『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』を解読しながら訳していく Vol.1
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こんにちは。
この『The Pictorial Key to the Tarot』の序文である〝Reface〟の訳も一段落、少しゆっくりしようかなと思っていたのですが、いざゆっくりしてみると「次、何て書いてあるのかな、、、」と気になってしまいました。
まぁ、このような作業をしていても、どちらかと言うと至ってゆっくりで、、、
急ぐのも苦手な性格も相まって、休もうが休まなかろうが、あまり普段の生活と変わりありませんでした。。。
せっかくですから、この勢いに乗じて『The Pictorial Key to the Tarot』の【PART1】に入ってしまおうと思います。
ところで、すっかり暑くなってきましたね。
みなさん、変わらずお元気でいらっしゃいますか?
私は、良かれと思い、敢えて太陽の光が差し込む方向に机やPCを設置しているのですが(東南の方と言いましょうか)、日に日に「これ間違いだったかも、、、」と思うようになりました。
特に午前中は「うわぁぁぁ、、、目がぁぁぁ、、、」と、毎日ムスカ状態です。。。
何より、そんな環境ですから、日中が物凄く暑いです。
青森県全体のことはわかりませんが、私が今暮らしている弘前市は、雪はすっかりなくなり、夜はとても心地の良い風が吹くようになりました。
そんな風が吹く静かな夜は作業が捗ります。
しかし、、、
割と早い午前中から夕方に掛けましては、もう既に灼熱地獄が始まっております。
日当たりが良いという点においては恵まれているかも知れませんが、このままでは夏を迎える前に干からびてしまいそうです。。。
そう言えば、、、
「干からびる」で思い出したのですが、ミイラって何故いるのか、みなさんはご存じですか?
ご存じの通り、私は幼い頃からゲームが好きだったので、小学生に上がる頃には『腐った死体』や『マミー』といった、ゾンビやミイラなるものが割と身近にいました。
幼い頃からそれが当たり前でしたので、「何故ミイラっているんだろう?」とか「なんでゾンビっているんだろう?」だなんて、そんなこと1度も考えたことがありませんでした。(後者は実際にいないと思っていますが、、、)
昨年行った、池袋にあるオリエント博物館で、初めてミイラを見ました。
あれが本物だったのか偽物だったのか、、、もう思い出せなくなってしまったのですが、さすがに「ひぃぃぃぃぃ。。。」と、少し気持ちが悪かった記憶があります。
ですが、同時に少し嬉しかったです、実際に見たことはありませんでしたから。(再度お伝えしますが本物かどうかはわかりません。。。)
どちらかと言うと「ミイラは最初からミイラ」というような勝手な思い込みがあったのかも知れません。
ちょうど、エジプト神話なんかにも興味を持ち始めた頃でしたので、都度『ミイラ』と耳にすることは多く、ミイラについて知ることは必然だったのかも知れません。
昔は、死んでも、肉体さえあれば生き返らせることができると考えられていたそうです。
ですから、肉体の保存=ミイラが生まれたんですね。
「なるほど!!」と、その場ではす思ったと記憶していますが、今、改めて考えてみますと、、、
多分そのような行いが成功した試しは、、、
なんて言うと怒られてしまうかも知れませんが、ですがきっと1度もないですよね、、、きっと、、、
なのに、どうしてミイラという文化は終わらないのでしょう。。。。
日本にも、生きたままミイラになるという即身仏というものがあります。
「果たしてそれは本当に修行と呼べるものなのだろうか、、、」と、個人的にはそう思ってしまうのですが。
、、、あれ?
何の話をしているのでしょう。。。
あっ!!
これからもっともっと暑くなりますからね。
みなさんもぜひ、体調等崩さずご自愛くださいね。
ということです。
すみません、ご清聴ありがとうございました。
はい、では、本題に戻りますが、今回から新たな章に入ります。
なんて言ってしまうと〝Reface(序文)〟が、まるで物凄く大きな章だったかのように思われてしまいますよね。
規模としては全然そのようではありませんでしたが、個人的にはわずか5ページとは思えないほどの情報量だったんじゃないかなと、今思い返してみても「もうやれることはないな。。。」と思えるくらいです。
私の解釈があっているか、あっていないかは、それはまた別の話だと思いますが、当サイトが掲げています『表面的な解釈を超え』という信念を持って、常に最善を尽くせたと思っております。
変わらず、今後も明るくて楽しい魅力いっぱいなタロットの世界をお届けできればと思います。
では気持ちを新たに切り替えまして『The Pictorial Key to the Tarot』の小論の第1部である『The Veil and its Symbols』に突入したいと思います。
改めまして、よろしくお願いいたします!!

もくじ
改めて『The Pictorial Key to the Tarot』のご紹介(もくじ)
最初に、せっかくですでの、改めて『The Pictorial Key to the Tarot』の中身についてご紹介したいと思います。
・Reface(序文)▶▶こちら
・【PART1】The Veil and its Symbols
§1 INTRODUCTORY AND GENERAL
§2 TRUMPS MAJOR—Otherwise, Greater Arcana
§3 THE FOUR SUITS—Otherwise, Lesser Arcana
§4 THE TAROT IN HISTORY
・【PART2】The Doctrine Behind the Veil
§1 THE TAROT AND SECRET TRADITION
§2 THE TRUMPS MAJOR AND THEIR INNER SYMBOLISM
§3 Conclusion as to the Greater Keys
・【PART3】The Outer Method of the Oracle
§1 Distinction between the Greater and Lesser Arcana
§2 THE LESSER ARCANA
§3 THE GREATER ARCANA AND THEIR DIVINATORY MEANINGS
§4 SOME ADDITIONAL MEANINGS OF THE LESSER ARCANA
§5 THE RECURRENCE OF CARDS IN DEALING—In the Natural Position
§6 THE ART OF TAROT DIVINATION
§7 AN ANCIENT CELTIC METHOD OF DIVINATION
§8 AN ALTERNATIVE METHOD OF READING THE TAROT CARDS
§9 THE METHOD OF READING BY MEANS OF THIRTY-FIVE CARDS
・BIBLIOGRAPHY
目次と実際のページに書いてあるタイトルが大文字だったり小文字だったりでどちらを載せるべきか迷いましたが、私の独断でぴんと来た方を記載しています。
「何故、今更、、、」と思った方もいらっしゃるかも知れませんが、実は私も今ここで初めて『The Pictorial Key to the Tarot』の目次をまじまじと見ました。。。
改めて先は長いなと思いました。
まっ、ですが変わらず、こつこつ、前進あるのみ!!です。
では、本編に参りましょう。
PART1と§1のタイトルの意味
せっかくですから、この【PART1】に付いている『The Veil and its Symbols』というタイトルと、これから触れていく§1のタイトル『INTRODUCTORY AND GENERAL』も、ざっと見ていきましょう♪
ちなみに〝§〟は「セクション」と読みます^^
『The Veil and its Symbols』は、直訳しますと「ヴェールとそれの象徴たち」という意味になります。
恐らく、この【PART1】全体には、タロットの最も魅力的な部分とも言える、象徴そのものの意味や、象徴に隠された意味なんかについて書かれていると考えられます。
これらを読み解くことにより、更に理解が深まり、タロットがより楽しくなるということだと思います、きっと。
たった今ふと思い出したのですが、『Reface(序文)』の最初の方にもこの〝veil〟について扱ったことがあるのですが、この「ヴェール」も『生命の木』の中で使わている単語(用語?)でした。
以前〝veil〟を扱った時には、そんなこと思い出しもしませんでしたが、神様か何かの思し召しでしょうか。。。
ひとまずお伝えしておこうと思います。
そして§1の『INTRODUCTORY AND GENERAL』は、直訳ですと「入門と一般的な」というような意味になると思いますが、個人的には「序論と総論」というような感じがぴったりじゃないかな?という感じがします。
要は、タロットを始める際の基本的な考え方や、全体の概要や説明なんかが書かれているのでは?と思います。
まだ実際には読んでいませんので確実ではありませんが、恐らく、このような感じであっているかと。。。
いずれにしても、やることは変わりません。
ひたすら調べていくのみです!!
では先へ進みましょう。
今回の一文 両極端な視点が示すもの|理性の役割
では今回の一文です。
THE pathology of the poet says that "the undevout astronomer is mad" ; the pathology of the very plain man says that genius is mad ; and between these extremes, which stand for ten thousand analogous excesses, the sove-reign reason takes the part of a moderator and does what it can.
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
こちらを4つに分けます。
〝THE pathology of the poet says that "the undevout astronomer is mad"〟
〝the pathology of the very plain man says that genius is mad〟
〝and between these extremes, which stand for ten thousand analogous excesses〟
〝the sove-reign reason takes the part of a moderator and does what it can〟
※赤字のものは改行時に用いられるハイフンで、ハイフンをなくしたものが本来の単語になります。
もしかすると、この時点でお気付きになられた方もいらっしゃるかも知れません。
1番目と2番目の文章、ちょっと韻を踏んでいるような文章にも見えると思うのですが、わかりますか?
また例の如く、何かと何かを対比しているような文章かも知れません。
面白そうです。
では、1つずつ見ていきましょう。
〝詩人の病理学〟とは何か? 言葉の意味を追究する
はい、では最初の文章です。
〝THE pathology of the poet says that "the undevout astronomer is mad"〟になりますが、意味のわからない単語が多いので1度調べます。
・pathology → 病理学
・undevout → 信心深くない/不信仰な
・astronomer → 天文学者
※これらはほんの一例です。
意味としては、このような意味が妥当かなと思いますが、もう少し詳しく見ていきたいと思います。
正直、私自身、「病理学って何?」という気持ちです。
「パソロジー」と読み、「病理学」という意味を持つ〝pathlogy〟ですが、病理学というのは病気のメカニズムを解明するという分野のことだそうで、我々人間には欠かせないものだと思います。
すごく簡単に言いますが、例えば近年のことで言えば「コロナに掛かったかも知れない、、、」という疑惑に対して、そうであるかないかの判断を下せるようになったのは、まさしくこの病理学があるおかげだと言えます。
〝病理医〟と呼ばれる職業があるのだそうですが、ご存じでしたか?
私は初耳でした。
その病理医と呼ばれる人によって、病気が体の細胞にどのような影響を与えるのか研究がされるそうです。
病理学の起源は古代ギリシャまで遡るそうです。
物事の〝起源〟を調べてると何かと〝古代ギリシャ〟が登場します。
歴史を学ぶ時にも、最初に語られる国なだけあって、本当に重要性揺るぎない国ですよね。
とても魅力的な国だと思います。
そして、その解明により、私たちがどんな治療を受ければ良いのか、どのような対処をすれば良いのか、今日までずっと受け継がれてきたそうです。。。
みなさん!!
「ようやく、タロットの話に入るぞ!!」という意気込みでしたよね?
実に私もそのつもりでいました。。。
何故でしょう?
全然違う話になっていますね。。。
ひとまず「病理学」についてはこの辺にしておきましょう、、、ふふ。
続く〝of the poet says〟ですが、こちらは「詩人の~と言っている」というような意味になりまして、先ほどの〝pathology〟と合わせますと「詩人の病理学は~と言っている」というような意味になります。
詩人が病理学を語るのでしょうか、、、?
何と言っているか気になりますが、それが〝that〟以降に書かれています。
〝 "the undevout astronomer is mad"〟
直訳すると「信仰の深くない天文学者は狂っている」という感じになるのですが、もう何の話をしているのだかよくわかりませんね(笑)
面白いです。
ちなみになんですが、〝undevout〟の〝un〟を取ると、「信仰深い」となります。
〝mad〟は通常「狂っている」や「正気ではない」というような意味となりますが、ここではどうでしょう?
「異常だ」とか「理解不能だ」といった感じでも良いかも知れません。
ちょっとまだはっきりとは言えませんが、「詩人の思想によれば『信仰心のない天文学者は狂っている』と言えるだろう」というような意味なのでしょうか。。。
恐らく「病理学」は1つの例えで、詩人の考え方や哲学的な視点というようなことを言いたいのかな?と思います。
また「信仰心のない天文学者」とありますが、なんでも「神を認めない科学者」というような解釈もできるそうなのですが、そう聞くと少し「なるほど!!」となりませんか?
もしそのような可能性が考えられるとすれば、なんとなくでも言わんとしていることの何かは伝わってくるものがあるかと思います。
1度まとめてみますね。
〝THE pathology of the poet says that "the undevout astronomer is mad"〟
→ 詩人の病理学では『信仰の深くない天文学者は狂っている』と言う。
直訳ですとこのようになりますが、恐らく、そこまで攻撃的なことは言っていないと思います。
これまでにも、表面的には〝そう見える〟文章もいくつかあったので、もしかしたらここでもその可能性はあるということは念頭に置いておきましょう。
どちらかと言うと「詩人の考え方によると(でも何かこう、きちんとした考え方に沿ってというような感じなのかなと思います)神様を信じない科学者は意味不明だ」というような感じなのかな?と思います。
何と言いましょうか、、、
あっているかはわかりませんが、1つの例として聞いていただけたら嬉しいです。。。☆彡
例えば、、、
みなさんに科学者の友人がいるとしましょう。
それも割と親しい間柄です。
ある日、その友人が言いました。
「星を見に行こうよ☆彡今夜は月も見れるんだ!!」
するとあなたは二つ返事に言いました、「いいとも、喜んで♪」
前提として、あなたは神様を信じている、とまではいかなくても、だからと言ってすごい否定的というわけでもありません。
「いてもいいんじゃないかなぁ~♪面白そうだし♪」というようなタイプ、という設定です。
片や友人は生粋の科学ですからね、「科学的に証明できないんだから神なんていやしない!!」と言い切るタイプ。
お互い、どちらかが正しいと主張するわけでもなく、だからと言ってお互いがお互いを否定し合うわけでもありません。
ただ考え方が違うというだけのことだそうです。
そうして2人は、2人の住む町からは少し離れたところに位置する、天体観測でも有名なある丘に辿り着きました。
するとどうでしょう。
科学者である友人は大興奮、星や月に関する話題が止まりません。
「ねぇ、聞いてる!?あの月の重力計算、なんて完璧なんだろう!!すごくない!?ねぇ!!すごいよねぇ!?」
くったくのない笑顔を向けながらあなたに話し続けます。
「はっきり言って全然何を言っているのかわかんないんだけどな、、、でもこいつが面白そうだからまぁいいか。。。」
あなたはそのようなことを思います。
更に友人は続けます。
「このデータは月の形成理論を証明するものなんだ!!すごいだろう!!」
「どれどれ?質量は○○kg、軌道は○○度、どっひゃー!!理論通りだ!!すごいなっ!?なっ!!お前もそう思うだろ!?」
「でもこの月には生命の痕跡はないんだよ、、、すると、つまりその、、、ただの岩の塊、そんなものなんだよね。」
「そしてこの岩の塊の質量は○○kg!!」
「見てよ、このデータ!!月の形成理論を完璧に裏付けてる!!これであの論争も終結するかも知んないな!!」
なんて言っています。
その時、あなたは思いました。
「ん?お前はこの壮大な宇宙を見ていても、宇宙や神秘を感じるといった発想にはならないのか?」
「というか岩の塊?その岩の塊に大興奮しているくせに、何故そこでただ計算するだけで終わってしまうんだ?」
友人は続けます。
「くーっ!!やばい、鳥肌が止まらないぜ!!な!!お前もワクワクするだろう!?」
あなたは声にせずとも「うん?、、、本当にそうなのか?、、、それだけなのか?」と苦笑い。
ちがはぐながらも、2人はいつも通り楽しい時間を過ごしたそうです。。。☆彡
、、、はい。
なんとなくでも、伝わるものがありましたでしょうか?
もしかしたら、本文はもっと攻撃的な文章になるのかも知れませんが、なんとなくでもこの文章の雰囲気をお伝えできればと思いまして、このようなストーリーを設けさせていただきました。
ちょっと長くなってしまいましたけど。。。
では次の文に進みます。

普通の人の病理学|表面的な対比に潜む視点の比較
はい、では次に〝the pathology of the very plain man says that genius is mad〟です。
珍しく、知らない単語がありません!!
嬉しい。。。
前文は、、、
〝THE pathology of the poet says that "the undevout astronomer is mad"〟
→ 詩人の病理学では『信仰の深くない天文学者は狂っている』と言う。
ということが書かれていましたが、やはりこの文は前文と対比のような関係になっていると思います。
先に直訳に近いものをお伝えします、その方がわかりやすいと思ったので。
〝the pathology of the very plain man says that genius is mad〟
→ ごく普通の人の病理学は、天才は狂っていると言う。
という感じかと思います。
前文では詩人から見た科学者(天文学者)、そしてこちらではごく一般的な人から見た天才、、、
まだこの時点では、だからと言って何が言いたいのか、あまりぴんとは来ていませんが、異なる視点のようなものが対比されています。
また、ここで思い出したことがあるのですが、本文を細かく読んでくださっている方なら気付いているかも知れません。
そうです。
前文では "the undevout astronomer is mad"と引用符("")というものが使われているのにも関わらず、こちらには使われていないんです。
私は「なんで!?」となりました。
みなさんもそう思いますよね?
ねっ?
かなり気になったので調べてみました。
そこまで大きな理由はなさそうなのですが、この引用符の一般的な使い方とは、他者の発言に付けるというものだそうなのです。
実際に訳したものを使って説明しますが、前文の「詩人の病理学では『信仰の深くない天文学者は狂っている』と言う」は、もちろんウェイトが書いてることではありますが、ですがこの引用符を使うことによって、ウェイトが言っていることではなく、他の誰かが言ったことだよ、という効果を与えるそうなのですね。
つまり『信仰の深くない天文学者は狂っている』は、ウェイトが主張していることではない、ということです。
一応この〝詩人〟についても、特定の誰かを指しているのかな?と思ったので軽くですが調べてみたのですが、それらしい情報は見付からず。。
ですが、もしかすると、ウェイトが知る詩人と呼ばれる人の中で "the undevout astronomer is mad"すなわち『信仰の深くない科学者は狂っている(神は科学者を信じない)』というようなことを言っていた人がいたのかも知れないなと思ったので、更に調べてみました。
一応「これかな?」と思った人がいたので共有してみます。
ウェイトの時代よりは少し古い人なのですが、ウィリアム・ハーシェルさん(1738-1822)という人がいました。
なんと、天王星を発見した人なのだそうですよ!!
ウィリアムさんは、当時知られていた惑星よりも更に遠い惑星の存在を明らかにした人なのだそうです。
この方がいなければセーラーウラヌスは存在しなかったかも知れませんね。。。
このウィリアムさん、なんだか物凄く多才な方で、もともとは音楽家だったそうなのですが、作曲もやれば指揮者もやる、オーボエにバイオリン、オルガンの演奏なんかもできたそうです。
多才で奇才、既に鬼に金棒のような人に見えますが、数学や光学技術への関心もあったそうで、後に天文学に興味を持ち始めるそうです。
それから段々と音楽活動は減っていき、自分で望遠鏡を作っては観測を続け、そして本格的に天文学の研究を始めたそうです。
なんと自作した望遠鏡は400台にもなるそうです!!
『好きこそものの上手なれ』とはまさしくこのことですよね。
そんなウィリアムさん、ウェイトと同じく熱心なキリスト信仰者だったそうで、「The un-devout astronomer must be mad」と語っていたことがあるそうなのです。
「信仰心のない天文学者は狂っているに違いない」という意味で、ウェイトの文章より少し強い感じがします。
ウィリアムさん自身がこの言葉を実際に書いたとか、言ったという資料は見つけられませんでしたが、この言葉を引用した書物ならあるようでした。
もしかすると、このようなことから引用符を用いたかも知れません。
断定はできませんが、これらのことを鑑みますと、ウェイトがウィリアムさんの影響を受けている可能性は十分にあると考えられるのではないでしょうか?
、、、知らない単語がなかったので、てっきりさっと終わると思ったのですが、あれぇ。。。
そして、大変恐縮なのですがまだ終わりじゃぁないんです、はい。。。
対比や引用符についての説明は以上になりますが、ここでようやく本文に触れられるんです。
さっと見ていきます。
〝the very plain man〟ですが、〝plain〟には「素朴な」とか「飾り気のない」という意味があります。
一見「平凡な人」とするのも合っているように見受けられますが、それではまるで個性がないような、なんとなく平凡な人を批判しているような印象を与えてしまうと、そのように感じました。
そもそも、個人的にはですが「素朴な人」も「飾り気のない人」というのも、決してネガティブな存在ではないと思っています。
それどころか、現代のように情報が溢れ返る時代だからこそ、派手さや過剰な演出に惑わされず、シンプルで飾り気のない価値観を持つことは、むしろ本質的な魅力とも言えるのではないでしょうか?
一見、差別しているかのような、個々の人間を比較しているような文にも見えがちですが、ここで描かれているのは誰がどうということではなく、人の立場によって物事の正常さや異常さが変わってしまうよね、ということだと思うのです。
本当は私も「素朴な人」「飾り気のない人」と訳したいのですが、ウェイトの意図を考慮及び優先すると、そこまで踏み込んでしまうのは、ちょっと行き過ぎてしまっている気がしました。
ということで、敢えて「普通」→「ごく普通の人」と訳しましたが、一応、このような背景を踏まえての訳だということを知っておいていただけたら嬉しいです。
一応、最後に念のため、改めて直訳に近いものをお伝えしておきます。
〝the pathology of the very plain man says that genius is mad〟
→ ごく普通の人の病理学は、天才は狂っていると言う。
ここでの解説は以上となります。
こんなに大変なはずじゃぁなかったのですが、、、
でも面白かったですね。
では次にいきます。

両極端の間にある無数の過剰な類似した視点
では、〝and between these extremes, which stand for ten thousand analogous excesses〟を見ていきましょう。
先に単語や熟語の意味を調べます。
・extreme(s) → 極端なもの/両極端
・stand for → 象徴する/代表する
・analogous → 類似した
・excesses → 過剰/行き過ぎ
※これらはほんの一例です。
「エクストリーム(extreme)」ってゲームなんかにもよく出てくる言葉なので、オートに「すごい」とか「超」を思わせるものだと思っていたのですが、もっとすごいと言いましょうか、「ぶっ飛んでいる」くらいのことを表す言葉だったんですね。
さて、では前から順に見ていきましょう。
〝and between these extremes〟ですが、こちらは「そして、これらの両極端なものの間」というような意味になりますかね。
前文に出てきた2つの対比のことを言っているのでしょうか。。。
先を見てみましょう。
〝which stand for〟こちらは「それらの~象徴する」という感じでしょうか。
状況に応じて〝which(それらの)〟は訳さなくても良いかも知れません。
続く〝ten thousand analogous excesses〟は「一万の類似した過剰さ」というような意味になります。
〝which stand for〟と合わせて「それらは一万の類似した過剰さを象徴する」というような意味になると思いますが、、、「なんのこっちゃ?」という感じです。
ウェイトもなかなか唐突であり極端な感じがしますが、このようにいつも一見何の関係もないことを言ってきたかと思えば、理解を増すほど「おぉぁ!!なるほど!!」となれるので、それもまた追究する意欲が掻き立てられます。
きっとまた何か面白い話を、このような例えにして言い回しているのだと思います。
ということで、ここでの文を全部見てきたわけなのですが、前文を合わせて見ますと、、、
〝and between these extremes, which stand for ten thousand analogous excesses〟
→ そして、これらの両極端なものの間には一万もの類似した過剰さが象徴、、、
現状、この〝stand for(象徴する)〟が何を言いたいのかがまだよくわかりません。
単語の意味のところで〝stand for〟を良かれと思って「象徴する」「代表する」と書きましたが、それは単純に直訳としての意味ではなく、どちらかと言うとニュアンスに近い形のものなんです。
ですので、単に訳し言葉にするのが良いのか少し考えどころです。
ここでは割と直訳に近い形のものをお伝えしたいので、一旦このようにさせていただきます。
少し中途半端ですけどね、ですが実際本文も途中ですし、ご容赦くださいね。
ということで、ここでは、『詩人の病理学(視点や考え方ということだと思いますが)では「信仰深くない天文学者は狂っている」と言う』と『ごく普通の人の病理学では天才は狂っていると言う』が両極端なものとして存在している感じですかね。
そしてその両極端なものの間には無数(一万という数字は例えですね)類似した意見があるよ、というようなことを言いたいのだと思うのですが、この「過剰」があまり良い意味の方で使われている感じがしませんので、どのように訳そうか少しわくわくしています。
では、最後の文章に参りましょう。
至高の理性とは何か? 至高の理性に込められた最良の均衡
では、最後〝the sove-reign reason takes the part of a moderator and does what it can〟ですね。
単語や熟語から見ていきましょう。
・sovereign → 至高の/最も重要な
・reason → 理性
・takes the part of → ~の役割を担う
・moderator → 調停者/仲裁役
・does what it can → できる範囲で行う
※これらはほんの一例です。
〝sovereign(ソブリン)〟音が好きです。
それに〝moderator〟とありますが、これは楽器をやられる方であればぴんと来るかも知れませんが、音楽用語の〝moderato(モデラート)〟に通ずるものです。
モデラートは「中くらいの速さで」というような意味なのですが、要は「速く過ぎてもだめ、けど遅過ぎてもだめ」という意味なんですね。
つまり、両極端の間で良いバランスを保つ、ということになるのですが、これをお伝えすることにより〝moderator〟の意味がより掴みやすくなるかなと思いました。
また、みなさんご存じ「No Reason!! Coca Cola!!」でおなじみのコカ・コーラですが、こちらは「理由なんていらない!!」というような意味で、〝reason〟は一般的には「理由」という意味の方が知れ渡っているかも知れません。
では順番に見ていきましょう。
まずは〝the sovereign reason〟ですね。
こちらは「至高の理性」というような意味になりますが、もっと哲学的なことを言いたいのかなという気がします。
逆説的になりますが「偏っていない理性」という解釈もできると思います。
少し先読みになってしまいますが(moderatorの意味を先に付与させる意味で)物凄く噛み砕いて言うと「何にも影響を受けずに(ぶれずに)公正な判断ができる状態」という感じかも知れません。
こういう判断をするのは、本当に難しいことです。
むしろ今、私たちの住む現代にこそ、このようなことが必要なんじゃないかな?と個人的にはそのように思います。
誰が見てるから、誰に何と言われるから、、、
誰々に好かれたいから、誰々に嫌われたくないから、、、
これ買ったら来月厳しくなっちゃうかな、でも欲しいな、、、
これ食べたら太っちゃうかな、でも食べたいな、、、
これらは、私が日頃から思っているようなことですが、まさにこのようなことであっても何かを決断をする際には、必ずと言っていいほど両極端な答えが生まれるところから始まると思います。
そして、その両極端の狭間で様々な意見や考えが飛び交い、渦を巻きます。
もちろん、これらは自己においてだけのことになりますが、たった1つ、簡単に見える普段の自分の行い1つですら、このような選択肢がひしめき合っていて、その中から毎秒、毎秒、私たちは常に選択をし続けているわけなんですね。
ですから、これに他人が加わり、更にその人数も多ければ多いほど、これらが困難になり得るということは容易に想像ができると思います。
私はこういうのが苦手で、どちらかと言うと全部を掬おうとしてしまうので、あまり他人とは関わらないようにしています、、、と言うと誤解を招いてしまいそうですが、自分のペースでいたいという気持ちを優先すると、どうしてもそれが最良になってしまうのですね。
良い悪いの話ではありませんが、恐らくこういったことに関して、タロットは非常に役に立つと思いますよ^^
かと言って私自身、自分に占い(リーディング)をすることはほとんどないのですが。。。
一見何気ないことのように見えると思います。
ですが実はそうではないことの繰り返しを何食わぬ顔してこなしている自分自身に、ぜひ労いの一言を掛けてあげてくださいね。
はい、ということで、実際にこれらのようなことは描かれていませんが、何か参考になるものがあれば幸いです。
こういう一縷からいろいろを手繰り寄せていくのが楽しいんですよね。。。
では、次に進みたいと思います。
次は〝takes the part of moderator〟ですね。
こちらは割とそのまま「調停者の役割を担う」という感じで良いと思います。
ただ「調停者」というのが少しわかりづらい気がします。
実際、私はこの言葉を初めて聞いた気がします。
「仲介役」「仲裁役」「バランスを取る」とか、そのような訳の方が合いそうな気がします。
そして最後〝and does what it can〟ですね。
こちらは「そして、出来る限りのことをする」というような感じかと思います。
ですが、こちらには「限界がある中でも可能なことはやろうとする」といったニュアンスがあるそうで、「完璧に解決できるわけではない、けどできる限りの調整を試みるよ」というようなニュアンスを含むみたいです。
簡単に言いますと、、、
暴風雨の中、どうしても仕事に出掛けなければいけないとします。
そもそも行きたくもないのですが、行かなくてはなりません。
ですから最大限、濡れないよう努力をします。
レインコートを頭から被り羽織って、長靴を履いて、風に強い傘を差します。
また風邪なんかを引いても良くありませんから、そういったことに関しても万全の準備、対策を整えます。
ですが、どんなに準備をしたと言え、暴風雨は暴風雨です。
自分が努力するにも限界があります。
しかし、これらの準備(努力)のおかげで風邪も引かずに済みそうですし、目的地に辿り着いても人様に迷惑がかかるほどはびしょ濡れでもありません。
仕事を終える頃にはすっかり雨も上がっているだろう、、、
というような感じかと思います。
なんとなく伝わりますか?
それぞれ、言っている意味はわかるにしても、実際こうして解読している私も未だ、文章全体を通して何が言いたいのかよくわかっておりません。。。
1度まとめます。
〝the sove-reign reason takes the part of a moderator and does what it can〟
→ 至高の理性は仲介者の役割を担い、可能な限りで最善を尽くす。
という感じでしょうか。
訳ができても、いまいち意味がわかりません(笑)
さっ、ここからがお楽しみの時間です。
まとめに入りましょう。
まとめ&解説
はい、では、改めて今回の一文をご紹介します。
THE pathology of the poet says that "the undevout astronomer is mad" ; the pathology of the very plain man says that genius is mad ; and between these extremes, which stand for ten thousand analogous excesses, the sove-reign reason takes the part of a moderator and does what it can.
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
そして、今回のこれまでの訳です。
→ 詩人の病理学では『信仰の深くない天文学者は狂っている』と言う。
→ ごく普通の人の病理学は、天才は狂っていると言う。
→ そして、これらの両極端なものの間には一万もの類似した過剰さが象徴、、、
→ 至高の理性は仲介者の役割を担い、可能な限りで最善を尽くす。
では最後に、これらの考察を踏まえ辿り着いた、当サイトの見解がこちらです。
タロットの世界の見解
ある詩人の考えでは『信仰心のない天文学者は狂っている』とされている。
一方で、ごく普通の人々にとっては天才こそ狂気と見なされることがある。
これらの視点は共に両極端なものであるが、無数に存在する判断の中の、極端且つ類似したものの一例に過ぎない。
だからこそ、この両者の間に立ち、出来る限り高い視点から最良のバランスを取ることが求められる。
というような感じなのですが、いかがでしょうか。
ストレートに意味が伝わるような日本語にするには、かなり難しい一文でした。
では、少し解説をさせてください。
先ほど、〝sovereign reason〟のところでは、一度は「至高の理性」と訳したのですが、段々と「至高の理性ってなんだ?」というような考えになったのですね。。。
かなり曖昧じゃないですか?
少し頭を悩ませました。
そして、追究していった結果、私は、このような業界でよく使われている「至高」や「高次」というかなり曖昧な表現を、より明確に表現できる言葉を見付けられたと思うんです。
それが「高い視点」です。
いかがでしょう?
そうでもないかな。。。
ですが、「高い視点」と言ったら、普通に意味が伝わりませんか?
「物事を俯瞰してバランスを取れる知性」というようなことだと思うのですね。
それをなるべくコンパクトに、でも意味が伝わるようにすると、「高い視点」という表現が私的にはぴんと来ました。
また、私、この「両極端」にあたるものが詩人からの視点とごく普通の人からの視点だと思う、というようなことをお伝えしてしまったのですが、、、▶▶こちら
もしかしたら、それは間違っているかも知れません。
もしかしたらですが、これらの視点は、単に両極端にあるものということではなく、いろいろ無数にある極端な考えの例(象徴)として挙げられたのではないかと考えました。
意味伝わってますかね。。。
〝stand for〟のところでもお伝えしましたが、直訳してしまうと「象徴」が何を意味するのかよくわからなかったので、「何を象徴と言っているのだろう?」というところから考えてみたところ、このような考察に辿り着きました。
いつも通りですが、文の構造をそのままに日本語にしようとしますと、意味不明なところに「象徴」が来ます。
ですが得意の「ルール無視!!それよりも伝わること重視!!」を適応しますと、この「象徴」が前文の2つの対比を指している可能性があることに気付きました。
裏の意味というほどのことではないかも知れませんが、この一文も、やはり表面的な訳だけでは、本当の意味と言いますか、恐らくウェイトが言わんとしていることの理解はかなり難しく感じました。。。
これまでの考察を読んでくださった方であれば、きっとそのことはご理解いただけると思います。
また、1つの例として「そういうこともあるかも知れないなー」というくらいで聞いてくださると嬉しいのですが、、、
恐らくなのですが、ここでのウェイトが言いたいこと、もしくはこの文章を使って表したいことって、バランスのことなんですよね。
ものの見方、考え方においての、バランスの取り方、またはバランスを取ることの重要性、そのようなことを伝えてきていると思うんですね。
先ほど、私が日頃から思っていることを例に挙げましたように、みなさんも、きっと似たようなことは日々起こっていると思うんですね。
そう。。。
偏った視点が生まれるというのは、〝普通〟のことだと思うんです。
偏ることは正常なんです、恐らく。。。
そして、それは同時に避けられないことでもあるのですよね。
で、その避けられない極端且つ偏ったような視点や考え方を、高い視点(至高の理性)によってコントロールすることが不可欠だよ、というようなことを言っていると思うんですね。
まぁ、至ってごく当たり前の、普通のことを言っていると思うのですが、こんなこと、とっくにみなさんもわかっていると思うんです。
ですが、『人間だもの。。。』
わかってるからと言って、いつでも理性通りに選べないのもまた人間じゃないですか。
「頭じゃわかってるのに。。。」なんていう台詞、これまで何度も使ってきましたよね?
頭ではわかっていても、、、そうは思っても、感情が勝ってしまうことはよくあります。
そして、私の場合はですが、心の赴くままに行動し過ぎて、「失敗した、、、」「やっちまった、、、」なんていう経験はたくさんあります。
ですが、それもまた、人間であるということだと思うんですよね。
知性がある動物は多くいますが、ここまで知性を兼ね備えた動物は人間の他にいません、、、多分。
この一文に続く文章に、どんなことが描かれているのか、私はまだ知りません。
ですから、ここでのことをお伝えしたからといって、ある意味それも「それで?」みたいな疑問を更に招いてしまかも知れませんが、、、
ですが、ひとまずはここでは、この一文の意味や解釈だけに焦点を当て、なるべく正解に近い形を(真実を知ることはできませんから、、、)タロットなんかを知らない人たちにとっても「なるほど」と伝わってくれたらいいなという思いで書きました。
また、この先に続く文章を見て、「あの時の解釈は間違っていたかもーーー!!」と思うこともあると思います。
もしそのような時は速やかにお伝えしますし、訂正もしますね^^
では、今回は以上となります。
最後まで見てくださり、ありがとうございました。
ではまた次回。



