『The Pictorial Key to the Tarot』を解読しながら訳していく Vol.13

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『The Pictorial Key to the Tarot』を解読・翻訳するシリーズ第13回のアイキャッチ画像。タロットの歴史や解釈を深掘りする内容を示す視覚的な要素を含む。

こんにちは。

前回『ウェイト=スミス版タロットに秘められた謎(神秘)について、その辺にいる物知り博士であっても、何かの分野に秀でた研究者のような人であっても、それに気付ける人はそういないよ』というような内容でした。

要は「どんなに頭の良い人でも、そう簡単に気付ける人はいない」というようなことだと思います。

私もそう思います。

恐らく、ウェイト=スミスタロットに組み込まれたこの仕組みを元から知っていた人以外には、この地球上の誰1人として、これらのカードの裏側にある世界観に気付ける人はいないと思います。

もしかしたらいるかも知れませんが、確かにそれはウェイトが言うように、極めて稀でしょう。

想像もつかないくらいの世界観が待ち控えています。

この謎、もしくは神秘、と言うのは、紛れもなくウェイト=スミス版に組み込まれた『生命の木』のことを言っているのだと思います。

生命の木については今ここでは述べませんが、ぜひ1度で良いので調べてみてほしいです。

一見ではあまりぴんとは来ないかも知れませんが「想像を絶する壮絶さ」と言っても過言ではないくらい、たった1枚の、これらのカードを見ているだけでは、思いもよらない世界に繋がっています。

本来ならば、私がここで「生命の木はこういうものだよ」ということをお伝えできたら良かったのですが、まだサイトを開設したばかりでそこまで手が回りません。

また私の語彙では、それを一言にまとめることはできないと思うので、もし少しでも興味を持たれた方がいらっしゃいましたが、ぜひ検索してみてください。

きっと面白いと思います。

では、今回もやっていきましょう。

今回の一文

今回の一文です。

The subject has been in the hands of cartoman-cists as part of the stock-in-trade of their industry ; I do not seek to persuade any one outside my own circles that this is of much or of no consequence ; but on the historical and interpretative sides it has not fared better ; it has been there in the hands of exponents who have brought it into utter contempt for those people who possess philosophical insight or faculties for the appreciation of evidence.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

またかなりの長文です。

これを4つに分けます。

copiが学習してくれているのか、とてもわかりやすく分けてくれたので、ほとんどそれを引用しました。

1.業界の状況について書かれている文

〝The subject has been in the hands of cartoman-cists as part of the stock-in-trade of their industry ;〟

2.個人的な立場について触れられている文

〝I do not seek to persuade any one outside my own circles that this is of much or of no consequence ;〟

3.歴史的・解釈的な扱い

〝but on the historical and interpretative sides it has not fared better ;〟

4.知的な人々からの評価

〝it has been there in the hands of exponents who have brought it into utter contempt for those people who possess philosophical insight or faculties for the appreciation of evidence.〟

またこれらの各文章の中でも細分化していきます。

ではよろしくお願いいたします。

The subject has been in the hands of cartoman-cists as part of the stock-in-trade of their industry ;

はい、ではこちらからやっていきます。

cartomancists

先に〝cartoman-cists〟についてなのですが、こちらは本書の改行時に用いらてれるハイフンですので正しくは〝cartomancists〟という単語になります。

ですが、これはウェイトによる造語かと思われます。

一般的な英語では〝cartomancer〟という言葉が使われるそうで、意味は「カード占い師」という意味だそうです。

同様に〝cartomancy〟で「カード占い」という意味だそうで、恐らく、表面的には「カード占い」というような意味でウェイトも使っているのではないかと思われます。

ですが、もう少し調べてみたのですが〝cartoman〟という単語も存在せず、〝carto〟であればなくもないのですが、意味と言いましょうか、使い方が少し特殊で、地理情報のシステム用語だったり、医療機器の名前だそうなんですね。

恐らくこれらは関係ないかな、という感じがするのですが、一応ラテン語でも調べてみましたが〝carto〟という単語はなく、〝chata(地図/紙)〟という単語から派生した〝cartograpy(地図作成)〟という言葉ならあるようのですが、恐らくこれも違うかな?という気がします。

ですが、後ろの〝cists〟であれば元を〝cist〟と言いまして、こちら「石棺」「古代の墓」という考古学の専門用語があるみたいなんですが、なんとなくですがこれには少しぴんと来ます。

要はそれらを複数形にしたんですね。

〝cartomancists〟という単語は存在しませんが、恐らく、ウェイトは「カード占い的な+墓」みたいなことを言いたいのだと思うんですね。

意味はまだよくわかりませんが、これまでのことを考えると、このような単語が出てきてもおかしくはない気がするんです。

〝The subject has been in the hands of cartoman-cists〟ここまでで「このテーマはカード占い的+墓の手中にある」みたいな意味になると思います。

ふむふむ、なんとなく言わんとしていることはわかりませんか?

上手く言葉にはできないのですが、でもこういった単語単語でもコミュニケーションって成り立つんだなって気がしますよね。

やっぱり受け取り方って大事だと思うんですよね。

では次〝as part of the stock-in-trade of their industry ;〟行きます。

なんとなく言わんとしていることはわかるような気がするのでフレーズで見ていきます。

as part of

「~の一部として」ですね。

the stock-in-trade

こちらは熟語で、「業界における標準的な商売道具/技術」といった意味だそうです。

「商売道具」だなんて、それらしい単語が1つでありそうですけど、意外とこのような組み合わせの言葉なんですね。

続く〝industry〟は「産業/業界」という意味ですので、全体的には「それら(タロットカード)の業界の商売道具の一部として」という意味になりますね。

、、、〝表面的には〟と添えておきましょうかね。

先ほどの私の推測が正しければ、もしかしたらもっと嫌味込めて言っている感じもありますけどね。

では一旦まとめます。

2種類あります。

〝The subject has been in the hands of cartoman-cists as part of the stock-in-trade of their industry ;〟

① → このテーマは、カード占い師の手中にある、それらの業界の(標準的な)商売道具として、
② → このテーマは、、、それらの業界における標準的な商売道具の一部として、カード占い師の手中にある。

言ってしまえば前後を入れ替えただけなんですが、多分恐らく、一般的な訳であれば前者なんですが、私のぴんと来る方では後者、という違いです。

後に続く文章によって、また変わってくるかも知れませんが、今のところそのような形にしておきます。

では次に行きたいと思います。

I do not seek to persuade any one outside my own circles that this is of much or of no consequence ;

では、知っていそうで実は知らない単語からやっていきます。

seek

こちらは「探す」や「求める」「試みる/努力する」という意味だそうです。

みんな大好き安室ちゃんこと、安室奈美恵さんの曲に「hide & seek」という曲があるんですが、seekと聞いて、それを思い出しました。

「あれは、隠れると探すという意味だったんなぁ。。。」なんて思っていたんですけど、そうです、「かくれんぼ」という意味になるのですね。

余談でした。

ですので〝I do not seek 〟は「私は~探さない(追い求めない)」みたいな意味になってくると思います。

〝don't〟とせず〝do not〟って言うの、なんか好きです。

persuade

こちらは「パースウェイド(米)」「パスウェイド(英)」という発音で、「説得する」「納得させる」というような意味だそうで、〝I do not seek to persuade〟は「私は納得させることを追い求めない」というような意味になると思います。

そして〝any one〟とありますが、恐らくは、本来「誰でも」という意味の〝anyone〟だと思うのですが、〝any one〟とすることによって「いずれかの1人」みたいな意味として使われることがあるそうです。

続く〝outside(~の外側)〟〝my own circles(私自身の属する集団/仲間内)〟は大丈夫そうですかね。

というわけで〝I do not seek to persuade any one outside my own circles〟は「私は、自分が属する集団の外側にいる誰にも、~について納得させようと追い求めることはありません」というようなこと言っているかと思います。

またすぐ出てくる〝consequence(結果/影響)〟は少し前にやりました。

〝that〟以降の部分で、「○○を納得/説得させようとは思わない」ということが明らかになりそうですね。

〝of much or of no consequence ;〟は〝conseqience〟について「そうなのか、そうではないのか」というようなことを言っていて、「大きい影響か、影響はないか」というようなことを言っています。

まとめます。

〝I do not seek to persuade any one outside my own circles that this is of much or of no consequence ;〟

→ 私は自分が属する集団以外の誰にも、これが重要かそうでないかの説得を追い求めない。

という感じの意味になると思います。

敢えてそれらしい日本語にしはませんが、言わんとしていることはわかりますよね。

では次に行ってみましょう。

but on the historical and interpretative sides it has not fared better ;

〝but〟= しかし
〝on the〟= ~において
〝side(s)〟= 側面
〝better〟= より良い

この辺りは大丈夫そうですよね。

〝historical〟も見てわかるように「歴史的な」という意味です。

interpretative

こちら「何かを説明/解釈するためのもの」というような意味だそうです。

直訳すると「解釈的」みたいな感じなのですが、恐らく文章から推測するに「歴史的、解釈的」と、これら2つのことから言いたいことがあるのだと思います。

fare(d)

こちら名詞だと「運賃/料金」「乗客」「食事/料理」という意味になりますが、この文章では動詞として出てきますので「成り行き/状況」といった意味になるそうです。

あまり意味に統一感がないですね。

恐らく私がこの単語を使うことは一生なさそうな気がします、はい。

では、訳してみましょう。

〝but on the historical and interpretative sides it has not fared better ;〟

→ しかし、歴史的において、また解釈という側面においても、それは良い状況になっていない。

かなり愚直ですが、もちろんざわとですが、おおまかにはこんな感じです。

it has been there in the hands of exponents who have brought it into utter contempt for those people who possess philosophical insight or faculties for the appreciation of evidence.

はい、少し長いのですが話が繋がっているので頑張りましょう。

知らない単語がちらほらありますが、こちらの文自体はなんとなくわかりますので、前から順番にやっていきたいと思います。

〝it has been there〟は「それはそこにずっとあった」みたいな感じです。

何でしょう?

〝in the hands of 〟また何か「手中」と言っていますが、ここでは誰の手中でしょうか?

exponents

こちらは数学的な意味では「累乗の指数」というものを指す言葉なんだそうですが、私にはこの日本語の意味がわかりませんでこのままスルーさせていただきます。

数学は中学レベルも怪しいんです。。。

ですが、この文章では「ある考えや活動を支持・推進する人」という意味だそうで「提唱者/支持者」といった意味として使われています。

呪文でも唱える人のことなんですかね。

というわけでこの「提唱者の手中」と言っています。

続きまして〝who have brought it into utter contempt〟とありますが、こちらは今の「提唱者」を紹介している文みたいですね。

brought

こちらは〝bring〟の過去形ですね。

私、この単語を習った時のことをすごく覚えています。

意味は「持ってくる」「運ぶ」みたいな感じなんです。

私がこれを習ったのって中学校の英語の時間だったのですが、当時、私は「〝take〟があるのにこれも〝持ってくる〟なのか、、、」と、同じ意味なんだと勘違いしていたんです。

ですが、当時の英語の先生が割とおじいちゃん先生で、いっつもタバコ臭い先生だったんですけど、授業中、単語を覚えさせるためにダジャレを織り交ぜて来るんですよね。

「9th(ninth)の〝e〟はナインスヨ(無いんですよ)♪」なんて言う先生だったんですね。

意味わかります?

序数詞って言うんですけどね、1から数える時に「ファースト(1st)、セカンド(2nd)、、、」っていう数え方があるじゃないですか?

で、4以降はだいたいが既存の綴りに〝th〟を付ければいいんですけど、9(nine)は綴りの〝e〟を抜いて〝th〟を付けるんですね。

ばっちり記憶に残っていて、ふと思い出してしまいました。

同様に、この〝bring〟ではそのようなダジャレは言ってなかったのですが、「takeは持っテイク(take)!!」ということを言っていて、なんとなくそれで「takeは〝持っテイク〟だから、bringは〝持ってくる〟だ」なんていう風に覚えていたのですが、意外と大人になっても覚えているものなんですね。

有難いですね。

それにしても、今まで思い返すことすらなかったのですが、私が中学生の頃は、まだ校舎の中でタバコが吸える場所があったんだなぁということに驚きです。

時代は変わりましたねぇ、、、次行きます。

utter

こちらは「完全な」とか「徹底的な」という意味です。

この文章では形容詞なので、このような意味ですが、動詞では「言葉を発する」という意味になるそうで、本当「全然違うやん」という感じがします。

いざ「日本語にもこういったのあったっけかな?」なんて考えてみますが、全然出てきません。。。

興味深かったので少し探してみたのですが、ここまで乖離したようなものは日本語にはないかも知れません。

どうしてなんでしょう。。。

まぁ、いいか。

contempt

こちらは「軽蔑」「侮辱」「見下す」というような意味です。

もはや、これらの単語が出てきたことで、言葉にせずとも何と言いたいのか、なんとなくでもわかる気がしますよね。

音の響きからは全然そんな感じしませんが、これで〝who have brought it into utter contempt〟はわかりそうですかね。

「それを完全に軽蔑な状態に持ってきた人たち」みたいな感じで、まぁ早い話「野次馬」みたいな人を指すんだと思います。

要は「タロットの価値を失わせた人たち」みたいな、そんな感じのことを言っているのだと思います。

続きまして〝for those people who possess philosophical insight〟ですね。

〝for those people〟は「それらの人々にとって」というような意味です。

possess

「ポゼス」というような読み方で意味は「所有する/持っている」「能力や特性を持つ」「(感情が)取りつく/支配する」というのがあるそうです。

こちらもなかなか使い方の幅が広いこと。。。

どの意味が適当でしょうか。

ちょっと先を見ないと、どう訳せば良いのかわかりません。

philosophical

こちらは「哲学的な」という意味だそうです。

ギリシア語の〝philisophia〟という「知を愛する」という言葉が元となっているそうです。

なんとなく素敵です。

insight

こちら「洞察」「深い理解」「物事の本質を見抜く力」というような意味があるそうです。

というわけで、こちらは「哲学的な洞察力のある人たちにとって」というような意味になります。

そして最後〝or faculties for the appreciation of evidence〟ですね。

〝or〟はいいですね。

faculties

「ファカルティーズ」というような発音で元は〝faculty〟という単語の複数形になります。

「能力」や「技能」といった意味があるそうで、大学の教授陣なんかも指すそうなんですが、個人的には「へ?スキル(skill)とどう違うの?」という感じでしたので調べてみました。

・skillはどちらかと言えば後天的
・faculty(fuculties)はどちらかと言えば先天的+後天的

という感じだそうです。

私的には「じゃぁ、私がだらしないのはfacaltiesで、こんな風にPCを触ることができるのはskillなんだな♪」なんていう風に思いました。

「だらしないのは能力じゃないでしょ!!」なんて思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、、、世の中には休むことが苦手なんて方もいましてね、そういった意味では私は休みのプロ、もはや『サボりのプロ』と言えるわけです。

全然かっこよくないですけど。。。

では続けます。

appreciation

「なんか聞いたことあるな~」って感じもしますが意味という意味を知りません。

「評価」「理解「感謝」「価格の上昇」といった意味だそうで、以前カナダに行ったときに「Thank you!!」と言うよりも、日本人だからこそ?的な感覚で、ありがとうを伝えたいと思った時に「I appreciate、、、」を連発していたのを思い出しました。

拙い英語で頻発していましたが、相手の方にとっては私が外国人ですから、意外と「おぉ!!」みたいに、新鮮に受け取ってくれているような感じがしていました。

その時は、もっと文法なんてハチャメチャだったと思うのですが、やはり受け取る側が「何て言ってるのか聞き取ってあげたいな」くらいに思ってくださる方ですと、恐らくはそんな文法みたいなものは大した問題ではなかったように思えてしまうんですよね。。。

ということなんですが、「感謝」という意味はありますが、これまでの文面を見る限りでは、とても「感謝」が出てくるだなんて思ってもみませんでしたから、完全にど忘れしていました。

恐らくここでの使い方としては「評価」辺りが妥当じゃないですかね。

evidence

こちらもよく聞く気がしますが「何のこっちゃ?」って感じです。

「証拠」「根拠」「形跡」という意味だそうで、一体どんな話をしているのかわからなくなってきました。

一度、まとめますが〝or faculties for the appreciation of evidence〟は「もしくは根拠を理解する能力を持つ人たちにとって」みたいな感じになるかと思います。

全部まとめられそうですかね。

〝 it has been there in the hands of exponents who have brought it into utter contempt for those people who possess philosophical insight or faculties for the appreciation of evidence.〟

→ それは長らく、洞察力の長けた哲学者や、根拠を理解できる能力のある者たちに、それ(=タロット)を完全に軽蔑される状態へと導いた者たちの手の中にあった。

日本語としてはおかしいですが、恐らく言いたいことは「こうだよね?」というのは、割と想像しやすいかと思います。

ではまとめに入ります。

まとめ&解説

はい、では今一度、今回の一文を載せます。

The subject has been in the hands of cartoman-cists as part of the stock-in-trade of their industry ; I do not seek to persuade any one outside my own circles that this is of much or of no consequence ; but on the historical and interpretative sides it has not fared better ; it has been there in the hands of exponents who have brought it into utter contempt for those people who possess philosophical insight or faculties for the appreciation of evidence.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

そして、これまでに訳したものを載せます。

→ このテーマは、カード占い師の手中にある、それらの業界の(標準的な)商売道具として、
→ 私は自分が属する集団以外の誰にも、これが重要かそうでないかの説得を追い求めない。
→ しかし、歴史的において、また解釈という側面においても、それは良い状況になっていない。
→ それは長らく、洞察力の長けた哲学者や、根拠を理解できる能力のある者たちに、それ(=タロット)を完全に軽蔑される状態へと導いた者たちの手の中にあった

また、前回の見解も載せます。

一般層の博学者であっても、学問における最高位を得た者であっても、このカードの持つ必然性や、あらゆる可能性をいち早く気付ける者は極僅かであろう。人間は『神の叡智』をバカにしているが、だからと言って、この世のあらゆるバカげた行動がこの神秘なる叡智ということも証明することはできない。

そして、今回の直訳風です。

直訳風

ここでの主題は、長らくカード占い師たちの手の中にある、それらの業界の(標準的な)商売道具として。
私は自分が属する集団以外の誰にも、これが重要かそうでないかの説得は追求しない。
しかし、歴史的な側面、また解釈という側面においても、それは良い状況にはなっていない。
それらは長らく、洞察力の長けた哲学者たちや、根拠を理解できる能力のある者たちによって、それを完全に軽蔑される状態へと導いた者たちの手の中にあった。

こんな感じでしょうか。

言わんとしていることはわからなくもないですよね、日本語としては不十分なところは多々ありますけど。。。

ですがやはり忠実に訳すとこのような形になってしまうのですよね。

そして、これらをなるべくわかりやすくしたものがこちらになります。

タロットの世界の見解

ここで言いたいことは、、、長いこと、タロットカードはタロット業界における商売道具の1つとして、カード占い師たちの手中にあった。
私は、私が属している集団以外には、このことが重要なのか、またはそうでないのかということにおいて、説得したり追求しようとも思わない。
だが、歴史的な観点や解釈といった側面からでは、決して良い状況になったとは言い難い。
本来であれば、洞察力に長けているはずの哲学者たち、また証拠や根拠を正しく評価できるはずの者たちによって、それは完全に蔑まれる物として広められてしまった。

はい、というような感じなのですがいかがでしょうか。

少し解説をします。

「ここで言いたいことは、、、」は、特に訳す必要も本当ならないと思います。

ここまでの流れから〝The subject〟が表すものはタロットカードだということはわかると思うので。

なんとなく単発的に見てくださった方のためを思って、そのように付け加えました。

また、個人的に「ちょっと面白いな」と思ったのが、先ほどの〝cartoman-cists〟のところでもお伝えした通り、これはウェイトの造語だと思われるのですが、この〝cist(墓)〟の使い方が絶妙だなって感じがしました。

ちょっと大きな声では言えませんが、、、仮に「お墓」みたいな意味を込めて使っているとしたら、要は「カード占い師として終わってる人」と言いたいようではありませんか?

私の言い方だと、ややストレート過ぎるかも知れませんが、恐らく敢えてそのような言い方をしているんだと思うんですよね。

もし仮に、ウェイトが、いわゆるそのようなカード占い師に対しても、少しの尊敬の念や、敬いの気持ちでも持っていたとしたら、恐らく、このような言い方はしないと思うんです。

きっと、もっと〝神〟や〝神秘さ〟を感じ取れる言葉を選択したと思うんですよね。

ウェイトがここで言いたいようなことを物凄く簡単にすると、前回の一文ともとてもよく似ているんですよね。

何でしたっけ?

韻を踏む?

恐らく『韻を踏む』って、元は音楽用語だと思うのですが、ウェイトの文章にも割とこの『韻を踏む』みたいなところがあると思うんです。

前回は『一般層の博学者であっても、学問における最高位を得た者であっても、このカードの持つ必然性や、あらゆる可能性をいち早く気付ける者は極僅かであろう。人間は『神の叡智』をバカにしているが、だからと言って、この世のあらゆるバカげた行動がこの神秘なる叡智ということも証明することはできない。』というようなことを言っていました。

で、今回も似たようなことを言ってるんですが、気付きました?

ローゼンクロイツとイエス・キリストの話もそんな感じの内容でしたよね。

その時は「韻を踏んでるのかな?」なんて思いもしませんでしたが、こうやって訳していると、文章にも音がある、と言うと少し違いますが、文の構造も、使っている単語の意味も、リズムのようなものがあるのですよね。

で、今回の一文の言いたいことって、早い話、「タロットカードを単に商売道具として扱ってる占い師連中も、それにタロットを蔑む物のよう世間に広めている一見は洞察力なんかが優れていると思われている者たちも、結局はこれが(タロットが)どれだけ価値のある物なのかわかってないんだよね?ん?別にそういう人たちをね、敢えて説得しようなんて思いもしないけど、身内でもないし?けど歴史的な観点から言ってもそれはあまり良い状態とは言えないと思うんだよね。」というようなことなんだと思うんですよね。

ちょっと行き過ぎてるかも知れませんが、ずっと遠回しに抽象的なことを言いつつ、でもしっかりと、緻密に罵倒し、そして何故か対比するような象徴を用いているんですよね。

そして、最終的には「けどそうは言っても知らないんだよね?」と、やはりすごい遠回しに否定と言いますか、嫌味のようなものが込められているかなと思います。

具体的に言いますと、、、

前回の『一般層の博学者であっても』に値するのが『タロットカードを単に商売道具として扱ってる占い師連中たち』
こちらも前回のもので『学問における最高位を得た者』に値するものが『洞察力なんかが優れていると思われている者たち』

そして、言い方としてはどちらも「世間から見ては○○だよね?」と、一見評価しているような言い方はしているんですけど、〝cist〟を用いたりして、むしろそういった人たちをウェイト自身、蔑んでいるかのような、、、と言いますか、しっかりバカにしていると思うんですよね。

多分恐らく、当時、これを読む人たちが神秘主義に属した人たち、通称神秘族であれば、きっと私と同じような読み方ができるんだと思うんです。

ですが、やはり非神秘族、一般の人たちや、そういったものに関心のない人たちにとっては、きっと、そんなことが書かれているとは、夢にも思わないはずです。

表面的には、ウェイトは自分が蔑んでいるであろう人たちのことをちゃんとした文章として書いていますし、それもどちらかと言うと、持ち上げるような書き方をしていると思います。

また今回の一文でとても苦戦したところがあって、それが〝 it has been there in the hands of exponents who have brought it into utter contempt for those people who possess philosophical insight or faculties for the appreciation of evidence.〟なんですが。

これ、やはり普通に訳してしまうと、先にお伝えした直訳風みたいになるんです。

『それらは長らく、洞察力の長けた哲学者たちや、根拠を理解できる能力のある者たちによって、それを完全に軽蔑される状態へと導いた者たちの手の中にあった。』

こんな感じですね。

なんとなく言わんとしていることはわかりますが、依然として、個人的には「なんかはっきりしないな、、、ぶつぶつ」という感じで、しばらく頭を悩ませていたんですね。

なんか、一見持ち上げているのに、もちろんそれもウェイトマジックだということはわかっていたのですが、なんとなく「いや、けどウェイトがそんな簡単にまっすぐに、持ち上げるわけがない!!」みたいに思っていまして、この一文の単語単語をかなり細かく見ていったんですね。

すると、意外な発見があったんです。

〝possess〟という単語がありました。

意味もさらっとやりましたが、このpossessが単に「所有」という意味ではなく、「持つべきものを持っている」というニュアンスが含まれる単語だったんです。

「なるほど、そう来たか、、、。」と、閃いたんです。

そうやってまた遠回しに否定しているんですよね。

すごいですよね。

彼、面白すぎるんですけど。

結局のところ、彼が何を言いたいのか?と、まとめますと、、、

「哲学者って洞察力があるはずなんだけどなぁ、、、それなのにタロットのこと理解できないの?」

「証拠や根拠を評価したり、理解したりする能力があるんだよね?それなのにタロットを蔑視できちゃうの?」

というようなことをむちゃくちゃ遠回しに言っているんですよね、恐らく。。。

ですがどうでしょう?

これだとすると、ウェイトがあたかも表面的にすんなり持ち上げているのにも納得がいきませんか?(笑)

また、これは後付けと言いますか、ここまでの文章を読んだだけではわからないことだと思うんですが、でも一応参考になればと思ったのでお話しさせてください。

というかまだ序文なんですよね。

なんか毎度毎度物凄く激しい戦闘を終えた後みたいな思いでいるんですけど、まだ序文だったんですよね。。。(遠い目)

気持ちを切り替えまして、、、何をお伝えしたいのかと言いますと、ウェイトが〝but on the historical and interpretative sides it has not fared better ;〟=『だが、歴史的な観点や解釈といった側面からでは、決して良い状況になったとは言い難い。』というようなことを言っていますが、これ不思議に思った方いらっしゃいませんでしょうか?

と言いますのも、ウェイトの視点から何を思ってそう言っているのか?ということなんですね。

歴史の何を見たらその時のタロットの状況が良くないと感じるのか、また、直訳しますと「解釈の側面」というようなことも言っていますが、それが何だから状況が良くないと言っているのか、気にはなりませんでしたか?

私は、物凄く気になったので、またこれについても調べると言いますか、じっくり考え込んでいたんですね。

もちろんこれは私が考えたことなので、事実として受け止めず、一、考え方として聞いてください。

『歴史的な観点から』と言っているのは、恐らくですが、タロットが単なる商売道具として広まってしまっていること、何かもわからず軽視されるような広め方をされてしまっていること、というようなことに加え、当時のいわゆるよくあるその辺の占いの解説書なんかには「タロットはエジプトの秘伝から生まれたものだ」と書かれていたものもあったそうで、要は、占い師として終わっている連中や、頭が良さそうに見てても実際にはそうでもないような人の誤った解釈によって、本来の意味が酷く歪められてしまっている、それが長らく続いてしまっているから、それらを〝歴史的〟にという見方で良くない状況だと言っていると思うんですね。

実際のところ、確かに私自身、その時代に生きていませんから、やはり事実はわかりませんが、ですが、タロットの起源って、一応イタリアから始まっていて、そしてフランス、そしてイギリスといような形になっているんですね、今のところ。

ですから、そういった観点から見ても、タロットがエジプトの秘伝から生まれたものだ、なんていう誇張は、だたの謳い文句であり、売り文句でしかないと思います。

今の時代でも、こういったことを知らずに、好き勝手、そんな風に書いている(言っている)人は多い気はしますけどね。。。

そして『解釈の側面』ですが、こちらも恐らくですが、ウェイトの視点から見て「適当な印象操作をするんじゃない!!」というようなことだと思います。

また、ここまでの内容には書かれていませんし、私がこれまでタロットを通じて得た情報から勝手な推測をしているだけですが、恐らく今の時代とそんなには変わらないと思うんです。

根拠もないのによくそこまで誇張したり断言できるな、、、というようなことを、今の時代でも、いわゆる一般的な占いの解説書には、よく書かれています。

要は、そんなものでタロットの本来の価値を歪曲させるな!!、というようなことを言いたいのだと思うのです。

また、当時、いわゆるよくある占いの他にも、そういった類のもので流行っていたものがあるそうです。

先ほどの、偽エジプト秘伝という売られ方も1つですが、インチキ霊媒師なんかも多かったそうです。

どんなインチキかと言いますと、なんでも、タロットが霊と交信できるツールだと言って、隠し装置(が何なのかはわかりませんでしたが)を使って霊の声を装い、呼べもしない霊を呼んだかのように見せかけてお金を巻き上げる、という商売、、、いえ、手法があったそうなんですね。

私はそういったことにも全然興味がないのですが、仮にそれで救われる人もいるような気がするので一概に否定できないなと思うのですが、でもだったらそれっぽい物としてタロットを使うのではなく、普通にそういった力がある、としてやれば良かったんじゃないかな、と思いました。

まぁ、それでは格好が付かなかったんでしょうけど。

またタロットに、錬金術や数秘術の要素を無理矢理こじ付け、「このカードにはお金を生み出す力がある」なんて言う占い師なんかもいたそうです。

基本的には騙す方が悪いと思っていますが、今の時代を生きている私からすると「どっちもどっちじゃない?」という気がします、正直なところ。

今もそうですよね?

「稼げます!!」「いくらいくらもらえます!!」みたいな、そんな広告いっぱいありますよね。

本当、進歩がないなーと感じています。

また、「未来を予言できるぞ」という謳い文句で街角に立ち、占いを行う人もいたそうです。

本当に進歩していませんよね(笑)

まぁ、今も昔も、一定数こういった人たちがいる(いた)ということですね。

そして、こういった間違った解釈で知れ渡ってしまっていることを、ウェイトは良くない状況と言っているんだと思うんですね。

まぁ偉いですよね、ウェイトは。

ある意味「なんだこいつ?」みたいな立場になるのがわかり切っているじゃないですか。

こんな世の中(当時のですよ)で、それらの人たちとは違う、異議を唱えているわけですから。

私でしたら、多分放っておきますもんね(笑)

関わりたくないですもん、そういう人たちと。

それなのに、わざわざ嫌な思いをしてまで、そして恐らく批判的な意見が飛んでくるということも容易に想像できたでしょうに、それなのに立ち向かっていっているわけですからね。

もちろん、この推測(考察?)も正しいかはわかりませんが、解釈の側面というのは、こういったことが含んていると思いました。

というわけで、また長くなってしまったのですが、今回の一文についての解説は以上となります。

さて、、、満身創痍です。

ですが、やっぱり次が楽しみです。

今回はこれで終わります。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

また次回。

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