『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』を解読しながら訳していく Vol.26
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こんにちは。
少し前から、『ウェイト、始動』――そんな雰囲気が漂い始めました。
最近、ウェイトの芯に触れられるような文章が続いている気がします。
もちろん「カード1枚1枚の解説に早く入りたい!」という気持ちも、あるにはあるのですが、、、
近頃は、ウェイトの主張らしい主張に、心を躍らせている状態です。
私はこれまで、あまり本を読んだことがないので、そもそも〝本〟というものの構造が、どう成り立っているのかよくわかりません。
ですが、漫画で例えるなら、、、
ようやく物語が動き始めたじゃないか!!
というような印象です。
また、これまでの語りは、割とふんわりした表現が多く、「結局それってどういう意味?」と言いたくなるようなものが多くありました。
しかし最近は、「こうだ!」とはっきり示してくれることも多くなり、心にもすっと届き、理解しやすくなりました。
本来なら、とっととカード1枚1枚の解説に入りたいところだと思います。
とは言え、きっかけは「とりあえず、最初から訳していった方が良いでしょ」と、なんとなく始めたことでした。
ですが、いざ訳を続けていますと、「これ、訳しておいて良かったな」と思えるほど、生きる上で大切にしたいようなことも語られているので、気付けばなんとなく、自然と共感を抱いていました。
「こんなような人なのかな?」
最初は手探りで〝Arthur Edward Waite(アーサー・エドワード・ウェイト)〟という人物像を探っていました。
ですが段々と「はっ、こう来たか!!」と、良い意味で裏切られることが多く、気付けば、ウェイトという人物にとても好感を持っている自分自身がいました。
そして今、「そろそろか、、、」と言わんばかりに、ウェイトのストレートな表現(と言っても鋭い皮肉という感じの表現ですが)が冴え渡り始め、実際「面白いな!」と感じる瞬間がとても増えました。
もしかしたら〝占い〟を主としてタロットに触れる方にとっては、あまり興味のない部分かも知れません。
ですが、もし届くのであれば、どのような方にも、この世の大半のタロットのベースの生みの親となった彼の生き様や、性根(心の声)なんかにも、少しでも耳を傾けてもらえたら嬉しいなと思いました。
では、、、本題に入りましょう。
前回は、タロットの起源説にまつわる虚偽について、ウェイトが初期の語り手と後世の作家に向けて鋭い批判的な皮肉を投じた一文でした。
また、誤った証言が、疑われることも、考察されることもなく繰り返され続けてきたことを指摘する一方で、読者に「どのように語るべきなのか?」と促しているようにも感じられました。
いわゆる〝俺のターン〟は続くのでしょうか。
ちなみ、現在【PART1】の章でも、4つに区切られた§1(セクション1=第1節)を扱っているのですが、いよいよあと4ページほどで終わりそうです。
いずれにしても先は長いので、あまり気にしていなかったのですが、すごい微妙な挿絵が透けて見えたので「何かな?」と思って次のページを見てしまったんですね。
すると、そこが§1の最後のページでした。。。(とは言え、あと10回分くらいはありそうですが)
今回の一文:創造性の欠如と模倣の連鎖――語りの狭さと浅さを指摘
はい、では今回の一文です。
As it so happens, all expositions have worked within a very narrow range, and owe, comparatively speaking, little to the inventive faculty.
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
今回は短いので、このまま分けず、順番に見ていきたいと思います。
では、よろしくお願いいたします。
限られた語りの中で知る〝創造〟の必要性
はい、では改めて〝As it so happens, all expositions have worked within a very narrow range, and owe, comparatively speaking, little to the inventive faculty.〟です。
いつも通り、まずは単語や熟語の整理から始めていきましょう。
・exposition(s) → 解説、説明、展開
・work within → ~の範囲で活動する/展開する
・narrow → 狭い、限定された、偏狭な
・range → 範囲、幅(文脈によってかなり異なる)
・owe → ~に依っている、~のおかげである
・comparatively → 相対的に、比較的に
・inventive → 創造的な、独創的な
・faculty → 能力、知性、機能
※これらはほんの一例です。
ウェイトって、私が「今回は短いんだ♪」なんて言っている時に限って、「え?これ何ていう(意味の)単語?」ということ、多くないですか?(笑)
今回も「けっこう短いし、サクッと終わりそうだな♪」なんて思っていたのですが、「あれ?また?」と言わんばかりに、意味を知らない単語が多く登場してきました。
奇妙な記述家(褒めています)ウェイトですからね、もしかすると、「こんなことすら狙ってるのかな、、、」と思ってしまいたくなります。
では、少しずつ訳していきましょう。
まず〝As it so happens〟ですが、こちらを敢えて一度、愚直に「それはそう起きることとして」と訳しますが、これが洗練されて「実のところ」「偶然にも」などという訳になるのだと思います。
そして〝all expositions〟が、「すべての解説」という意味になります。
続いて〝have worked within〟ですが、こちらは「~の範囲で活動してきた・展開されてきた」というような意味になるかと思います。
こちらは受動態ですね。
そして〝 a very narrow range〟とありまして、こちらが「非常に狭い範囲」というような意味でしょうか。
「限られた範囲」ということでしょう。
もう少し続きます、あと少しです。
では次に〝and owe〟ですが、こちらは「そして、依っている」という意味になると思います。
「~のおかげ」というニュアンスが含まれるそうなのですが、おそらくこれは、良い意味で使われているわけではないでしょう。
前文に続き、きっとまだ〝皮肉〟という名のフルコンボの最中のはずですから。。。
そして〝comparatively speaking〟が、「相対的に言えること」という感じで、「相対的に見て」「比較的に見て」というような意味になると思います。
こちらは、やや緩衝材のような役割を果たしていると思いますが、きっとこれは、あくまでも表向きな言い方をしているだけで、本当はもっとストレートに表現したい部分なのかも知れないな、なんていうふうに考えています。。。
なんだか、気付けばカンマ(,)が多い一文でしたね。
そして最後の〝little to the inventive faculty〟ですが、こちらは「創造力に対して、ほんのわずかしか~ない」というような意味になると思うのですが、少し前の〝owe(依っている)〟があるので、「創造力に対して、ほんのわずかも依っていない」というような意味になると思います。
ふふっ、これ、けっこうな言い様ですよね。
物凄くストレートに言うと、「考える力がほとんどない」というようなことを言っているわけですから。。。
私は割と好きですけど、自分がもし言われたら、、、
すごく嫌だなぁと思います。(気を付けます)
では一度、まとめてみましょう。
〝As it so happens, all expositions have worked within a very narrow range, and owe, comparatively speaking, little to the inventive faculty.〟
→ 実際のところ、全ての解説は、非常に狭い範囲の中だけで展開されており、相対的に見て、創造力に対して、ほんのわずかしか依っていない。
というふうになりますでしょうか。
ここから、更に磨きを掛けていきたいと思います。
では、『まとめ』に入りましょう。
まとめ|結論・解説・考察
では、改めて今回の一文をご紹介します。
As it so happens, all expositions have worked within a very narrow range, and owe, comparatively speaking, little to the inventive faculty.
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
そして、今回のこれまでの訳です。
実際のところ、全ての解説は、非常に狭い範囲の中だけで展開されており、相対的に見て、創造力に対して、ほんのわずかしか依っていない。
また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、改めて前回の結論もお伝えしておきます。
エジプト、インド、あるいは中国にタロットの起源があるという説にまつわる欺瞞と自己欺瞞は、初期の解説者たちの口に〝嘘を語る精神〟を植え付けました。
そして後世のオカルト作家たちは、それを疑うことも、考えることもせず、最初に語られた偽りの証言を、ただひたすらに繰り返したに過ぎません。
最後に、本文の内容をより忠実に整えた(当サイト比)訳がこちらです。
事実、これまでの解説のほとんどは、極めて狭い範囲の中だけに留まり、相対的に見ても、創造力という恩恵をほとんど受けていません。
はい、このような形にしました。
だいぶ、自然な日本語に寄せられたとは思っているのですが、いかがでしょうか。
では少しだけ、解説と考察についてお話をさせてください。
解説・考察
おそらく、、、
今回の一文は、本来であれば「こうだ!」と断言したい一節だと思います、本来ならば。。。
それを、敢えて〝comparatively speaking(相対的に/比較的に見て)〟という言葉を入れることによって、やや柔らかくしていると思うんですよね。
道中でもお伝えしたのですが、〝緩衝材〟のような役割を果たしていると思います。
日本語でもそうですよね。
本当は、何かと比較する必要や、他と比べる必要もないような、〝言うまでもない〟ことに対して、敢えて「比較的、、、」といった言葉や、「相対的に見て、、、」なんていう表現を用いることはよくあると思います。
どう考えても、何とも比較していないでしょうし、おそらく「相対的」と言えるほどの事柄も思い浮かべてないことの方が多いと思うのですが(笑)、でも日本語では、これらの言葉を用いることによって、やや説得力はあるものの、それでいて少し柔らかめに聞こえますよね。(何故なのでしょう?)
どちらかと言えば、本音では「絶対的に」と言いたいようなことを、敢えて真逆の「相対的に」というような言葉を使うことによって増す説得力のようなもの。。。
不思議ですよね。
一概には言えませんが、「相対的に」と「比較的に」が出たら「不思議がれよ(疑えよ)!!」という感じがしました。(違うか、、、)
仮に、その内容が紛れもない事実だとしていても、どういうわけか、私たち〝人間〟という生き物の耳には〝強く聞こえるようなもの〟を、自ずと排除するような機能が備わっているような気がします。(それも何故なのでしょう?今度調べてみたいです、できればまとまった時間を取って)
もし、今回のこの一文を、物凄いストレートな表現にしたのなら、、、
『事実、これまでの解説の全ては、極めて視野の狭い人の中だけに留まっており、創造力という神より賜りし機能があるにも関わらず、誰がどう見ても、もはやそんな機能は一切働いていないようだ、わははははは(笑)』
、、、こんなような感じになるのではないでしょうか?
物凄い反感を買うことになるでしょう、ましてやそれに該当する人であれば尚の事。。。
どうして、人は事実を言われると怒る人が多いんでしょうね。(もちろん私もですが、今は自分のことは棚に上げて言っています)
ですから、それでこその〝緩衝材〟なんですよね。
そして、これまでの記事を読んでくださっている方であれば、きっと後ろの〝創造力〟の部分の訳の意図もご理解いただけているのではないかと思うのですが、、、
そうです。
この文章、本来なら「もっと創造力(想像力)を使え/働かせろ」「考えろ」ということの裏返しなんですよね。(きっと、、、)
ですが、まるで神様より授かった〝創造力〟というような表現をしていて、それを更に〝owe(依っている ≒ ~のおかげ)〟という言葉を用いて(でも〝littele〟があることで否定の形みたいになる)、あくまでも「創造力という恩恵が受けられていないようだ」というような言い方をしていて、表向きは〝その人〟のことを悪くは言わないスタンスなんですよね。
以前、『ウェイト先輩の文脈を、一文一文理解しようとする私たちは、神より賜わりし洞察力を持った者たち、、、という解釈であっていますよね?』というようなことをお伝えしましたが、その時の一文を訳していたことがあったからなのか、、、この部分、割とすんなり理解できた気がします。
良かったです。
それと、あともう2つ。。。
今にして始まったことではありませんが、先ほどからお伝えしています通り、〝comparatively speaking〟の意味を調べますと、ほとんど「比較的に」や「相対的に見て」という訳が出てくると思います。
確かに、実際の日本語としての使われ方も同じようなもだとは思いますが、『意味』という点においてはかなり異なるので、そこで、どちらを使うべきか、少し迷いました。
「比較的に」はその名の通り、何か比較する対象があってこそ使う言葉だと思うのですが、「相対的」は何かと比較というよりも、「一般的な〝解説〟というものを基にすると、、、」というようなニュアンスが含まれているのかな?と思いました。
ですので、もし、そのようであれば「根拠も何も、まるで伴っていない!(怒)」というようなことを言いたかったのだろうと思い、「相対的」の方が適しているだろうと感じました。
要は、広い視野から見れば、これまで語られ続けてきたタロットの解説(ここでは主にタロットの起源説)は、一解説として非常に不十分、ということなのだと思いました。
まぁ、いつも通りですが、、、
今日に至ってもなお、そのような傾向が崩れる気配すらないというのは――それこそが〝創造力の欠如〟ということの顕れなのでしょうか。
ある意味、与えられたものをそのまま受け取る、という意味では、もしかしたら〝素直〟と呼べなくも知れませんが、、、まぁ、『何と何は使いよう』とも言いますからね。。。
では最後に、だいぶ細かい点にはなりますが、、、
- exposition
∟ 日本語では「解説」とした方が伝わりやすいと思ったので「解説」としましたが、何度も同じようなことが繰り広げられてきたことを示しているわけなので、個人的には「展開」の方がニュアンス的にはあっているかなと感じています。
本当は、「物凄い狭い視野(範囲)で繰り返し続けられている展開」というようなことを言いたかったのだと思うのですよね。。。ふふふっ - inventive faculty
∟ こちらもわかりやすさを重視して「創造力」としましたが、基本的には「想像力」や「自分で考える力」というような意味だと思っています。
厳密には「独創的な能力」という感じかと思います。
しかし〝owe〟があったので、どちらかと言えば、ウェイトが好む、神様に寄った(依った?)言い方をした方がウェイトっぽさが出るのかな?と思い「創造力」にしました。
このくらいでしょうか。
解説と考察については以上です。
ここ最近、夜になっても30度を下回らない猛暑が続いたかと思えば、急に、夜は20度にも満たない日が続いていて、完全に身体が追い付いていない感じがします。
また週明けからは再び猛暑に戻るそうなのですが(ひぇー)、どうぞみなさんも、体調等崩されませぬようご自愛くださいね。
では、今回はこれで終わりとなります。
最後まで見てくださった方、ありがとうございます。
また次回、お会いしましょう。


