『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』を解読しながら訳していく Vol.39

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『The Pictorial Key to the Tarot(PART1)』解読・翻訳シリーズ第39回のアイキャッチ画像。ウェイト=スミスタロットを徹底追究し、表面的な解釈を超え、より魅力的なタロットの世界へ!!

こんにちは。

いつもご覧いただきありがとうございます。

今回は、少しだけ近況の報告をさせてください。

この『The Pictorial Key to the Tarot』の訳を始めた当初、ふと気になる単語の意味を調べる度、「またラテン語か!!」と、よく口にしていたことがありました。

実際、英語の語源を辿ると、ラテン語に行き着くことは多かったように思います。

つい先日、なんとなくYouTubeを開いてみると「何故、ラテン語が〝最強教養言語〟と呼ばれるのか?」というような動画が出てきまして、「おっ、これは面白そうだ!!」と、つい見入ってしまいました。

さすがに、これから学んでみようかなとまでは思えませんが、興味のある言語ではあるので、ぜひ人類が生存し続ける限り、残っていてほしい言語だなぁと思っています。

また、どの言語とも優劣が付かない『中立的な言語』というのも、物凄くいいな~と思いました。

もし次回(来世的なもの)があるのであれば、私は、英語とラテン語、そしてヘブライ語と日本語を話せる人間として生まれ変わりたいです。

そう、ラテン語って、なんかかっこいいイメージがあるんですよね。

『原点』とでも言うのでしょうか。

ほら、私って〝基本〟とか〝原点〟とか好きじゃないですか。

……そんなこと知らないか。

どうも、うずうずしてきてしまうのですよね。

全然『タロット』とは関係のないことになりますが、動画によると、『大学』というのは、元々キリスト教の学びの場から生まれたものだったそうですよ。

私は、そんなことまったく知らなかったので驚きました。

今、この『The Pictorial Key to the Tarot』の翻訳を通して、〝Arthur Edward Waite(アーサー・エドワード・ウェイト)〟という人物像にも触れる機会も多いので、「え?キリスト教?」なんて、つい耳が傾いてしまいます。(ウェイトが熱心なキリスト信仰者だったと見られるので)

英語に限らず、私たちが普段当たり前のように耳(口)にしている言葉にも、ラテン語由来(もしくはラテンが変形したようなもの)のものが多く存在するそうです。

  • 〝午前/午後〟の「AM/PM」
  • スポーツブランドの「ASICS」
  • りそな銀行の「りそな」
  • 大型鵜スーパーの「AEON」

などなど。

……ということは?

もしかすると、私たちは、知らず知らずのうちに、ラテン語なる言葉を発しているのかも知れない、ということになりますよね。

ならないか。

とは言え、私はそれを知ってなんだか嬉しくなりました。(ご清聴ありがとうございました)

ということで、前置きはこの辺りにして、本題に入りたいと思います。

前回は、ウェイトによる「もしハロルド氏がタロットのことを知っていたのなら……」という空想が語られた一文でした。

しかしながら、前回の一文はもちろんのこと、これまでにも度々〝空想〟を語ってきたウェイト自身が、他者の研究に対し、「空想」だの「夢」だのと評し――何とも、〝アーサー・エドワード・ウェイト〟という人物像が浮かび上がるような一文だったと思います。

また、これまでのあまりにも行き過ぎた語りの連続に、さすがに私自身も思うところがありました。

その心情を率直に語らせていただけたことによって、すっきり気持ちを切り替えることができました。

少々感情的な発言もあったと思うのですが、おかげさまで、やる気も取り戻すことができました。

ありがとうございました。

残りの2~3回の一文も、変わらず丁寧に掬い取っていきたいと思います。

今回は、どのような内容が語られるのでしょうか。

冷や冷やしつつも、やはり少し楽しみではあります。

では、参りましょう。

今回の一文:タロットの背後に浮かぶ、信仰思想

今回の一文です。

We should no doubt have had a vision of Christian Gnos-ticism, Manicæanism, and all that he under-stands by pure primitive Gospel, shining behind the pictures.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

今回は、このまま見ていきたいと思います。

上記は本文をそのまま引用していたものになり、どちらのハイフンも、改行時に使用されるハイフン(-)で間違いではありません。(ハイフンを除いたものが元の単語になります。)

そして、意味まではまだわかりませんが、またラテン語の〝æ(アッシュ)〟が使われた単語が出てきましたね。 (ウェイトは、アルファベットの〝a〟と〝e〟が続く箇所に、この記号を使うことがあります)

やはり、ラテン語は〝最強教養言語〟ですからね。

もしかしたら、ウェイトもラテン語に憧れを抱いていたのかも知れません。

では、よろしくお願いいたします。

架空の幻にウェイトは何を見るのか

では、We should no doubt have had a vision of Christian Gnosticism, Manicæanism, and all that he understands by pure primitive Gospel, shining behind the pictures.を見ていきましょう。

いつも通り、まずは単語や熟語の整理から行っていきます。

no doubt → きっと、疑いなく

vision → 幻視、象徴的な光景(幻、幻影)

Christian Gnosticism → キリスト教グノーシス主義

Manicæanism → マニ教

primitive Gospel → 原初の福音

※これらはほんの一例です。

はい、まさか以前触れたことがある『マニ教』と『グノーシス主義』が出てきました。

ちょっとラッキーです。

ただ、いつ頃出てきたのかを全然覚えていません。

……あっ!!

ありました、ありました。▶▶ こちら

そうでしたか――今では、知っているかのように「アルビジョワ派」なんて口にしていますが、当初は「〝アルビジョワ派(Albigensian)〟とは一体何なのか?」ということを調べていたのですね。

その時に、マニ教を扱っていて、何故かグノーシスについても少し触れていたのですね。

ウェイトが熱心なキリスト信仰者ということもあり、『The Pictorial Key to the Tarot』の翻訳をしていると、キリスト教に触れる機会が自然と多くなります。

もちろん、ほんの氷山の一角に過ぎないとは思いますが、これまで何ら関わりのなかった私からしますと、歴史を学んでいるような感覚でもあります。

思ってもみなかった副産物で、こういう部分も、翻訳を始めて良かったことの1つかも知れません。

では、本編に入りましょう。

まず、〝We should no doubt have had a vision of〟ですが、こちらは「私たちはきっと~の幻を見ていたことでしょう」というような意味かと思います。

前回扱った〝might+have(~していたかも知れない)〟と同じような形で、〝should+have(~していたはずだろう)〟という『仮定法過去完了』という文法になります。

一体、どんな幻を見ていたのでしょう?

次に、少し長いですが〝Christian Gnosticism, Manicæanism, and all that he understands by pure primitive Gospel〟とありまして、こちらが「キリスト教グノーシス主義、マニ教、そして彼が純粋な原初の福音によって理解する全てのもの」という感じでしょうか。

言うまでもないかも知れませんが、この〝he(彼)〟はハロルド氏のことだと思います。

『原初の福音』は、キリスト教っぽい何かに感じられますが、こちらはまた後程掘り下げていきたいと思います。

そして、最後に〝shining behind the pictures〟とありまして、こちらは「その絵の背後に輝いている」という意味かなと思います。

〝picture〟を単純に「絵」として良いかは悩ましいところだと思います。

この辺りも『まとめ』の方で探っていきましょう。

では、一度まとめてみたいと思います。

〝We should no doubt have had a vision of Christian Gnosticism, Manicæanism, and all that he understands by pure primitive Gospel, shining behind the pictures.〟

私たちはきっと、キリスト教グノーシス主義、マニ教、そして彼が純粋な原初の福音によって理解する全てのものが、その絵の背後に輝いている幻を見たことでしょう。

このような感じでしょうか。

ほとんどダイレクトな訳にしているつもりですが、なんとなく内容は伝わってくるものがありますよね。

今回は、あまり複雑ではない一文かも知れません。(ほっ♪)

では、『まとめ』に入りたいと思います。

まとめ|結論・解説・考察

では、改めて今回の一文をご紹介します。

We should no doubt have had a vision of Christian Gnos-ticism, Manicæanism, and all that he under-stands by pure primitive Gospel, shining behind the pictures.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

そして、今回のこれまでの訳です。

多少不自然でも、なるべく原文に手を加えずダイレクトに訳したものになります。

私たちはきっと、キリスト教グノーシス主義、マニ教、そして彼が純粋な原初の福音によって理解する全てのものが、その絵の背後に輝いている幻を見たことでしょう。

また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、改めて前回の結論もお伝えしておきます。

もし彼がタロットの存在を耳にしていたならば、もし彼が、霊的なカード、運命のカード、未だ見ぬ芸術とすら呼べるかも知れないカード、恐らくこれら全てのカードが、当時の南フランスでも流通していた可能性があることを知っていたとしたならば――彼の……魅惑的ではあるが絵空事のような仮説は、彼自身の夢という空想の中でより大きく膨れ上がっていたかも知れません。

最後に、本文の内容をより忠実に整えた(当サイト比)訳がこちらです。

私たちは、タロットの背後に輝く、キリスト教グノーシス主義、マニ教、そして彼が最も純粋な『原初の福音』とみなした全ての幻影を、きっと見ていたことでしょう。

このように整えました。

文法的には少し無茶をしていますが、拾えていないものはないかなと思います。

日本語としての響きや〝わかりやすさ〟を最優先しました。

どうぞお納めくださいませ。

ここからは、本文に出てきた『純粋な原初の福音』についてと、最終訳に至った経緯などをお話しさせてもらえたらなと思います。

宜しければ、ぜひ最後までお付き合いください。

純粋な『原初の福音』とは?

まず、今回の一文の中で、圧倒的に「これは?」と思われる点、『純粋な原初の福音』について、お話ししたいと思います。

やはり、こちらはキリスト教における定型句のようなものだそうで、本来は〝primitive Gospel(原初の福音)〟という語が使われているそうです。

〝pure〟と付けたのは、ウェイトなりに何か思うところがあってのことかなと思います。

それぞれの語を、簡単に調べて整理してみました。

  • Gospel(福音)
    キリスト教における「良い知らせ」のこと。
    具体的には「イエス・キリストが人類の罪のために死に、三日後に復活した」という救済のメッセージを指すのだとか。
  • Primitive Gospel(原初の福音)
    教義や制度が整う前の、初期のキリスト教における純粋な信仰・救済の語り。
    特に、イエス自身や使徒パウロが語った「福音の三要素(死・埋葬・復活)」を指すことが多いそう。

キリスト教において、これらの語には、このような意味があるようです。

ウェイトは、既に〝Primitive Gospel〟だけでも「純粋」というニュアンスを持つ語に、何故わざわざ〝Pure〟を付けたのでしょうか。

参考になるかはわかりませんが、〝pure〟が持つ「純粋」というような意味を、もう少しウェイトに寄せた感じで、具体的に表してみようと思います。

混じりけのない、清らかな、穢れのない/汚れのない、透明性、純粋、無垢、純度

このような感じでしょうか。

ですが、だからと言って「何」とも浮かんではきません……。

〝primitive Gospel〟以外にも、『福音』と呼ばれるものはあるそうなのですが、ぱっと見た感じでは、このウェイトの発言には直接的には関係なさそうだったのでその線は却下。

一体、何が〝pure〟だと言うのでしょう。

まったく見当もつきませんでしたが、AIとのやり取りで、ようやく「あ~なるほど~」となったので、ぜひその一部始終(要約あり)をご覧いただければと思います。

ちなみに、そもそも私自身の理解が至らず「子供にでもわかるように説明して!」と指示していますので、多少カジュアルなやり取りに感じられるかも知れませんが、ご容赦ください。

管理人

ねぇ!なんでそもそも〝Primitive Gospel〟で完結していそうな言葉(内容)なのに、わざわざ〝Pure〟を付ける必要があったのかな?

AI

〝pure(純粋な)〟を加えることで、ウェイトは制度や教派の影響を受けていない、象徴的で霊的な〝原点の光〟としての福音を描いていると考えられます。

管理人

でも、そもそもの〝Primitive Gospel〟だって制度化される前のものなんでしょ?それに特に「汚れた」とかって感じはしない気がするけど、だったら〝Pure〟がなくても同じ意味だったんじゃない?

AI

確かに〝primitive Gospel〟だけでも、制度化される前の〝原初の福音〟というニュアンスは十分に含まれているはずです。
ですが、ウェイトは、象徴の純粋性や霊的透明性に強いこだわりを持つ人物です。〝primitive〟だけでは「時代的な原初」に留まる可能性があるため、そこに〝pure〟を加えることで、霊的な純度・混じりけのなさを強調していると考えられます。

管理人

『時代的な原初』って何?

AI

『時代的な原初』という言葉は、少し抽象的に聞こえるかもしれませんが、ここでは〝ある思想や文化がまだ形になる前の、いちばん最初の段階〟を指しています。

AI

たとえば「キリスト教」という言葉を聞くと、今では教会や聖書、いろんな教派や儀式を思い浮かべますよね。 でもその始まりは、まだ教会も制度もなかった頃の、ほんの少人数の人たちが語り合っていた〝信じる気持ち〟〝希望の話〟だったんです。

管理人

うーん、言っている意味はわかるけど、『原初の福音』にとう当てはめればいいのかよくわからない。それにもしそうなら〝Gospel〟だけでも良かったんじゃないかと思ってしまうんだけど、それは違う?

AI

Gospel〟だけでは、意味が広すぎて、焦点がぼやけてしまうからです。

AI

〝Gospel〟はキリスト教全体で使われる言葉で、〝現代の教会で語られる福音〟〝教派ごとの解釈〟〝制度化された教義〟など、時代や文脈によって意味が変わってしまうんです。

管理人

はっ?
あっ、なるほど!!
『原初の福音』っていう言葉の意味(捉え方/解釈)自体が、今となっては人とか宗派によってが違うということだね!!
だから〝本当の1番最初の元祖『原初の福音』〟みたいなことを言いたくて〝Pure〟と付けたってことか!!

ということでですね、まさか〝Primitive Gospel〟という語を調べた先に、まさか〝人によってそれぞれ意味や解釈が異なる〟なんていうことが存在しているなんて思うわけもないのです。(笑)

少し感覚的かも知れませんが、このようなやり取りの中から、きっと何かしら「あっ、なるほど!!」と感じられる部分はあるのではないでしょうか。

参考になれば幸いです。

今回はこの辺りにしておきたいなと思うのですが、今思い付いたこととしてお伝えしたいことがあります。

時代や人、派閥によって解釈や意味が違うとなれば、もしかしたらウェイトの時代、もしくはウェイトが所属していたキリスト教の教派(のようなものがあるのでしょうか?)なりで、やはり『原初の福音』が、本来ウェイトの思う元祖『原初の福音』とは違う解釈になっていた可能性があるのかななんて思いました。

つまり、ウェイト自身には「これぞ『原初の福音』」というものがあったとしても、ウェイトの時代で語られた『原初の福音』には多少なりともずれがあり、内容はどうであれ、ウェイトにとっては「元祖こそ『原初の福音』」というような思いだったのかも知れないな、だからこその〝Pure〟なのかなと思いました。

ただ、そこまで知りたい気にはなれなかったので、今回はお伝えするだけにさせてください。(そんなこと調べ始めたら4~5年くらいは訳に戻ってこれない気がします笑)

ということで『純粋な〝原初の福音〟』についてでした。

本文の内容(考察)

そ・れ・で……なんですが。

「じゃぁ『純粋な原初の福音』については、なんとなくはわかったけど、だからと言ってこの文章の意味はいまいちわからなくない?」というのが、個人的な考えで、全体的な部分では「なんとなく言わんとしていることはわかる」のですが、実際「ちゃんと説明して」と言われたら、私はできないなと思っています。

そこで、更に理解を深めるべく、掘り下げていきたいと思います。

そう、この一文、ちょっと「ぼやっ」としているんですよね。

何と言いますか、あまり核心的なことを言っていないと言いましょうか……。(あっ、いつもか)

ですので今一度、ウェイトの語りを分解してみたいと思います。

  • We should no doubt have had a vision of〜
    「私たちはきっと~の幻を見ていたはず」
    実際には見えていないが「もし○○だったら見えていたはず」ということ
  • Christian Gnosticism, Manicæanism, and all that he understands by pure primitive Gospel
    「キリスト教グノーシス主義、マニ教、そして彼が純粋な原初の福音によって理解する全てのものが」
    前回の一文との繋がりが特に強い部分
    → 厳密には「(もしハロルド・ベイリー氏がタロットのことを知っていたのなら)、キリスト教グノーシス主義、マニ教、それと彼が元祖と呼べるほどの純粋な『原初の福音』として適切だと理解した全てのものが」という見えない文が存在する。
  • shining behind the pictures
    「その絵の背後に輝いている」
    → 絵は言うまでもなく『タロット』の絵のことを指していると思います。
    → もしハロルド氏がタロットのことを知っていたらのなら、タロットに描かれている絵の後ろに、輝かしいもの(恐らく②のこと)が存在する…かも知れないということを言っているのかと。

事細かく意味を抽出すると、このような感じになると思います。

また、道中〝picture〟を単に「絵」と訳すのはどうか、ということを言いながらも、今回の訳では『絵』としました。

と言いますのも、言い方としては「絵」でも良いと思うのですが、内容的な意味として、恐らく、ウェイトは〝絵画〟のような「絵」を指していると考えていたからです。

簡単に言うと、ウェイトには以前から、タロット1枚1枚に描かれている絵柄を〝絵画〟的な美術品として扱っている、という傾向が見られていたからです。

そのことにつきましては、これまでにも何度か触れたことがありますので、ここでの説明は割愛したいと思います。(良かったら検索欄に〝絵画〟などと入力して検索してみてください、多分それらしい記事がでてくるはずです)

そもそも私の理解が至らなかったので、このような細分化を試みたわけなのですが、いかがでしょう?

少し捉えにくい文章だったとは思いますが、段々と輪郭がはっきりしてきたのではないでしょうか。

一英文としても、ネイティブの方が見れば「うん、言ってることはわかるよ」という文章ではあるようなのですが、やはり内容までは、こうした神秘思想や象徴主義といったことに馴染みのない方ですと、捉えにくい一文だったそうです。

ですので、表向きには「ハロルド氏がもしタロットカードのことを知っていたのなら、そのタロットの絵柄の背景にも、きっとキリスト教グノーシス主義やらマニ教やら、また彼がもっとも純粋な『原初の福音』として見なす光輝かしいものが見えていたかも知れないね」という意味だと思うのですが。

……が、しかし。

ネイティブの方であっても、日本人ほどじゃないかも知れませんが、それすら知らない方だったり、もしくは興味のない方というのは普通にいるとは思うのですが、逆に言うと、これらのことを知らなければ、そんな背景を読み取ることすら適わないと言い換えることもできるのかなと思っていて、一見そうは見えない気がしますが、もしかするとこの一文には、いつも通り、皮肉のようなものが込められていたかなという気もしました。

考察は以上になります。

それにしても……。

以前、たまたまでも購入していたものだったので、何かしら参考なればいいなという思いからご紹介したかった『グノーシスの宗教』――実は最近ようやく読み始めたところだったんです。

前回ご紹介してからすぐに。

『グノーシスの宗教』の表紙画像。ハンス・ヨナス著、秋山さやか・八田正平訳。蛇と太陽の象徴が描かれ、異端視された世界に関する思想書。
グノーシスの宗教
© ハンス・ヨナス 著/秋山さと子・入江良平 訳

しかしながら、開始早々「ダメだ、全然何を言ってるのかわけがわからん」ということで、序文の2~3ページ目の途中で断念。

またいつかはトライしてみようなんては思っているのですが、やはり知らない用語が多い本って、ちょっと敷居が高いですよね。

冒頭で「ラテン語かっこいい!!」なんていうことを言いましたが、決してこの本のことを悪く言うつもりはないのですが、学びたくても学びづらい〝言葉の壁〟みたいなものがあるなと感じてしまいました。

日本語で書かれているのに理解できないなんて、ちょっと寂しいですよね。

とは言え、1日後。

「やっぱり知りたいな」という欲が再浮上、昨夜、『グノーシス主義とは?』というような動画を見ていたら、「あれ?やっぱりちょっと面白いな♪」と思ってしまったのです。

そしたら、「やっぱり読みたい!!」という気持ちになり、そして気付いてしまったんです。

「序文、読まなくていいや!!」ということに……。

もちろん、最終的には読むことになるのだろうとは思いますが、せっかく目次が細かく分けられているので、「読みたいところから読めばいいんだ!!」という思ってしまったのです。

全然考えてもみなかったことですが、目次には、私の好きな歴史用語がずらりと並んでいました。

そもそも『グノーシス』という思想が誕生したのは、紀元1世紀とか2世紀とかその辺りのことなのですね。

つまり、キリスト教と同じくらい古くからある思想ということです。

最初はそれに気付かなかったので、「こんなわからない単語ばっかり続くの無理だ~」と出鼻を折られる思いでいましたが、少し〝本〟に対して前向きになれた気がします。

あっ、念のためお伝えしておこうと思うのですが、『グノーシス主義』という言葉と『グノーシス』という宗教は別物ですからね。

先に『グノーシス』という思想が生まれ(要は『グノーシス主義』)、そのような思想を持つ人たちが集まることによって宗教となる、というような流れだと思います。

余談ですが、私は元々『グノーシス』だなんていう言葉は知りもしませんで、動画か何かで、誰かが言ったことを耳にしたのが最初だったのですが、最初は「愚能指数」だと思っていて、「そんな指数があるんだ」と物凄い勘違いをしていました。

ですが、『グノーシス』という言葉には「知識」という意味があるそうで、なんだか愚能指数もあながち間違っていないんじゃないかなと思ってしまいました。

つまり、愚能指数が0に等しいほど、知識が高いということですよね。(違うか)

ということで、『グノーシス』を理解するにも、まだまだ先が長そうです。

また、これまで、まるで知っているかのように「秘密結社(黄金の夜明け団やフリーメイソンなど)」などと口にしてきましたが、まだまだきちんと「秘密結社」を理解していなかったことにも気付きました。

ですが、『グノーシス』の歴史を辿ることによって、そのようなことも繋がってくるというのは、とても大きな発見&報酬でした。

また、このようなことがあったことで、今回の一文にある〝Christian Gnosticism〟という表現も、もしかしたらウェイトなりにグノーシス主義に尊重するものがあったのだろうという推測が立ちました。

アルビジョワ派同様、グノーシス主義も、本来、キリスト教の視点からは〝異端〟とされていたそうですから、熱心なキリスト信仰者であるウェイトが〝Christian Gnosticism(キリスト教グノーシス主義)〟とするのは、なかなか勇気のいることではないのかなと思いました。

引き続き、少しずつでも学んでいきたいと思います。

では、今回はここまで。

最後まで見てくださり、ありがとうございます。

また次回、お会いしましょう。

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