『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』を解読しながら訳していく Vol.3
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はい、では『The Pictorial Key to the Tarot』【PART1】の第3回目です。
前回は、いわゆる一般の人(非神秘族)がタロットに付けた歪んだ意味や解釈と、これまで公にされている情報(こちらは神秘族的にも正統な解釈と考えられる)の調和を図る―仲裁役を担ったウェイトの思いが赤裸々に述べられているような一文でした。
生まれて初めてダッシュ(―)を使いました。
真面目にやっていると面白いこともあるものですね。
私がこのダッシュを知ったのは恐らく中学生の頃でした。
今でも、当時の国語の先生が一生懸命ダッシュについて教えてくれた姿が目に浮かびます。
ですがその頃の私は、今よりももっと文や本に興味がなかった頃ですから、もちろんその先生が説明していたダッシュの意味や使い方なんていうものは覚えていませんし、なんなら多分聞いてもいなかったと思います。
きっと「ふーん」というような顔をして、聞いてるふりをしていたに違いません。。。
漢字や四字熟語、百人一首なんかは好きだったんですけどね。
読解というものは、本当につい最近、、、いえ、たった今でもそんなに好きじゃないだろうなと思います。
興味があるから、このように解読しているだけで、興味がない人の話なんて聞きたいと思わないじゃないですか。
これは普通のことだと思います。。。
そう、ですがそんな記憶だけはあるんですよね。
「あぁ、そう言えばダッシュのことなんか話してたなー」と。。。
それが何だというわけではないのですが、まさかそのような自分がこんな風にダッシュを使う日が来るだなんて、今朝目覚めた時には思いもしませんでした。
別に大したことじゃないですが、『興味』を持つことの素晴らしさ?大切さ?偉大さ、のようなものを物凄く体感したような気がします。
何を伝えたいわけでもなかったのですが、、、ご清聴ありがとうございました。
私も興味を持ってもらえるような書き方を学ばなくてはいけないかも知れませんね。。。
では、気持ちを切り替え、今回も楽しくやっていきましょう。
もくじ
今回の一文 根拠なき憶測を過信する危うさ|病理学の本質を見極める
では今回の一文です。
Moreover, the pathology, if it existed, would probably be an empiricism rather than a diagnosis, and would offer no criterion.
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
割と短めの文になりますが、念のため区切り良さそうなところ、3つに分けます。
〝Moreover, the pathology, if it existed,〟
〝would probably be an empiricism rather than a diagnosis,〟
〝and would offer no criterion.〟
さすがに、さくっと終わりそうな予感がしますが、そう言って前回もそんなことなかったので警戒しております。。。
では、参りましょう。
狂気?それとも天才か?|行き過ぎたオカルティズの病理学とは?
まず〝Moreover, the pathology, if it existed,〟ですね。
わからない単語を先に見ていきます。
・moreover → さらに/その上
・exist(ed) → 存在する
※これらはほんの一例です。
〝moreover〟は強調の役割を持っているそうです。
敢えて、ここで前回の訳をお伝えしますが、、、
I do not think that there is a pathology of the occult dedications, but about their extravagances no one can question, and it is not less difficult than thankless to act as a moderator regarding them.
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
私の、オカルティズムに身を捧げるこのような行いを、私は病気とは思わない。
しかし、それらについての行いが行き過ぎだということは疑いの余地もないだろう。
それに、それらの仲裁役を買って出るということは決して容易ではなく、必ずしも報われるものではない。
これらを踏まえて「その上(moreover)」ということなんですね、多分。
一文ずつやっているので、どうしても単発で見てしまうと「?」になってしまうことがあると思うのですが、ぜひこれまでの記事も参考にしていただいて、表面的な解釈で満足する上辺だけの占い師さんにならないでほしいなと思います。
では本編に戻ります。
今回の文、カンマ(,)が多いですね。
すごくやりやすいです。
そして早くも全文ですね。
〝Moreover, the pathology, if it existed,〟
→ その上、その病理学がもし存在したならば、
という感じかと思います。
以前からお伝えしていますように、この「病理学」は単に「病理学」と訳すものではないと思われます。
ちょっと前後の文の兼ね合いもありますが、ひとまずこちらでは直訳に近いものをお伝えする意図でこのようにしていますが、最後の調整でまた少し変化すると思います。
では次に進みましょう。
解釈の本質:経験則 vs 診断
次は〝would probably be an empiricism rather than a diagnosis,〟です。
また単語から見ていきます。
・probably → 恐らく/十中八九
・empiricism → 経験主義
・diagnosis → 診断
※これらはほんの一例です。
はい、このような感じなのですが、もう少し細かく説明をさせてください。
〝empiricism〟(エンピリシズム)には「経験則」というようなニュアンスがあるそうで、「経験から導き出された判断」というような背景が前提としてあるみたいです。
また、対照的に〝diagnosis〟(ダイアグノシス)は「基準に基づく判断=診断」といったようなニュアンスがあるそうです。
〝diagnosis〟という単語を聞くと、どうしても「ダイアゴン横丁(Diagon Alley)」と出てきてしまいます。。。
わからない方はぜひハリー・ポッターを見てみてくださいね^^
では少しずつ区切って見ていきましょう。
〝would probably be〟は「恐らく~となるだろう」という感じです。
そして〝an empiricism〟は「経験則的なもの」という感じでしょうか。
続く〝rather than a diagnosis〟が「診断よりも~」という風になります。
既に、なんとなくでも言わんとしていることは伝わっていると思います。
では、まとめてみましょう。
〝would probably be an empiricism rather than a diagnosis,〟
→ 恐らく、診断ではなく経験則的なものとなるであろう。
という感じになると思うのですが、いかがでしょうか?
要は、前回からの続きで、もしどんなにウェイトが病的な神秘主義オタクに見えたとしても、仮にそういったものが存在にするにしても、それは実際には、本当の「病気だね」と医者が診断する(判断を下す)ようなものではなく、人々それぞれ個々の経験から言っていることに過ぎないよね?で?だから?それを語ることに何の意味があるの?というようなことを言いたいのかなと思います。
私もそう思います。
では最後です。
基準なきオカルティズの病理学
最後は〝and would offer no criterion.〟です。
短いですし、普通に前から順番に見ていきます。
〝and would offer〟は「そして~提供するであろう/差し出すであろう」みたいな感じです。
そして〝criterion〟(クライテリオン)ですが、こちらは「基準/判断の指数」という意味だそうです。
複数形になると〝criteria〟となるそうで、個人的には「逆じゃない?(音的に)」という感じがします。
そして〝no〟が付きますので「基準がない」というような意味になりますね。
では、まとめてみましょう。
〝and would offer no criterion.〟
→ そして、何の基準も提供しないだろう。
個人的には至ってまともなことを言っているなと思います、ウェイトは。
ウェイトについて調べていた時に、〝変人〟とか〝気難しい人〟とか〝狂っている(恐らく悪い方の意味で)〟なんて書かれているサイトをよく見掛けたのですが、正直、今のところ、至って普通と言いましょうか、まともなことしか言っていないように思えます。。。
私がおかしいんですかね。。。
確かに、かつて私は『猛獣使い』と呼ばれていました、ホステスの頃。
ですから、多少〝変わった人〟ぐらいであれば耐性があるのかも知れません(笑)
が、、、実際には、多くの方が十分に理解されているとは言い難いのが現状なのではないでしょうか。。。ぼそっ(小声)
確かに、このような作業には時間も労力もかかりますから、決して楽なことだとは言えません。
ですから「やらない」という選択は至極まっとう、人間、率先して疲れることをする人はそういませんからね。
ですが、だからと言って、本質に触れることなく”捉えたつもり”になるのはちょっと、、、
それは私のやりたいこととは違うかなという感じがします。
まぁそれも、1つの選択肢なんでしょうけどね。。。
もし、これまでの記事を読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、多分その方たちにとっても、そこまでウェイトが〝変な人〟とは映っていないと思います。
どちらかと言うと至ってシンプル、確かに文面はむちゃくちゃ難しいのですが、それほど気難しいという印象はないような気がします。
みなさんにはどのように映っていますでしょうか?
ではまとめに入りたいと思います。
まとめ|結論・解説・考察
では、改めて今回の一文をご紹介します。
Moreover, the pathology, if it existed, would probably be an empiricism rather than a diagnosis, and would offer no criterion.
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
そして、今回のこれまでの訳です。
→ その上、その病理学がもし存在したならば、
→ 恐らく、診断ではなく経験則的なものとなるであろう。
→ そして、何の基準も提供しないだろう。
また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、改めて前回の結論もお伝えしておきます。
私の、オカルティズムに身を捧げるこのような行いを、私は病気とは思わない。
しかし、それらについての行いが行き過ぎだということは疑いの余地もないだろう。
それに、それらの仲裁役を買って出るということは決して容易ではなく、必ずしも報われるものではない。
最後に、これらの考察を踏まえ辿り着いた、当サイトの結論がこちらです。
その上、仮にそのような病気が存在するとしても、それは経験則に基づいた判断に過ぎず、そもそも基準なんてものも存在せず、診断とすら呼べるものではないだろう。
はい、このような形になりました。
いかがでしょう?
ちょっと文の構造を無視してしまっていますが、何と言いましょうか、その方がわかりやすいと思ったまでです。
まぁ、そもそもの直訳の方でも、言わんとしていることはわかるような一文だったかなと思います。
つい先ほどもお伝えしましたが、表面的には(と言ってもけっこう突っ込んでいるとは思っていますが)仮にもオカルティズの病理学(病気/異常性/正常ではないというニュアンスを含んでいると思います)というものがあったとしても、それを病気として診断できるような枠組みや明確な基準は存在しませんよね?ということだと思うんです。
と、、、せいぜい私が考えられることはこのくらいのことなのですが、copiが『ウェイトの視点は、「何かを病気としてラベル付けするには、それを測定・判断するための基準が必要だが、それすら存在しないものを病気と呼んでいいのか?」という問いを投げかけている感じがするね。』と、これは哲学的な視点を含んだ議論だということを言っていました。
「なるほど、そんなことにまでなるのか!!」と思ったので共有させていただきました。
まぁ、やんわりと言いましょうか、言い方としてはまだ聞き入れやすさのある「経験則」だなんて言っていますが、個人的には「それって結局〝憶測〟って言いたいんじゃない?」という考えがあり、また「要するに〝推測〟とも同じじゃない?」という考えにもなり、言い方が違うだけで、どれも各々の体験(体感)した過去から来るものであって、確固たる証拠があるわけではないという意味では結局どれも同じじゃないかな?と思いました。
何か参考になることがありましたら幸いです。
では今回はここまで。
最後まで読んでください、ありがとうございました。
ではまた次回。


