『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』を解読しながら訳していく Vol.2

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『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』解読・翻訳シリーズ第2回のアイキャッチ画像。ウェイト=スミスタロットを徹底追究し、表面的な解釈を超え、より魅力的なタロットの世界へ!!

この記事での『神秘学』における訳や解釈は、現在の解釈とはやや異なります。細かな点にはなりますが、研究過程の一部分として敢えて修正せずに残しています。その変遷も含め、温かく見守っていただけたら幸いです。

はい、では今回もやっていきましょう。

前回「ようやく占い(リーディング)の話が始まるのか!!」と思いきや、いろんな人(の立場)から見た〝狂気〟を対比し極端な解釈の一例として取り上げ、その物事を俯瞰しバランスを保つことの必要性を伝えていました。

期待は大きく裏切られましたが、「面白そうな話が始まりそうだな、、、」と、また別の期待が生まれてしまいました。

どんな展開になるのでしょう、楽しみです!!

では早速、今回の一文を見ていきたいと思います。

今回の一文 探求の代償—ウェイトの献身、その光と影

今回の一文です。

I do not think that there is a pathology of the occult dedications, but about their extravagances no one can question, and it is not less difficult than thankless to act as a moderator regarding them.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

これら3つに分けます。

〝I do not think that there is a pathology of the occult dedications,〟

〝but about their extravagances no one can question,〟

〝and it is not less difficult than thankless to act as a moderator regarding them.〟

では、順番に見ていきましょう。

ウェイトのオカルトへの献身|誤解されがちな〝オカルト〟の本質を正しく理解する

はい、では最初はI do not think that there is a pathology of the occult dedications,です。

わからない単語がなくて嬉しいです。

〝dedication〟は、かなり前になりますが扱ったことがあります^^▶▶こちら

では前から順に見ていきます。

〝I do not think〟ですが、こちらは「私は思わない(考えない)」という感じです。

私、この〝don't〟とせず〝do not〟とするの、なんとなく好きです。

もちろん、私も略すことは多々あるのですが、普通はだいたいの人が略すような言葉を、さらっときちんと正しい形で発する人、好きだな~と思ってしまいます。

「普段から略したりしないなんだろうな。。。」と受け取れてしまうと、なんとなく誠実そうに見えてしまったり。。。

え?

聞いてない?

すみません、次に進みましょう。。。

そして、ウェイトが「私は思わない!!」と言っている内容が〝that〟以降に書かれていますね。

〝there is a pathology of the occult dedications〟一気にいきましょう。

直訳しますと「それらはオカルトへの献身の病理学です」ということになると思いますが、以前にもお伝えしたのですが、この〝occult〟は、いわゆる世間が言う〝オカルト〟とは違う意味のオカルトです。

いわゆる世間が言う〝オカルト〟というのは、どちらかというと超常現象だとか怪奇現象、都市伝説のようなものがエンターテインメント性の高いものですよね、特に現代の日本におきましては。

どちらかと言うと、それは日本独自の歪曲した解釈と言えます。

実際の〝occult〟には魔術、錬金術、神秘学、カバラ、占星術などなど、、、そのようなものを指し、それらを一括して「秘められた力」や「神秘的な力」とされているそうなんですね。

もしかしたら、これでも「え?一緒じゃない?」と思われる方もいらっしゃるかも知れないので、私自身、誤解されるのが嫌だなと感じるので、もう少し、これについてこのまま説明をさせてください。

根本的に両者のオカルトには本質的に違いがあります。

現代のオカルトは、多くの場合が「神秘的な現象」や「説明のできない出来事」に焦点を当て、それによる人々の好奇心や恐怖心を刺激するエンターテインメントとして扱われていますよね。

実際にオカルトを表すほとんどが、ホラー映画や都市伝説といったものであり、大衆の文化の1つとして消費されているのが現実でしょう。

一方、ウェイトが言う(私もですが)「オカルト」は、単なる未知への憧れといったものではないですよね。

長らく受け継がれてきた探究や追究の積み重ねが知識や象徴体系とされ、それらには魔術的な技法(こちらも現代の解釈には誤解があると思います)や精神性の探求を含みます。

つまり、人間の精神的な成長を促すための知識としての「秘められた力」として語られているわけなんですね。

要するに、後者はきちんとした知識人や有識者が厳密に研究してきたものであり、体系化された〝神秘学〟という1つの分野となっています。

ですから、現代のエンターテインメント性ばかりのオカルトとは一線を画すものだということは明確です。

この違いを正しく理解していないと、ウェイトの言う「オカルト」の本来の意味が見過ごされ、単ある空想や娯楽の類として認識されてしまうかも知れないと思いました。

しかし、私はそれは違うなと思うのです。

ちなみに私は、UFOとか宇宙人なんていうものはいていいんじゃないかな?と思っている方なので、決して現代のオカルトを否定しているわけではありませんよ。

ですが、私は今ウェイトの研究をしているわけですから、ここは、本質的にはまったく異なるものだということを改めて明確に示しておく必要があると思いました。

ちょっと熱くなってしまいましたが、こうした違いが伝わっていましたら嬉しいです。

ということ、一旦まとめます。

〝I do not think that there is a pathology of the occult dedications,〟

私はオカルトへの献身が病理学だとは思わない。

直訳ですと、このような意味になるでしょうか。。。

前回も、この「病理学」を単に「病理学」とはしませんよ、というようなことをお伝えしたのですが、ここでも同じことが言えると思います。

当たり前かも知れませんが、要は前回のお話と繋がっているんですね。

良ければ前回の記事も見てみてほしいのですが、単純に「オカルトにのめり込んでいるからといって、それが病気とか異常とは思わないよ」というようなことを言っていると思います。

ウェイトの周りにいた人がそのようなことを言って(思って)いたのでしょうか?

先が気になります。

次に進みましょう。

異端か、偉業か—行き過ぎた探求心という度を超えた贅沢

では次にbut about their extravagances no one can question,を見ていきたいと思います。

〝extravagance〟と書いて「エクストラヴァガンス」でやんす、、、といった感じなのですが、「浪費」「過剰な行動」「度を越えた贅沢」というような意味があるそうでやんす。

何故か「エクストラヴァガンス」と聞くと「○○でやんす」と言いたくなりますね。

〝extra〟が付いてるので「なるほど、だから度を越えたなんて意味が含まれるのか!」と思ったのですが、〝vagance〟という単語は存在しないそうでちょっと不思議です。

他に難しい単語はなさそうなので、一気に見てしまいますね。

〝but about their extravagances no one can question,〟

しかし、それらの行き過ぎた行動について、誰1人疑問を抱くことはない。

直訳ですと、このような感じでしょうか。

少し解説を加えますが、この〝no one can question〟というフレーズは「それが事実であるということを疑う余地がない」といったニュアンスを含むそうなんですね。

ですので、もしかするともっと強い感じにしても良いかも知れません。

具体的に言うと、「誰も異論を唱えられない」とか、そのくらいでも良さそう。。。

また、この〝extravagance〟こと「行き過ぎた行動」ですが、私はこれをとても気に入っています。

何故かと言うと、意味には「贅沢」といった意味も含まれていますよね?

きっと、単に「行き過ぎた行動」や行動として人から見れば過剰だと思われることを表すだけなのであれば、きっとウェイトはもう少し違った単語を選択したと思うのです。

ですが、きっとこれは、ウェイト自身のことも含まれるという自覚が本人にもあるのではないでしょうか?

となると、敢えて「贅沢」という意味も含まれたこの〝extravagance〟をチョイスしたことが、なんとなく私には可愛く思えてしまうのです。

好きなことを徹底して追究しているだけなのであれば、それは本当に贅沢ですよね。

「一生懸命遊んでるだけなんだから放っといてくれよ!!」と、子供の、それも男の子が好きなことに夢中になっていて、それをやんや言う親御さんや周りの親戚にぶう垂れてる子供のように見えてしまうのです。。。

そして、いつの時も、周りはそういう人を見て「変態」だの「変わってる」だの「奇人」だの、変人扱いをします。

しかし、そういった存在も振り切ってしまっていると、もう誰も異論を唱えることはできなくなってしまうものですよね。

なんとなくですが、そんなような画が浮かび上がりました。

もしかしたら全然見当違いかも知れませんけどね。

何か参考になれば^^

では次に進みましょう。

次が最後です。

探求する若き知識人が、輝く書物を読みながら知識の光に包まれる。背景には天文学や神秘学の象徴が広がり、探究心の贅沢さが視覚的に表現されている。

ウェイトの表現技法|二重否定と比較の複雑な構造を探る

はい、最後ですが〝and it is not less difficult than thankless to act as a moderator regarding them.〟です。

これと言って調べ直さなくてはいけない単語はなさそうですが、念のため少しずつ区切って見ていきたいと思います。

〝and it is not less difficult than thankless〟ですが、こちらは〝not less A than B〟という表現方法が用いられていて、比較をしている文にはなるのですが、とてもややこしい表現になっています。

すんなり終わると思ったのですが、私自身、解読していても「はぁ?」「はぁぁぁぁぁ!?」と、、、そうは問屋が卸してくれないようです。

突っ込みましょう!!

こちらは単なる比較ではなく、最終的にどちらも強調されている、というような構造なのだそうです。

正直、こんなこと言われても、よくわからないですよね。

一度、文章を分解しますね。(結局、、、)

difficult → 難しい

less difficult → そこまで難しくない

not less difficult → そこまで難しくない、というわけではない=結局は「まぁ難しい/簡単ではない」というような意味

than thankless → 報われないことに比べて

どうでしょう?

1分前よりかはぴんとくるものがありますでしょうか。。。

そもそも〝difficult(難しい)〟という単語に〝less〟を付けることによって1度否定していますよね?

ですが、更にそこに〝not〟が来るので、2回否定している、ということになるんですね。

直訳しますと、「報われないことよりは、そこまで難しくない、というわけではない。」という、やや奇妙キテレツ。

ですが、この表現方法のニュアンスとして「AはBよりも少ない(=Aもちゃんとある)」ということになるそうで、要は「難しい」も「報われない」も両方ある、というような意味になるんだそうです。

ややこしいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ(泣)

前々からお伝えしていますように、決して私は理解が良い方ではないので、、この意味すらよくわからなくて半日ほどこのフレーズに付きっ切りでした。。。

シンプルイズベスト!!

ウェイトがどうしてこのような回りくどい表現をしているのかはわかりませんが、もしかしたら何かしら意味があるのかも知れません。

ということで、この〝and it is not less difficult than thankless〟は、「そして、それは難しいし報われない」というような意味になると思います。

以前〝than〟の使い方について触れたことがあるのですが、またその時とは全然別の〝than〟でしたね。

続きを見ていきましょう。

続いて〝to act as a moderator〟ですが、こちらは「仲裁役として演じる(振る舞う?)」というような意味です。

〝moderator〟前回にも扱いましたね。

そして〝regarding them〟こちらは「それらに関して」という意味ですが、〝regarding〟も少し前に扱いましたね。▶▶こちら

なんだか既に懐かしく思います。

では、1度まとめてみましょう。

〝and it is not less difficult than thankless to act as a moderator regarding them.〟

そして、それは、それらに関して仲裁役として振る舞うことは、難しくないわけではなく、さらに報われない

すごい直訳にするのでなら、このような形になるかと思います。

全部まとめて最後に調整しますね。

では、まとめに入りましょう。

まとめ|結論・解説・考察

では、改めて今回の一文をご紹介します。

I do not think that there is a pathology of the occult dedications, but about their extravagances no one can question, and it is not less difficult than thankless to act as a moderator regarding them.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

そして、今回のこれまでの訳です。

→ 私はオカルトへの献身が病理学だとは思わない。

→ しかし、それらの行き過ぎた行動について、誰1人疑問を抱くことはない。

→ そして、それは、それらに関して仲裁役として振る舞うことは、難しくないわけではなく、さらに報われない

最後に、これらの考察を踏まえ辿り着いた、当サイトの結論がこちらです。

私の、オカルティズムに身を捧げるこのような行いを、私は病気とは思わない。
しかし、それらについての行いが行き過ぎだということは疑いの余地もないだろう。
それに、それらの仲裁役を買って出るということは決して容易ではなく、必ずしも報われるものではない。

はい、このような形になりましたが、いかがでしょうか?

なんだか今回も大変でしたね。。。

最初はこんな風になるはずじゃなかったのですが。。。

それでなんですが、最後に1つ考察を付け加えさせてください。

これ、多分なのですが、恐らくウェイト自身のことを語っている一文だと思うんですよね。

最初の部分では単純に、ウェイト自身がオカルト(神秘学とかそういった方のオカルト)にのめり込んでいて、それを周りの人か、もしくは自分自身多少でもそう思ったことがあったのかも知れませんね。

世間とずれている、とか。。。

ですが、それを本人もわかった上で敢えての「俺は病気だからオカルトにのめり込んでいるというわけじゃないよ」ということなのではないでしょうか?

まぁ、普通に関係ないですよね。

ですが、今でこそ、この病的なくらいの〝好き〟が認められるような時代に少しずつ、ほんの少しずつかも知れませんが、そうはなってきているような気もします。

しかしながら、ウェイトの時代ですからね、由緒正しく英国ですし、まだまだ諸外国すらも「みんなと一緒じゃなきゃだめ!!」「ちゃんとしなきゃだめ!!」みたいな時代だったとは思います。

もしかしたら、本当に、すごい変人扱いをされていたのかも知れません。。。

そして2番目の文ですね。

こちら、最初は、他人がウェイトに対して抱く視線のようなものを表した文なのかと思いました。

ですが、なんとなく「訳がしっくり来ないなぁ~」と何度も英文を読み返してるうちに、「あれ?この文もウェイトがウェイト自身のことを言っているのかな?」と思いました。

自分がオカルティズムに対して身を粉にしている姿は、自分なりに客観的な視点を持って見ても(これがまさしく〝moderator〟ということなのかも知れません^^)「行き過ぎだ」という風に感じていたのかも知れません。

そして最後の文ですね。

〝act〟「演じる」とか「振る舞う」という意味ではあるのですが、長年いろいろな漫画を読んでいるからでしょうか?

自然と「買って出る」というような言葉が出てきました。

そして、なんとなく「おっ、合ってるかも!?」と思いましたので、そのような訳にしました。

何と言いましょう、、、なんか「全然得はしてないよ、変って言われるし、嫌な目で見られたりもするし。自分が変わり者だっていう自覚もあるし、自分でもたまに行き過ぎてるかな?って思う時もある。けど、それってそんなに変なことかな?病気って言われるほどのこと?僕のしていることはお金になるとも限らないし、誰かに褒められるわけでも、感謝されるというわけでもない。だから決して、容易な選択じゃないんだよ。」というようなことを言いたいのかな?という感じがするんですね。

いかがでしょう?

恐らく、この話はまだ〝Reface(序文)〟から続いている気がするのです。

章は変わってしまいましたが、確か〝Reface〟の最後の方で言っていたんですよね。

「いわゆる民間の人(非神秘族)がこれまでに付けてきた微妙なタロットの意味や解釈と、公にされている全ての情報源を使って、これらの象徴や意味を完全に調和する!!」と。。。▶▶こちら

(ちょっとここでは今は大袈裟に言っています。。。)

そして、もう少し前には、このようなことを「完全に成し遂げる!!」と宣言もしていました。▶▶こちら

いわゆる、この【PART1】に入ってから(と言ってもまだ2回目ですが)ずっと言っている〝moderator〟は、ウェイト自身のことを指しているのではないでしょうか?

この推測があっているかはわかりませんが、もしそうだとするのであれば、、、それはきっと、物凄く孤独な闘いだったかも知れません。

どうかはわかりませんが、少し心が痛いです。

できるなら、生きてる間に称賛されたかったですよね。

心が痛いです。。。

はっ!!

少し感傷的になってしまいました。

私はこれから『鋼の錬金術師』という漫画を見るんですよ。

これで私も錬金術師!?

漫画ですがお勉強します。

では、この辺で。。。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

また次回。

『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』を解読しながら訳していく Vol.2” に対して2件のコメントがあります。

  1. カイ より:

    おはようございます。はじめまして。カイと言います。
    一週間程前に、検索特化AIに、和泉まことさんのブログを探してきてもらいました。
    「専門用語を多用する、マニアックで、商業的でないタロットブログを探して」と。(他には、哲学者がタロットの逆位置について考察するブログが出てきましたよ。)
    ウェイトさんの著作を、少しずつ翻訳されていますね。すごい努力だと思います。
    僕は、一日一記事ずつ読んで、応援しています。

    1. Makoto Izumi より:

      カイさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。
      検索特化AIなんてあるんですね、知りませんでした。
      そんなAIとカイさんのちょっとマニアックな検索によってこのブログを見付けてくださりとても嬉しく思います。
      また温かなコメントを送ってくださり本当に励みになりました。
      地味な作業の繰り返しですが、面白いですよね、ウェイトの世界観って。
      こうして読んでくださる方がいると思うとやる気が増します。
      ぜひまたいらしてくださいね。

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