『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMPS MAJOR)』翻訳・解読【隠者】Vol.3
この記事は約 24 分で読めます。

こんにちは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
今回も、引き続き『The Pictorial Key to the Tarot』§2の「隠者」の続きを見ていきます。
これまでの内容を整理しながら、さっと簡単に振り返りたいと思います。
前からお伝えしていることになりますが、この§2は(表向きには)1910年当時のマルセイユタロットの一般的な解釈を述べられるコーナーとされているものの、実際にはそうでない場面も多々あり、時には当時のマルセイユタロットの解釈にはほとんど触れず、ウェイト自身(もしくはウェイト=スミスタロット)の解釈が述べられている場面もありました。
「隠者」に入ってからは、まず「隠者」のカードに付けられていた呼称について触れていました。
〝カプチン修道士〟や〝賢者〟という呼称を挙げていましたが、これらの呼称は Éliphas Lévi(エリファス・レヴィ)や Court de Gébelin(コート・ド・ジェブラン)といった、当時の有名なオカルティストのものから引用したと考えられます。
また、コート・ド・ジェブランの解釈と見られる〝探究〟という解釈を挙げつつも否定し、〝到達〟のカードであるということを主張していました。
更に、「隠者が持つランタンにはオカルトの光が宿り、杖は魔法の杖である」とも述べていましたが、「杖」を表す異なる単語が二度登場していたこともあり、マルセイユタロットの「隠者」のことなのか、それともウェイト=スミスタロットの「隠者」なのか、区別のつかない曖昧な表現を用いていました。
両隠者の杖の長さは異なり、ウェイトが使い分けた二語(staff/wand)からは杖の長さも推測できたため、どちらを指しているのか特定が困難でした。

右:マルセイユタロットの「隠者」
ところが一転、それまでに挙げた例を一刀両断。同時に、後で語られるとされている(ウェイト自身による)占い的な解釈についても〝diabolism(禍々しい)〟という強烈な比喩を用いて否定しました。
これは、この『The Pictorial Key to the Tarot』を売るため(少なからず初心者などにも向けて)、ウェイト自身も不本意ながら『占い解説書』というような内容を書かなくてはならなかったから、ではないかと考えます。
あるいは、そうした自身の解釈と共に、それまで一般的(代表的/大衆的)だったエリファス・レヴィやコート・ド・ジェブランの解釈をまとめて否定するための布石だったのか…。
いずれにしても、ウェイトの思う『真のタロット』ではありませんから、ある意味ウェイトにとっては、そのような占い的(表面的な)解釈であれば、例え自分が述べるものであっても、〝diabolism〟と断じることも厭わなかったのかも知れません。
いつもと言い方は違えど、『神聖なるタロットを本来の目的のためには使わず、安っぽい遊び(つまり表面的な解釈でしかない占いといった類)なんぞしおって!(当サイト訳)』と言い、加えて『それはまるで自ら〝破滅の道〟や〝愚行の道〟に進んでいるようなものだ』と痛烈に批判しました。
やはり皮肉の天才ですよね、ウェイトは。
私だったら、どんなに頭に来ていたとしても、こんな詩的な文章で怒りを表すことはできないと思います。
それでは、続きへと進めてまいりましょう。
ウェイトの矛先は何処へと向かうのでしょうか。楽しみですね。
前回の記事はこちら
もくじ
今回の文章:四大枢要徳の再表現――従来解釈への痛烈な批判
今回扱う文章をご紹介します。
Éliphas Lévi has allocated this card to Prudence, but in so doing he has been actuated by the wish to fill a gap which would otherwise occur in the symbolism.
The four cardinal virtues are necessary to an idealogical sequence like the Trumps Major, but they must not be taken only in that first sense which exists for the use and consolation of him who in these days of halfpenny journalism is called the man in the street.
In their proper understanding they are the correlatives of the counsels of perfection when these have been similarly re-expressed, and they read as follows:
※原文にある改行時に用いられるハイフン(-)は省略しています。
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
こちらを一文ずつ見ていきたいと思います。
では早速、よろしくお願いいたします。
一文目:「隠者」のためではなく「思慮」のための穴埋め
一文目は〝Éliphas Lévi has allocated this card to Prudence, but in so doing he has been actuated by the wish to fill a gap which would otherwise occur in the symbolism.〟です。
いつも通り、わからない単語から確認していきます。
・allocated → 割り当てる、配分する
・prudence → 思慮、慎重、慎慮(枢要徳の一つ)
・actuated → 動かされる、駆り立てられる
・otherwise → さもなければ、そうでないと
・occur → 起こる、生じる
※ここでは一般的なものを挙げています。
「思慮」という意味を持つ〝prudence〟は、「力」のカードのところでも語られていた「枢要徳」の一つです。古代ギリシャの哲学からキリスト教の倫理論に取り入れられた〝人間の徳の基本となる四つの徳〟のことを指します。
念のため、再掲しておきます。
枢要徳とは
- 思慮(Prudence):よく考えて正しい判断をする力。
- 正義(Justice):人に公平に接し、約束や義務を守ること。
- 剛毅(Fortitude):困難や恐れに負けずに立ち向かう強さ。
- 節制(Temperance):欲望や感情を抑えて、バランスを保つこと。
「力」のところでは「剛毅」を表す〝Fortitude〟が用いられていました。そして今回は〝Prudence(思慮)〟。
残る「正義」と「節制」も、タロットの大アルカナにある名称ですから、もし深く理解したい方であれば抑えておいた方が良いポイントなのかも知れません。

上段:ウェイト=スミスタロット
下段:マルセイユタロット
では、参ります。
まず〝Éliphas Lévi has allocated this card to Prudence〟ですが、こちらは「エリファス・レヴィはこのカードを〝思慮〟に割り当てた」というような意味です。
英語だからそうなのかわかりませんが、普通「カードに〝思慮〟という意味を付与した」というような言い方になると思うのですが、あくまでここでは「枢要徳の一つである〝思慮〟に、「隠者」のカードを割り当てた」とされていて、どっちが主役なのかな?と感じてしまいました(余談でした)。
続いて〝but in so doing he has been actuated by the wish〟とありますが、こちらが「しかし、そのようにすることにおいて彼は~という願望によって突き動かされていた」というような意味になります。
どのような願望かと言いますと、〝to fill a gap which would otherwise occur in the symbolism〟とありまして、こちらが「そうでもしなければ、その象徴体系の中に生じてしまったであろう不足を埋める」と言うような意味だと思います。
勝手に〝gap〟を知っている単語だと思っていましたが(洋服のブランドにあるため)、いざ訳そうとした時に「あれ?GAPってなんだっけ?」と実は単語の意味を知らなかったことに気付きました。
日本語英語の恐ろしいところですよね。つい、知った気になってしまっているのですよね。
では、一度まとめてみます。
〝Éliphas Lévi has allocated this card to Prudence, but in so doing he has been actuated by the wish to fill a gap which would otherwise occur in the symbolism.〟
→ エリファス・レヴィはこのカードに〝思慮〟を割り当てたが、そうすることによって彼は、そうでもしなければ、その象徴体系の中に生じてしまったであろう不足を埋めたいという願望によって突き動かされていたのである。
このような感じでしょうか。
そこまで内容の捉えられない文章だとは思いませんので、ひとまずはこのまま先へ進めてみましょうか。
…と思ったのですが、やはり先ほどの「どっちが主役?」の件について、少しだけお話しをさせてください。
結論からお伝えしますが、これはまさかのウェイトの意図によるものだという可能性が高いそうです。
「私の感じ方がおかしかったのかな?」と思い、複数のAIで検証してみたところ、「その指摘は正しいです!」という返答をもらいました。
あまり深く考えていなかったのですが、要は、ウェイト的には『エリファス・レヴィは「隠者」を主役にしているのではなく〝四つの徳〟を基準にした中で、たまたま空いていた「思慮」に「隠者」のカードを割り当てただけだ』という言い分を徹底しているようなのです。
先ほど、四つの枢要徳が全て大アルカナにある項目(名称?)ということをお伝えしましたが、その中でも「思慮」と合うカードがなかったから、それを埋めるように「隠者」を割り当てたということなのでしょう。
つまり〝解釈〟のために「思慮」があるのではなく、「思慮」という〝ポスト(座席)〟を埋めるための「隠者」ということなのですね。
その説明を聞いて、私も「おぉっ!!」となったのですが、なんとなくでも伝わりましたでしょうか?
更に、それに加え「彼は象徴体系の体裁を保つため、無理矢理に割り当てている」というような言い方をしているのです。これはかなり失礼な言い回しだそうです。
ネイティブの方が見れば「確実にウェイトはエリファス・レヴィのことを馬鹿にしている」というように感じる文章だそうです。
私にはそのようなニュアンスまで汲み取れる力はなく、本当にたまたま「あれ?」と感じただけでしたが、それでもふと踏み込んでみて良かったです。
もしかすると、これまでも私が気づいていないだけで、実際はもっと嫌な言い方をしていたのかも知れませんね。(笑)
では、次に進みましょう。
二文目:大アルカナと四大枢要徳――浅い理解に留まる大衆へ向けたウェイトの警告
二文目は〝The four cardinal virtues are necessary to an idealogical sequence like the Trumps Major, but they must not be taken only in that first sense which exists for the use and consolation of him who in these days of halfpenny journalism is called the man in the street.〟です。
少し長めですが頑張っていきましょう!!
また、単語等の確認から行っていきます。
・cardinal virtues → 枢要徳
・necessary → 必要不可欠な
・idealogical → 思想的な
・sequence → 連続、順序、一連の体系
・exists → 存在する
・consolation → 慰め、気休め、慰謝
・halfpenny journalism → 安っぽい低俗なジャーナリズム(報道/大衆的新聞)
・the man in the street → 一般大衆、世間一般/ごく普通の人
※ここでは代表的なものを挙げています。
ほとんどで申し訳ないです。「ちょっと前に聞いたな…」と思ったものでも忘れてしまっていて……へへへ。(汗)
〝cardinal〟には「枢機卿」という、まったく異なる意味もありますが、ここでは「主要な」という意味が適切かと思います。
それから、原文でも実際に〝idealogical〟という記述になっているのですが、現代の正しい綴りは〝ideological〟だそうです。
ウェイトの文章を扱っていると、現代の綴りとは違う単語が度々見られますが、そのような場合、大抵は「当時はそうだったが現代は違う」というような情報が必ずと言っていいほど出てきます。ですが、こちらに関してはそのような情報が見当たりませんでした。
単純に綴りの間違いだったかも知れませんし、もしかするとウェイトによる造語だっとも考えられますが、一応本文の通りに記載しておきます。
では、進めます。
まず〝The four cardinal virtues are necessary to an idealogical sequence like the Trumps Major〟ですが、こちらは「四つの枢要徳は大アルカナのような一つの思想体系の連続に必要不可欠である」というような意味でしょうか。
ここで言う「大アルカナ」は、主にマルセイユタロットの大アルカナを指していると考えた方が良いと思います。
これまでにも何度かお伝えしていることになりますが、ウェイトは自身の『大アルカナ』に対しては〝Greater〟という表現を用いています。つまりそれは、一般的に大アルカナとされている〝Major〟とは明確に区別を付けていると考えることができると思います。
まだ道半ばですので断定するのは避けたいですが、ウェイトにとっての『大アルカナ』は〝Greater〟であり、その中でもそれなりに敬意を持っていると伺える〝card〟ないし〝trump〟(ウェイトはこのような場合〝Tarot〟と呼ぶことがありません、今のところ)には〝Major〟を用いる印象があります。
この点を、やんわりとでも留めておいていただけたらと思います。
次に〝but they must not be taken only in that first sense〟ですが、こちらは「しかし、それらを第一の意味だけで受け取ってはならない」というような意味になると思います。
それっぽく言うのであれば「第一義」となるそうですが、私はあまりこのような言い方が好きではないので上記の通りにいきたいと思います。
「第一/最初の意味」というのは、「辞書で引いたような最初に見た意味」というようなことを言っているのだと思います。そしてそれを「受け取るな」とも言い、つまり「それで理解したような気持ちなってはいけない」ということ言い換えだと思いました。
やはりここも、ウェイトらしい言い回しかなと思います。
私、日本って〝失敗〟にすごく厳しい国だと思っていました。全体的(世界)に見て。ですが、こうした文章を見ると(しかも1910年代)もしかするとそれって世界共通で、誰でも〝知っている〟ということに満足しがちなのかなということが伺える気がします。
特に親しい人、近しい人、そうした本来大事にしたい相手にとって我々は、〝知っている〟あるいは〝知ってくれている〟と思いがちですよね。
しかし、それは本当にそうなのでしょうか?
良いとか悪いとかではありませんが、〝知っている〟というフィルターは、時に自分自身の目を曇らせることになることも多いと思うのですよね。あくまで個人的な感想ですが(余談でした)。
では、続きまして〝which exists for the use and consolation of him〟とありますが、こちらは「(その第一の意味)は、彼の利用と慰めのため存在する」というような意味でしょう。
この〝him〟は、すぐ後に出てくる〝the man in the street(一般大衆)〟のことを指します。
なんとなく、文全体の雰囲気が出てきましたね。
そして、最後に〝who in these days of halfpenny journalism is called the man in the street〟とありまして、こちらが「(彼は)今日の半ペニーのジャーナリズムにおいて〝一般大衆〟と呼ばれている」というような意味になりますでしょうか。
かなり直訳したのわかりにくいかも知れませんが、この「半ペニー」というのは1ペニーの半分=イギリスの通貨であるポンドの100分の1にあたるものです。
1910年当時の1ポンドを現代の価値に換算しますと15,000円ほど。つまり1ペニーは150円くらいの価値であり、その半分である「半ペニー」は75円ほどだったということになります。
しかし、ここで大事なのは価格帯と言うよりも、当時の一般的な大衆向けの新聞のようなものは1ペニー、それより質の高い新聞となると2ペニーほどしたそうで、「半ペニーのジャーナリズム(要は新聞のようなもの)」は最安ランクの新聞を表す比喩なのだと思います。
強烈な嫌味が続いていますね。
また〝the man in the street〟とありまして、これはほぼ定型文みたいなもので、もちろん良い意味では使われていません。この文脈ではやや見下したニュアンスだそうで、真のタロットを理解しようとする者と反する者を意味していると思います。
「一般大衆」とすると少し弱いかも知れませんので、敢えて「ごく普通の人たち」「その辺の人たち」などと訳してみると伝わりやすいかも知れませんね。
内容が盛沢山だったので、少し最初の方を忘れてしまいました…。
一度まとめてみますね。
〝The four cardinal virtues are necessary to an idealogical sequence like the Trumps Major, but they must not be taken only in that first sense which exists for the use and consolation of him who in these days of halfpenny journalism is called the man in the street.〟
→ 四つの枢要徳は大アルカナのような一つの思想体系の連続に必要不可欠であるが、それらを第一の意味だけで受け取ってはならず、(その第一の意味というものは)今日の半ペニーのジャーナリズムにおいて〝一般大衆〟と呼ばれる人の利用と慰めのために存在している。
ひとまずは一文として記述がされているので、冗長になるとわかりながら、敢えて一つの文章にしてみました。
いかがでしょう。
とは言え、やはりこれではわかりにくいと思うので、ウェイトの言い分を要点としてさっとまとめてみたいと思います。
- 枢要徳そのものは、思想体系として必要である
- だが、表面的な意味だけで理解してはならない
- その表面的な意味は、大衆向けの〝簡易的なもの〟にすぎない
- 〝大衆〟とは、安っぽい新聞の情報を鵜呑みにして満足してしまうような人たちのこと
- つまり、ウェイトは浅い解釈に満足する大衆文化を皮肉っている
こんなところだと思います。
何と言いましょうか、ウェイトのプロ魂というものがとても冴え渡っている一文だと思いました。
では、最後の一文を見ていきましょう。
三文目:完全になるために――四大枢要徳の再表現
では、三文目〝In their proper understanding they are the correlatives of the counsels of perfection when these have been similarly re-expressed, and they read as follows:〟を見ていきましょう。
また単語等の整理から行っていきます。
・proper → 適切の、本来の
・correlatives → 相関的な、対応する
・counsels → 勧告、教え、助言
・perfection → 完璧さ、完全
・similarly → 同様に
・re-expressed → 再表現された、言い換え/書き換えられた
※ここでは代表的なものを挙げています。
また硬そうな印象の単語が並んでいますね…。頑張りましょう!!
では、まず〝In their proper understanding〟ですが、こちらは「それらを本来の意味で理解するなら」というような意味になるかと思います。
次に〝they are the correlatives of the counsels of perfection〟ですが、こちらは「それらは完全さへの助言と対応するものである」と言うような意味かと思います。
それから〝when these have been similarly re-expressed〟とありまして、こちらが「これらが同じように再表現された時」という意味でしょうか。
そして、最後が〝and they read as follows:〟となりますが、こちらが「そして、それらは次のように読みます」というような意味になります。
文末にコロン(:)が付いているので、この後の内容こそ真打ということですが、個人的には「え?ここまでもけっこう大変だったんだけど…」と驚きです。
では、まとめてみましょう。
〝In their proper understanding they are the correlatives of the counsels of perfection when these have been similarly re-expressed, and they read as follows:〟
→ それらを本来の意味で理解するのであれば、それらは、これらが同様に再表現された際における〝完全さへの助言〟に対応するものであり、それらは次のように読みます。
「あれ」「これ」「それ」「それら」――「一体何を言っているんだ」と言いたくなるほど、代名詞ばかりでわかりづらいですね。(笑)
少し手直しします。
それら(四つの枢要徳)を本来の意味で理解するのであれば、それら(四つの枢要徳)は、これら(完全さへの助言)が同様に再表現された際における〝完全さへの助言〟に対応するものであり、それら(四つの枢要徳が再表現されたもの)は次のように読みます。
この一文は、「これから本番が始まるよー!!」という導入文なんですね。
確かに、この後(a)~(d)という項目に分かれ、今しばらく(表向きには)「隠者」としての解説が続き、その数まだなんと2ページも続きます(本だけ見ていると本当に気が遠くなりそうです笑)。
念のため、先読みと言いますか、少しだけどんな内容が書かれているのかAIに尋ねてみたのですが、「これはマルセイユタロットの隠者でも、ウェイト=スミスタロットの隠者の解説でもありません。なんならタロットカードの解説ですらありません。」というような回答が返ってきました……。
えっ?
ということで、どのような内容が語られるのでしょうか。みなさんも楽しみにしていてください。
では、まとめに入りたいと思います。
まとめ
改めて、今回取り上げた文章をご紹介します。
Éliphas Lévi has allocated this card to Prudence, but in so doing he has been actuated by the wish to fill a gap which would otherwise occur in the symbolism.
Arthur Edward Waite
The four cardinal virtues are necessary to an idealogical sequence like the Trumps Major, but they must not be taken only in that first sense which exists for the use and consolation of him who in these days of halfpenny journalism is called the man in the street.
In their proper understanding they are the correlatives of the counsels of perfection when these have been similarly re-expressed, and they read as follows:
『The Pictorial Key to the Tarot』より
また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、前回の結論もお伝えしておきます。
これらの解釈は、あらゆる点において、私が後程順を追って扱わなければならない〝占い〟や〝おみくじ〟といった類の意味と同等のものである。
両者の禍々しさは、それらのやり方においては真実ではあるが、それは本来大アルカナが象徴する高次なる全ての事象を見落としている点にある。
それはまるで、全ての道が高みに通じ、神こそが全ての頂点に位置することを心の底では知りながらも、敢えて自らの到達すべき道として破滅や愚行の道を選んでしまうようなものだ。
そして、今回のこれまでの訳です(多少不自然でも、なるべく原文に手を加えずダイレクトに訳したものになります)。
→ エリファス・レヴィはこのカードに〝思慮〟を割り当てたが、そうすることによって彼は、そうでもしなければ、その象徴体系の中に生じてしまったであろう不足を埋めたいという願望によって突き動かされていたのである。
→ 四つの枢要徳は大アルカナのような一つの思想体系の連続に必要不可欠であるが、それらを第一の意味だけで受け取ってはならず、(その第一の意味というものは)今日の半ペニーのジャーナリズムにおいて〝一般大衆〟と呼ばれる人の利用と慰めのために存在している。
→ それら(四つの枢要徳)を本来の意味で理解するのであれば、それら(四つの枢要徳)は、これら(完全さへの助言)が同様に再表現された際における〝完全さへの助言〟に対応するものであり、それら(四つの枢要徳が再表現されたもの)は次のように読みます。
最後に、本文の内容をより忠実に整えた(当サイト比)訳がこちらです。
エリファス・レヴィはこのカードに〝思慮〟を割り当てたが、それは、そうでもしなければ象徴体系の中に生じてしまったであろう欠落を埋めたいという願望に突き動かされていたのである。
四つの枢要徳は大アルカナのような思想体系の連なりにおいて必要不可欠であるが、今日の半ペニーほどの通俗的な報道紙において〝一般大衆〟と呼ばれる人々の便宜や慰めのために存在する第一義的な意味を、その意味だけで受け取ってはならない。
これらを本来の意味で理解するのであれば、それらは同様に再表現された〝完全さへの助言〟に対応するものであり、それらは次のように読み解くべきである。
このような形に整えました。
最終的な訳では、〝日本語としてわかりやすく〟を優先していますので少しだけ文法を無視していますが、原文が伝えていることはかなり反映できていると思います。
今回も都度解説を付け加えてきましたので、改めて解説は必要ないと思います。
最後に〝完全さへの助言〟について少し触れ、終わりにしたいと思います。
解説・考察
みなさんは〝完全さへの助言〟を理解できていましたか?
私は、まず訳に一生懸命になってしまうので、途中で「ん?完全さへの助言ってなんだ?変な日本語」と思ったりはしても、つい後回しにしてその言葉に向けた疑問を忘れてしまうことが多々あります。
今回も一通り訳を終え「にんまり」としていたところ、「はっ!!」と気付いてしまいました。(笑)
ということで、ここから〝完全さへの助言〟について少しお話しをしていきたいと思うのですが、恐らく……この言葉を知っている方はキリスト教の方、あるいはキリスト教に詳しい方でしょう。
しばらく、そうした言葉の引用がなかったので完全無警戒でしたが、そうなんです。
〝完全さへの助言(the counsels of perfection)〟という語は、キリスト教ではよく使われる言葉だったのです。
キリスト教には〝十戒〟と呼ばれる『誰もが守らなくてはいけないルール』があるようなのですが、こちらは『より高みを目指す人のための特別なアドバイス』といったような内容だそうです。
なんだか、かっこいいですね。私は好きですね、そういうの(え?聞いてない?)。
少し踏み込んでみましょう。
キリスト教には「清貧」「貞潔」「従順」という伝統的な三つの誓いがあるそうで、それらを『福音的勧告(Evangelical Counsels)』と呼ぶそうです。
- 清貧(せいひん):物に執着しないこと
- 貞潔(ていけつ):清らかな心でいること
- 従順:我を捨て、大いなる導きに従うこと
これらは〝普通の生活〟をするために必須なものではありません。ですが、より高みを目指す人が選んで実践する生き方として取り入れるものだそうです。
ウェイトは、タロットに割り当てる(あくまでここではカードが主役)四つの枢要徳を「もう一度、深い理解で読み直す」と宣言しているわけなのですが、その行為自体がこの〝完全さへの助言〟と対応関係にあると述べているわけなんですね(意味わかりますか?汗)。
〝完全さへの助言〟は、より良い生き方を目指すためのものというわけですよね?
つまり、ウェイトが四つの枢要徳をアップデート(再表現)することは、タロットをより良い(深い)理解に導くということ、なので「同様に(similarly)と、そのようなことを言っているのだと思います。
何かしら伝わるものがありましたら、幸いです。
先から私の頭の中では、何者かが『エヴァンゲリオン』と連呼しています(ぜひ綴りをよく見てみてくださいね)。
では、今回は以上となります。
最後まで見てくださり、ありがとうございます。
また次回、お会いしましょう。


