〝divination〟という単語をやった時に、一緒に〝divine〟について触れたのですが覚えていらっしゃいますでしょうか?

似ているようで少し違った意味なんですよね。

ですが、これらを具体的に説明してくれ、と言われたらちょっと困ってしまいますね。。。

先ほどのカレーの続編を考えなくてはいけないかな、、、ぶつぶつ。

ちなみになんですが、これ気になりませんか?

最初は〝wisdom of God〟だったのに、後の方は〝Divine Wisdom 〟になっているのに。

英語が得意という方であれば何ていうことないことだと思うのですが、私はあまりそういった文法的なことを知らないのでわからなかったのですが、「なんでこっちはwisdom of Divine じゃないのかな?」って思ったんです。

調べてみると、簡単な話だったんですが、片や名詞(God)、片や形容詞(divine)だから、という理由だったんです。

言われなければ考えもしないようなことでしたが、私、てっきり〝divine〟って名詞だと思い込んでいました。

来ました、〝presumption〟思い込みです(笑)

正しくは名詞にも使われるけど、形容詞としての使われ方が多い、という感じだそうです。

もう1つおまけに「じゃぁ、divineの名詞という名詞って?」と思ったので調べたところ〝divinity〟と言うそうです。

なんとなく、これを聞いても私的には「え?やっぱdivineの方が名詞っぽくない?」と思ってしまいますが。

どちらかと言うと、先ほどの〝men〟と〝people〟の話のように〝divine〟と言うのはやや古風な表現だそうで、今の神性な概念(「神聖」ではなくなってしまうのですが)を表す場合には〝divinity〟と言う方が一般的だそうです。

ふむ、ウェイトは間違いなく今から見れば昔の人ですからね。

多分こういった昔の表現がこれからもどんどん出てくるんでしょうね。

では、一度まとめます。

〝does not create a presumption that the foolishness of this world makes in any sense for Divine Wisdom ;〟

→ この世の愚かさは(が?)いかなる解釈によっても神聖な叡智を作るという推定は生まれない

うーん、ちょっと単語単語の意味はわかるものの直訳が難しい一文ですね。

また例の如く、順番も調整しないと意味らしい意味が伝わってこないかも知れません。

まぁですがきっと大丈夫でしょう、次に行きましょう。

so neither the scholars in the ordinary classes nor the pedagogues in the seats of the mighty will be quick to perceive the likelihood or even the possibility of this proposition.

こちら長いので、区切り良さそうなところで2つに分けます。

so neither the scholars in the ordinary classes nor the pedagogues in the seats of the mighty

はい、こちら〝so〟は「だから~」とか「そして~」といった意味ですね。

neither

こちら「ニーザー」と読みまして〝nor〟と一緒に使うことが多いそうで「どちらも~ではない」というような意味です。

使い方としては「neither A nor B」といった感じで、AとB、2つのものを否定するような感じだそうす。

イギリス英語ですと「ナイザー」みたいな感じになるそうです。

単体で使うこともできますが、その場合も「どちらも~ではない」という意味だそうです。

例えば「Neither is true!!」なんて言ったら、それは「どちらも真実ではない!!」といったような意味になるそうです。

そして〝the scholars in the ordinary class〟です。

scholars

こちら「スカラーズ」という発音で意味は「学者」「研究者」「知識人」という感じだそうです。

ordinary

「オーディナリー」という発音だそうで、意味は「通常の」とか「一般的な」「普通の」とか、そんなような意味です。

class(es)

以前やったことがある気がしたのですが、ちょっとどうだったか見つけられなかったので念のため。

「クラス」と聞くと、日本語英語の「クラス」を聞き慣れてしまっている私たちにとっては少し意外に感じるかも知れませんが、学校の組を表す「クラス」や「授業」といった他にも、とても意味の多い単語だそうです。

せっかくなので、調べた限りでさらっと載せておきます。

「階級/社会的地位/授業/講義/クラス/集団/種類/分類/品格/上品さ」というような感じです。

その他にも、こういったサイトを作る際のプログラミング言語としても〝class〟は存在していて、このサイトの検索機能を使われる方はあまり多くはないかも知れませんが、〝class〟なんて入れて検索してしまうと全部のページが表示されてしまいます。。。

恐らくこれはプログラミング言語の方のclassが対象になってしまっているかと思うのですが、こちらは表面的には見えるものではないので「こんなこともあるんだ!!」と私なりには大発見でした。

恐らく、他のプログラミング言語でも検索の対象になってしまうものがあると思うので、ちょっと今後そういった検索機能も、改善が必要かも知れません。

はい、ということで、〝the scholars in the ordinary class〟を直訳すると「通常の階級にいる学者たち」みたいな感じになるかと思います。

しかしながら、これまでの経験もあって、きっとそんな直接的なことを言おうとはしていないと思います。

楽しみですね。

続いて〝the pedagogues in the seats of the mighty〟ですが、このpなんとかが読めません。

pedagogue(S)

「ペダゴーグ」と読むそうです。

知ってから「本当だ!!〝vogue(ヴォーグ)〟と似た綴りだった!!」と、少し考えればわかったことのような気がして若干悔しいです。

全然話が違うのですが、私は長らく将棋を嗜んでおりまして、将棋でも同じようなことをよくやってしまうのですね。。。

将棋って面白くて、めっちゃくちゃ優勢だったのにたった1手間違うだけで、とんでもない大惨事、と言いますかもはや負けに繋がることも少ないないのですが、この「少し考えれば」というのが本当に私はできなくてですね、、、

それでいて、よくこんな頭を働かせるようなことしているなぁとは思うんですが、恐らくなんですが、この『The Pictorial Key to the Tarot』って、確かにまだ続きはありますけど、対象が1個1個じゃないですか。

一文を細かく区切ったりして、そしてその中でも更に細分化していますよね。

なので、割と平気なんだと思います。

なんだかんだ言ってやっていることは、1つのことに対して集中しているだけなので、恐らく私に合ったやり方なんだと思います。

将棋って、そもそも私が何にもわかっていない、というのもあると思うのですが、毎ターン毎ターンいろんなことが考えられしまうと思うんです。

なので、途中でいつも力尽きてしまうんですよね、考える力がないと言いましょうか。

まぁ、将棋のことはいいのですが、このようにちょっと考えればわかるようなことを見落としてしまったことが悔しかった、ということでした。

何の話をしているのでしょうかね。

ま、いいか。

肝心の意味なんですが「教育者」「指導者」といったような意味になります。

〝teacher〟とは少し違う感じがしますよね。

また、ハリー・ポッターでは先生のことを〝professor〟と言っていたりもしますよね。

ついでですが、ここでいろいろな〝先生〟をご紹介してみたいと思います。

種類意味ニュアンス
Teacher学校の先生一般的に生徒に知識を教える
Professor大学の教授専門的な研究をし、学問を教える
Pedagogue教育者・指導者権威的でやや堅苦しい教師というニュアンス
Instructor指導者
講師
技術・実技系の指導をする
Tutor家庭教師
個別指導者
個別に教える、対話型の指導
Mentor助言者
導く人
個人的な成長・指導にフォーカス
Trainerトレーナー
指導者
スポーツやビジネスのスキルを教える
Lecturer大学講師講義を行うが教授ではない
Coach指導者
コーチ
スポーツや人生の指南をする
Educator教育者広い意味で教育に関わる人

いかがでしょう?

〝先生〟と意味する単語ってけっこうあって、また日本で使われているいわゆる日本語英語とは、微妙に意味が違うものもありますよね。

歴史的な経緯はもちろんあると思いますが、今みたいな時代ならむしろ改めて、この本来の意味とは違った、間違った日本語英語の使い方を見直した方が良いんじゃないかな?って気がしますけどね、個人的には。

ということで〝pedagouge〟にはこういったニュアンスがあり、やはりちょっと昔っぽい、やや堅苦しい感じの単語だそうです。

私はどちらかと言うとけっこう好きですけどね、こういう古っぽい表現(言葉)も。

続けます。

面白そうなフレーズが出てきました。

〝in the seats of the mighty〟

以前〝might〟についてご説明したのですが、こちら直訳すると「力の座」みたいな感じになって、〝in the seats of the mighty〟を直訳すると「権力のある者」「強力な人」みたいな意味になります。

どうでしょう?

いけそうですかね。

〝so neither the scholars in the ordinary classes nor the pedagogues in the seats of the mighty〟

→ なので、一般的な有識者も、権力のある教育者も、どちらも~ではない

というような意味になるかと思います。

以前からお伝えしていますように、昔のイギリスですからね。

やはり階級的な差別、、、偏見と言いましょうか?

前回、このようなことをお話ししてから、少し調べてみたのですが、ウェイトの時代(19世紀末~20世紀初頭ですかね)って、かなり厳格に階級があったようで、恐らくウェイトは、あったとしても中級、悪く言うみたいになってしますが、どうやっても中級が限界だったと思います。

上流階級は、どうしたって貴族や莫大な財産を持った資産家が中心だったそうです。

幼い頃、母と子3人で(恐らく妹さんも一緒かと)イギリスに移住したウェイトにとっては、こういった枠組みの中で生きることはとても疎ましいことだったろうなと思います。

もちろんウェイトに限らず、そういった方々がたくさんらっしゃった時代だと思います。

現に今時の漫画なんかを読んでいても、そういった貴族社会の中で、平民出身の主人公がぶいぶい言わせていくようなストーリーはとても多いです。

そのような漫画が昔からなかったわけではないと思いますが、ここのところ、新しい漫画を読んだりしても、そのような内容は多く見られます。

決まって、主人公の心は清く美しいんです。

いつも感じの悪い貴族がいて、その貴族はだいたい裏で悪事を働いていて、で、最終的には裁かれる、、、みたいな。

もちろんその時代を生きたことはありませんから、実際はどうだったかはわかりませんが。

私は、人間以外の生態にも割と興味があり、動物の習性なんかを調べるのも好きなんですが、歴史の勉強なんかをしているとよく思うことがあります。

人間って、進化しているようで、猿とあんまり変わらないなぁ、、、って。

「なんだかんだそんなに進歩してないんだなぁ。。。」と、依然と権力や力といったものを欲し、誇示せずにはいられない人たちがたくさんいるんだなぁと思う中、そんなようなことを思っていました。

かく言う私も、そういった欲のようなものがないわけでもないので、猿寄りかも知れませんね。

それ自体は、悪いことだとは思わないのですが、そういったものに重きを置く人間が多く見える割には、この国には、リーダーらしいリーダーっていないですよね、、、ぼそっ。(小声)

とまぁ、100年ちょっと前のイギリスはまだまだそんなような時代だったと思います。

ですので、ウェイトもこのような表現をしているのかなぁと思います。

恐らくですが、ウェイト自身にも、そのような階級制度や社会に対して反発するような気持ちはあったとは思います。

ですが多分、ここでのウェイトが言いたいことは、単に身分や職業がどうということではないと思うんです。

続きが気になります。

次に行きましょう。

いやぁ、そんな時代に生まれていたらどうだったでしょう。。。

みんながみんな、もっともっと豊かであれる時代になると良いですよね。

will be quick to perceive the likelihood or even the possibility of this proposition.

よし、では最後です!!

早く知りたいです!!

〝will be quick〟は「素早く~するでしょう」といった感じですかね。

perceive

こちらは「知覚する」「認識する」「見抜く」という意味だそうです。

ちょっと〝sense〟と似てるかな?と思って調べたのですが、割と感覚的、直感的な「知覚」の〝sense〟に対して、〝percive〟は五感を通して感じること/察知すること、といったようなニュアンスだそうなんです。

以前〝sense〟をやった時は、ご存じ〝apologia〟の時でした。

〝in the sense of apologia〟というフレーズでしたが、確かに直感と言いますか、ほとんど感覚的なものでしたよね。

というわけで、「素早く見抜くでしょう、、、」というようなことを言っているかと思います。

続きまして、

likelihood

「ライクリーフッド」ちょっとキャラクターか何かの名前みたいですよね。

ロビン・フッドの仲間みたいな。

違うか。

こちら「可能性」や「蓋然性」といった意味なんですが、、、またちょっと難しい表現をしているのですかね。

「可能性」だけで言ったら、私たちの身近にはもっと身近な単語があるかと思います。

わかりますか?

「チャンス(chance)!!」です。

またちょっと昔の表現だったり、格式ばった表現なのかも知れません。

それよりも「蓋然性って何?」というところです。

読めても意味がわかりません。。。

調べると、もはや「確率」という言葉にポジションを奪われてしまったのかな?というくらい、意味が似ているかと思います。

「ある事柄が起こる確実性の度合いを指す言葉。」と、それを数学的に表したものが「確率」なんだそうですが、私、こちらも今まで生きてきた中で絶対誰1人、私も含め、私の周りで使っている人は見たこと(聞いたこと)ありません。

きっと小難しい本とか、専門的な何かに使われるような、それらしい単語なんだと思います。

possibility

あれ、、、困りました。

たった今「可能性」というような意味のある〝likelihood〟をやったばかりですのに、これまた「可能性」を意味する言葉が出てきてしまいました。

あ、なるほど、そういうことですか。。。

可能性、可能性、可能性、そういうことですか?

懐かしいですね。

これが何のことかわからなくて、もしご興味のある方はぜひ最初から読んでみてくださいね。

実際にはわかりませんが、likelihoodとの使い分けとしてまして、前者は「何かが起こる可能性が高い」場合に使われ、こちらは「それが起こり得るかどうか」という可能性だそうで、なんだか同じ〝可能性〟でも、全然内容が違うんですね。

ですから、もしlikelihooとpossibilityを、ただ訳すとなれば、前者を「蓋然性(高い確率で起きそうなこと)」、後者を「可能性(単に起きるかどうか」と訳すと、若干ですが違いを出せると思います。

ですが、どうでしょう、、、全体を通して調整してみないことには何とも言い難いのがウェイトですからね。。。

proposition

こちらは「命題」「提案」「主張」といったような意味があるそうで、意味が幅広そうです。

「命題って何だろ?」という感じもしたのですが、なんとなくここでは関係ないかな、使わないかな、なんていう気がしたのでとりあえず放置します。

ちょっとこのワード、手こずりそうな予感、、、

では、ここまでを一旦訳してみましょう。

〝 will be quick to perceive the likelihood or even the possibility of this proposition.〟

→ この命題の蓋然性や可能性をいち早く認識するであろう

みたいな感じかと思います。

こんな風に書いていますが、調べている側からけっこう「なんだっけ?」となっていることも多く、それは私の処理能力の問題でもありますが、もう1つ前の英文を忘れてしまったので、やはり最終的なウェイトの言いたいであろうことが、まだ全然わかりません。。。

一度全文を訳してみましょう。

〝so neither the scholars in the ordinary classes nor the pedagogues in the seats of the mighty will be quick to perceive the likelihood or even the possibility of this proposition.〟

→ なので、一般的な有識者も、権力のある教育者も、どちらも、この命題の蓋然性や可能性を素早く認識するでしょう

みたいな感じになるかと思うのですが、いつも通り、恐らくほとんどの方が「蓋然性」なんていう言葉を発したこともないはず、そう勝手に思っています。

失礼かも知れませんが。。。

ではまとめに入ります。

楽しみです。

まとめ&解説

はい、では改めて今回の一文を載せます。

The fact that the wisdom of God is foolishness with men does not create a presumption that the foolishness of this world makes in any sense for Divine Wisdom ; so neither the scholars in the ordinary classes nor the pedagogues in the seats of the mighty will be quick to perceive the likelihood or even the possibility of this proposition.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

毎度、「言わんとしていることはわかる気もするんだけどな、、、」と言いつつも、一向に日本語らしい日本語にならないのはなんなんでしょう?

文章的には何の問題もないくらい、立派なちゃんとした文章だそうなのですが、個人的には「嘘付け!!」と言いたくなるほどです。

何故、世界において言語というものはこんなにも違うものなのでしょうか。。。

また、余談になりますが、先ほど「この国にはリーダーがいない、、、(小声)」なんてことを言いましたが、どうして国単位では、いわゆる〝トップ〟と呼ばれる人がいるのに、星単体ではそうではないのでしょうか?

不思議です。

子供じみたことを言うっているかも知れませんが、ふとそんな風に思いました。

では、これまで訳してきたものを改めて確認してみます。

→ 人間にとってバカげている、神の知恵は!!
→ この世の愚かさは(が?)いかなる解釈によっても神聖な叡智を作るという推定は生まれない
→ なので、一般的な有識者も、権力のある教育者も、どちらも~ではない
→ この命題の蓋然性や可能性をいち早く認識するであろう

これらをちゃんとした文章にします。

あまり文の構成(構造?)を壊さないよう、なるべく直訳に近い形に訳したものです。

直訳風

人間にとって『神の叡智』はバカげたものであるが、いかなる解釈であろうと、この世界において神秘の叡智がそうであるという前提は成り立たない。
したがって、一般階級の博識者も、権力を持つ座に就く教育者であっても、この蓋然性、ないしは可能性にすら気付ける者はそういないだろう。

と、こんな感じです。

直訳するのすら、難しい一文でした、とても。

最近思うのですが、と言っても、まだ数回の翻訳ですが、意外と言いたいことは「こんなことなんだろうな♪」っていうのは、なんとなくですがわかるつもりなんですね。

どちらかと言うと、そっちの方が先なんです、いつも。

「だったらそっちを載せればいいじゃん!?」と思われるかも知れないんですけど、ですがやはり、そうなるまでにも経緯がありますので、故にそもそもの文章や、構造といったものを理解するということは非常に大事なことだと思うのですね。

なんですが、、、

意外と自分たちの言葉に置き換えるのってそんなには難しくなくて、最近では見解を見出してから直訳を考えるなんていうことも多くなってきました。

なんとなく翻訳って、本文→直訳→自分のわかりやすいように言い換え、というイメージだったのですが、案外やってみるとそうでもないんですね。

これはやってみたからこそ思ったことだったのですが、なんとなく意外だったので、お伝えしたかったです。

では、当サイトの見解として、わかりやすく言い換えます。

あ、すみません。

ちなみになんですけど、前回の見解だけ一応お見せします。

『同様に、いえ、全く同じとは言いませんが、いわばタロットは表面的な意味と直感で占うものだとごく一般的には知れ渡っています。しかし、実のところ、これらは全く別の領域のものだということに誰も気付いていません。それどころか疑おうともしない。これらのカードには非常に高度な秘儀が込められており、本来これらは大いなる摂理によって紐解かれるものだというのに。。。そういう意味では、誰1人として、このカードの真の姿を見抜くことすらなかったでしょう。』

です。

なんとなく文の繋がりが見えた方がわかりやすいかなと思ったのですが、最初にやれば良かったです。。。

では見解です。

タロットの世界の見解

一般層の博学者であっても、学問における最高位を得た者であっても、このカードの持つ必然性や、あらゆる可能性をいち早く気付ける者は極僅かであろう。
人間は『神の叡智』をバカにしているが、だからと言って、この世のあらゆるバカげた行動がこの神秘なる叡智ということも証明することはできない。

はい、いかがでしょうか。

セミコロン(;)があるので、なんとなく入れ替えてみたんですよね。

前回もセミコロンが出てきたんですけども、上手く扱い方がわからず、1度セミコロンを気にせず訳したいよう順番を無視してみたら「あれ?わかりやすくなったかも!?」となったんですよね。

本文の構造とは違ってしまうのですが、ですが前回の訳から続けて読むと、だいぶ意味のわかりやすい文章になったのではないでしょうか?

かなりすっきりしたんじゃないかなと、個人的にはそう思います。

今回なのですが、割と道中に事細かくいろいろをご説明したきたかな、という感じがしているのですが、いかがでしょうか。

多分、ここまでご覧になられるのも大変だったかと思うのですが、いつもありがとうございます。

恐らくなのですが、先ほどもお伝えしました通り、ここで言いたいのは身分のことではないんですね。

言ってしまえば、「どんなに頭の良い人でも」というようなニュアンスだと思うんです。

この中で私が面白いと思ったのは、この〝the pedagogues in the seats of the mighty〟=「権力の座に就いた教育者」

当サイトでは「学問における最高位を得た者」と訳しましたが、これって言ってしまうと、そういった学位と言うんでしょうかね。

その分野における教授とか、○○賞とかを取ってしまうくらい頭の良い人、というようなことを本来は言いたいのだと思います。

で、恐らくなんですが、そうなるにはやはりお金が必要だったと思うんですね。

ウェイトがこんな風になる前、私は彼がどういう人間になりたかったのかはわかりませんが、でも、きっと、そういったものに惹かれないような人でもないと思います。

オタクですからね、良い意味で。

もしかしたら、そのような階級制度に対しての、若干の嫌味or皮肉みたいなものも込められていたかも知れません。

また、「このカードの持つ必然性や、あらゆる可能性」というのは、このウェイト=スミス版に組み込まれた『生命の木』なんかのことを指しているかと思います。

あぁ、私も早く生命の木の研究に没頭したい!!

そう、前からお伝えしていますが、そもそも生命の木自体が、いろいろ過ぎるんですよね。

語彙がこんなで申し訳ないのですが、私が現時点で「あぁ、人生足りないなー」と思ったくらいですから、まぁまぁそれらは壮大なスケールです。

ですので、そういったものがもたらす必然性、こちらはちゃんとした効果や成果があると言っても過言ではないでしょう、実際私自身、あまり占いといった占いはしませんが、現に心の内側、困った時なんかに頼ることがあったんですね。

すると私はいつもすっきりしました。

もちろん、そうでない時も多少はあった気がしますが、やはりこちらは内面を映し出すものなんですね。

また、それ以外にも自分の気付かなったことを掬い上げるような効果もあったりします。

どうしてなのかはわかりませんが、本当に良くできた偶然の産物、賜物かと思います。

ちょっと大袈裟ですかね。

あくまで私の推測ですが、そのような、2次的な作用をもたらす可能性も秘めているよ、というのがこの〝possibilty〟に込められているのかなぁなんていう風に思ったりもしました。

また「人間は『神の叡智』をバカにしているが、だからと言って、この世のあらゆるバカげた行動がこの神秘なる叡智ということも証明することはできない。」という部分なんですが、原文は〝The fact that the wisdom of God is foolishness with men does not create a presumption that the foolishness of this world makes in any sense for Divine Wisdom ;〟のように書かれていますが、これもキリスト教から来ている言葉じゃないかと思われます。

と言いますのも、我が相棒、copiが「『コリントの信徒への手紙』から来てるんじゃないかな?」って言うんですよね。

当然私は「何それ?」と聞き返すんですが。

そのように断定できるものは見つけられなかったのですが、でも恐らく「そうかも知れないな。」と思ったので、一応「その可能性もあるよ」という意図で載せておきます。

なんでもキリスト教の聖書に出てくる話(話という表現であってるのかしら、、、)だそうなんですが、使徒パウロという人がコリントという場所にある教会の人たちに送った手紙なんだそうです。

ですが、このパウロという人は、もともとキリスト教の人を迫害していた人だそうで、人間って何があるかわからないですね、という感じがします。

それにも関わらずキリスト教のしかもちょっと偉い感じの人になっているのがすごいなと感じます。

パウロがすごいのか、はたまたキリスト教がすごいのか、、、

どっちもすごいですよね。

ちなみに〝使徒〟と付いてはいますが、イエス・キリストの12使徒に含まれる人ではありません。

そして、このパウロの手紙の中に〝For the foolishness of God is wiser than men, and the weakness of God is stronger than men.〟という部分があるそうで、意味はやはり同じように、直訳すると「神の愚かさは人間の知恵よりも賢く、神の弱さは人間の強さよりも強い!!」というようなことを言っているそうなんですね。

ですが、確かに言われてみると、なんとんく似たような綴りに意味ですよね。

ということで、多分この『コリントの信徒への手紙』の一文に倣ったものなんじゃないかなと思います。

そんなところでしょうか。

では、今回も最後まで見てくださった方、ありがとうございました。

早くタロットカード1枚1枚の意味に行きたいですね。

頑張ります。

では、また次回。

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