『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMPS MAJOR)』翻訳・解読【正義】Vol.3

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『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMP MAJOR)』翻訳・解読【正義】のアイキャッチ画像。

こんにちは。

『タロットの世界』へようこそ。

寒いですね。

みなさんも、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

私が現在暮らす弘前市は、気付けば最高気温が0℃に満たない日が続いていました。

ほとんど外に出ないものですから、天気予報を見る機会もあまりないのですが、たまたま天気予報のアプリを開いた時に「気温 0℃|体感温度-6℃」と表示されているのを見掛けました。

〝寒い〟って、どんなに寒くても、〝寒い〟以外に表現する言葉ってないじゃないですか(〝暑い〟も同じですかね)。

私も、とにかく「寒い寒い寒い寒い」と言うくらいしかないのですが、せいぜい「痛い寒さだ」とか、そのくらいかと思うんです。

ですが、こうして改めて数値として見ますと「あぁ、寒いんだなぁ…」と妙に納得がいくと言いますか、なんだか不思議な気持ちがしました。

更にアプリを見ていくと、明け方の4時には体感温度が-10℃にまで下がるという表示がありましたが、もう想像が追い付きません。

今度「-10℃」という数値を知った上で、改めて体感してみようと思いました。

こちらに来て早一年、雪をどかしたりしなければならなくなることはまぁまぁ大変ですが(あっ、そういう意味では一応外には出ていますね)、白い雪が降っている様子をただただ眺めている時間は、何とも穏やかな気持ちになれて良いものですよ。

…(間が空くこともありましたが)一年経ってもまだ§2かぁ。(笑)

では、前置きはこの辺にして本題に入りましょう。

今回と次回で「正義」を終えられそうですが、今回は膨大な量になってしまいました。

ぜひ、お菓子と温かいお茶をご用意の上、休憩しながらゆるりとご覧くださいね。

前回の記事はこちら

『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMPS MAJOR)』翻訳・解読【正義】Vol.2

「正義」の女性像=アストレア説を語るウェイト。象徴の変遷や起源説の歴史、そしてアストレア神話の実像を辿っていく――すると、思いもよらない事実が浮かび上がった。

今回の文章:欠けた四大枢要徳――歴代オカルティストを翻弄した「思慮」

今回扱う文章です。

Its presentation of Justice is supposed to be one of the four cardinal virtues included in the sequence of Greater Arcana; but, as it so happens, the fourth emblem is wanting, and it became necessary for the commentators to discover it at all costs.

They did what it was possible to do, and yet the laws of research have never succeeded in extricating the missing Persephone under the form of Prudence.

Court de Gebelin attempted to solve the difficulty by a tour de force, and believed that he had extracted what he wanted from the symbol of the Hanged Man—wherein he deceived himself.

※原文にある改行時に用いられるハイフン(-)は省略しています。

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

いつも通り、こちらを一文ずつ見ていきます。

では早速、参りましょう。

よろしくお願いいたします。

一文目:「正義」の解説にねじ込んだウェイトの正義―見えざる主観と批判

それでは、一文目〝Its presentation of Justice is supposed to be one of the four cardinal virtues included in the sequence of Greater Arcana; but, as it so happens, the fourth emblem is wanting, and it became necessary for the commentators to discover it at all costs.〟を見ていきたいと思います。

まずは、いつも通り単語等の確認から行っていきます。

presentation → 提示、描き方、見せ方
supposed → ~とされている、~と考えられている
cardinal virtues → 四大枢要徳
included → 含まれている、組み込まれている
sequence → 順序、連続、並び
as it so happens → 生憎
wanting → 欠けている、不足している
necessary → 必要、不可欠な
discover → 発見する、見付ける
at all costs → どんな犠牲を払っても、何としても

※ここでは一般的なものを挙げています。

既にこんなにも知らない単語があり、残りの二文が心配になります。

とは言え、一つずつ読み解いていけば、わからないということはない(訳自体は、と言っておきましょう)と思うので、いつも通り、少しずつ解きほぐしていきましょう。

では、まず〝Its presentation of Justice is supposed to be one of the four cardinal virtues〟ですが、こちらは「その正義の提示は四つの枢要徳のうちの一つであると考えられている」という意味だと思います。

また、これまでにも何度か〝cardinal virtues=四大枢要徳〟という単語は出てきているのですが、何故かここに来て急に〝the four〟が付け加えられているんですね。

そもそも〝cardinal virtues〟は「枢要徳」という意味で、敢えて「四」という数字を付けなくても基本的には「四つの基本的な徳」を表す語になります(それでも当サイトでは敢えて『四大枢要徳』と訳していますが)。

少し調べてみますと、ここでは四つの枢要徳のうちの一つを特定しているために、定冠詞として〝the four〟が付いているそうです。

続きまして〝included in the sequence of Greater Arcana〟ですが、こちらは「大アルカナの並びに含まれる」という意味です。

ここでの「大アルカナ」は、〝Greater Arcana〟と記されているので、ウェイト=スミスタロットの大アルカナを指していると見て間違いないと思います(ウェイトは自身のタロットの大アルカナにだけ〝Greater〟を使います)。

次に〝but, as it so happens, the fourth emblem is wanting〟ですが、こちらが「しかし、生憎、その四つ目の紋章は欠けている」というような意味だと思います。

カンマ(,)を用いて〝間〟のようなものが生み出されていますね。

また、〝as it so happens〟は一般的に「生憎」とされるそうなので「生憎」としましたが、実際には「それは、そのように起きている事として」と、直訳寄りに読んだままの方がニュアンスは伝わりやすいと思いました。

「こういうことが起こっているけど、でも実際はね…」ということを言いたいのだと思います。

日本語訳を調べると、この過程がすっ飛ばされていきなり「生憎だが実際には」というような訳が出てくるサイトもあったので、「〝実際には〟なんて単語はないのになんでだ?」と気になり、一応お伝えしておきたいなと思いました。

では、最後に〝and it became necessary for the commentators to discover it at all costs〟ですが、こちらは「そして、何が何でもそれを見つけ出すことが、解説者たちにとって必要となった」というような意味になると思います。

一度まとめてみましょう。

〝Its presentation of Justice is supposed to be one of the four cardinal virtues included in the sequence of Greater Arcana; but, as it so happens, the fourth emblem is wanting, and it became necessary for the commentators to discover it at all costs.〟

→ 「正義」の提示は、大アルカナの並びに含まれる四つの枢要徳のうちの一つであると考えられているが、しかし、生憎、その四つ目の紋章は欠けており、何が何でもそれを見つけ出すことが、解説者たちにとって必要となったのである。

内容はさておき、言っていることの意味はわかりますよね。

今回は、先に私なりの解釈をお伝えします(一応、意訳とします)。

まず――「正義」のカードが表しているものは、(ウェイト=スミスタロットの)大アルカナの並びに含まれている『四大枢要徳』の一つだと考えられている――と言っていますが、これはあくまでも「ウェイトがそう言っているだけだよね?」ということを忘れてはいけないと思います。

この一文では「考えられている」と、まるで周りの人たちもそうであるかのように記述されていますが、恐らくこれは、ウェイト=スミスタロットの大アルカナのみを指している時点で、ウェイトの一方的な主張だと思います。

自分を良く言うつもりではないのですが、この一文だけ、急に〝ウェイト=スミスタロットの解説〟が織り交ぜられているような構成になっていますよね。多分、普通に読んでいるだけでは気付きにくいところだと思います。

言い分としては「「正義」のカードはそういう風に考えられてはいるけど(あくまでもウェイトの勝手な言い分)、でも実際にはその『四大枢要徳』の四つ目=「思慮(prudence)」は欠けていて、解説者たちは、何としても四つの枢要徳を揃えたかったがために、無理矢理にも「思慮」の役割を担うカードを見付ける必要があったんだよね」ということなのだと思いますが、一見繋がりがあるように見えて、全く何とも繋がっていない気がします…。

個人的には〝ウェイトが好きなことを言っているだけ〟というような気がします。

また、「解説者たち(commentators)」と一括りにされていますが、恐らくこれも、当時の著名なオカルティストのことを指しているのではないかと思います。

これまでも、名指しはしないながらも、ここでの「解説者たち」のような別の呼び方を用いて「多分、この人のことなんだろうなぁ~」と思わせる文章が度々ありました(以前は〝物書き〟と称していたような)。

確証はありませんが、主に Éliphas Lévi(エリファス・レヴィ)、Court de Gébelin(コート・ド・ジェブラン)、Etteilla(エッテイヤ)、Papus(パピュス)、だいたいこの4人が含まれているんだろうなと思っていつも読んでいます。

当初は、こんなにも遠回しな表現ばかり且つ、他人に対してここまで批判的な内容が書かれているとは思っていなかったので、全く気にしていなかった部分なのですが、またもし二周目を始めた際には、このようなところも追究できたらいいなと思っています。

まだ、この一文しか見ていませんが、正直「え?なんでここでまた「思慮」の話が始まるの?」という気持ちです。

もし、この『四大枢要徳』を知らないという方がいらっしゃいましたら、ぜひ、「隠者」の記事を最初から見ていただきたいのですが、その「隠者」のところで扱ったばかりだと思うのですが…はて。

「正義」のことについて触れるのであればまだしも、何故また「正義」の解説欄で「思慮」の話を持ち出すのでしょうか…。

個人的には、この「正義」で語られている内容や解説(と言っても、いつも通り大した話はされていないと思っていますが…)は二の次三の次で、実際にはこうして(名指しではないものの)誰かの非難/批判したかったのかな?というような気もしています。

続きが気になりますね。

では、次の文章に進みましょう。

二文目:ウェイトだけが満たせる研究の法則

二文目は〝They did what it was possible to do, and yet the laws of research have never succeeded in extricating the missing Persephone under the form of Prudence.〟です。

では、また単語等の確認から行っていきます。

possible → 可能な、出来る限りの
and yet → それにも関わらず、それでもなお
laws of research → 研究の法則
succeeded → 成功した
extricating → 引き出す、救い出す
missing → 欠けている、欠落、行方不明
Persephone → ペルセポネ(ギリシャ神話の女神)

※ここでは代表的なものを挙げています。

多くて申し訳ないです…が、間違えているかも知れないまま進むよりは良いですよね(なんて)。

では、参りましょう。

まず最初に〝They did what it was possible to do〟ですが、こちらは「彼らは可能であったことをした」というような意味です。

この「彼ら(they)」は、前文の「解説者(commentators)」のことを指していると思います。

次に〝and yet the laws of research have never succeeded〟ですが、こちらが「それにも関わらず、研究の法則は一度たりとも成功したことはなかった」というような意味だと思います。

〝and yet〟は「しかし」というような意味を含むのですが、〝but〟よりも強い逆接だそうです。

〝the laws of research=研究の法則〟とは、何なのでしょうか…。

調べてみましたが、「研究」に関わらず、英語圏では〝laws of ○○〟という表現をよく使うそうで、特別な専門用語ということではないようでした(てっきり、ウェイトの造語かと思って身構えてしまいました)。

ただし〝the laws of research〟自体は、日常会話で使われることはほとんどないそうです。

「研究とはこうあるべきだよね/こういうことを守らなきゃいけないよね」というようなことを〝それっぽく〟言い換えた表現で、文学や論文、評論などではよく出てくるそうです。

続いて〝in extricating the missing Persephone under the form of Prudence〟ですが、こちらは「思慮という形の下でその欠けているペルセポネを救い出すことにおいて」というような意味でしょうか。

気持ち的に神話としてのペルセポネにぐいぐい引っ張られるのですが、前回「神話が出てきたら、まず物語について調べる!」と身を以って学びましたので、まずは訳を一通り完成させ、その後に神話、それから内容そのものの理解を深めていきたいと思います。

では、ひとまずまとめてみましょう。

〝They did what it was possible to do, and yet the laws of research have never succeeded in extricating the missing Persephone under the form of Prudence.〟

→ 彼らは可能であったことをしたが、それにも関わらず、研究の法則は、「思慮」という形の下でその欠けているペルセポネを救い出すことにおいて、一度たりとも成功したことはなかった。

まずは、直訳ではこのような形になると思います。

ペルセポネの方へ行くと、大幅に脱線する未来が視えます。(笑)

ペルセポネのことはさておき、内容自体は(あくまでもウェイト目線で)、「(前文で語られた)解説者たちは手を尽くしたけど、それでも〝研究〟という視点から見れば、その試みは一度も成功していないんだよね」というような言い分なのかなと思います。

個人的には、「そうは言っても、ウェイト基準の「研究の法則」に成功できるのはウェイトだけじゃないの?」と思ってしまうのですが…。

つまるところ、やはり言っていることはいつも通りで、「努力は認めるけど、でもずっと間違っているよね?」というようなことを、いつもとは少し違った角度から攻めてきたという感じではないでしょうか。

新作…ですね。

「思慮」というのは、言うまでもなく『四大枢要徳』の「思慮」のことだと思うのですが、これがギリシャ神話のペルセポネとどう関係あるのかは、今の私にはわかりません。

こちらはまた、ペルセポネの物語を調べてから、お話ししたいと思います。(『考察』の方で掘り下げていきますので、ぜひご覧ください)。

では、先を急ぎましょう。

三文目:「吊るされた男」に「思慮」を見出したコート・ド・ジェブランへの批判

三文目は〝Court de Gebelin attempted to solve the difficulty by a tour de force, and believed that he had extracted what he wanted from the symbol of the Hanged Man—wherein he deceived himself.〟です。

また、単語等の確認から行っていきます。

attempted → 試みた
solve → 解決する
tour de force → 力業/力技、無理矢理の離れ業
extracted → 引き出した、抽出された
wherein → その中で、その点において、そこで
deceived → 思い違いをした、自分を欺いた、思い込んだ

※ここでは代表的なものを挙げています。

ちっ、力業!?

なんだか面白そうな内容ですね。

では、まず〝Court de Gebelin attempted to solve the difficulty by a tour de force〟ですが、こちらは「コート・ド・ジェブランは、強引な力業でその難題を解決しようと試みた」という意味だと思います。

内容は全く異なるのですが、「ツール・ド・フランス(tour de France)」をご存知の方も多いと思います。

この〝tour de force〟は、ツール・ド・フランス同様、フランス語由来の英語のため、原文ではイタリック表記になっているそうです。

〝tour〟には「旅、巡り」「技」「順番」といった幅広い意味があり、最高の褒め言葉としても使われることがあるそうですが…もちろん、ここではそうではありません。「無理矢理なこじ付け」「強引な理論展開」という批判的な意味で使われています。

次に、少し長いですが〝and believed that he had extracted what he wanted from the symbol of the Hanged Man〟とありまして、こちらが「そして、彼は「吊るされた男」の象徴から彼自身が欲するものを抽出したのだと信じた」というような意味になると思います。

〝Hanged Man=吊るされた男〟というのは、大アルカナ12番目のカードのことです(丁度「正義」のカードの次なんですね)。

左:ウェイト=スミスタロット「吊るされた男」、右:マルセイユタロットの「吊るされた男」
左:ウェイト=スミスタロット
右:マルセイユタロット

私はまだ、「吊るされた男」をどのように解釈するのかほとんど知らないのですが、とは言え、私はこのカードが昔から好きでして…。

子供の頃に見た、『金田一少年の事件簿』という漫画でこのカードの存在を知りました。

作中では、犯人が〝カードの構図と同じように殺人をする〟というような使われ方をしていたのですが、犯人は〝逆位置(カードの向きが逆さまになることです)〟を知らず、被害者を自殺に見せようと首から吊るすというミスを犯してしまうんです。

そこに、名探偵を祖父に持つ主人公はじめちゃんが「これは、本当は首を吊るされているカードじゃないんだ!!」と、見事推理により犯人を追い詰める――そのシーンがとても印象的で、どういうわけか、その頃からずっと「吊るされた男」が好きなんですね。

私個人としましては、〝逆位置〟そのものにはそこまで強いメッセージ性があるようには思えないのですが(あっ、リーディングにおいての話です)、〝絵〟として「吊るされた男」を逆さに見るのは、少し愉快な気持ちになります…。

「吊るされた男」の逆位置。
左:ウェイト=スミスタロット
右:マルセイユタロット
「吊るされた男」の逆位置

話を戻しますが――

つまり「コート・ド・ジェブランは(主にマルセイユタロット系のタロットの)「吊るされた男」の中にある、何らかの象徴から無理矢理に『四大枢要徳』の「思慮」を抽出した、とコート・ド・ジェブラン自身はそう信じている」ということなのだと思いますが、ウェイトらしい遠回し且つ嫌な言い方だなと思います。

コート・ド・ジェブランは「吊るされた男」の中から「思慮」を見出したと、本人は信じている――ということをウェイトは信じている…。

ちなみに私は、この手のウェイトの語りは話半分で聞いていますので、ほとんど信じていません――という自分を信じている、と読者の方にそう思われている、と読者の方は信じ……もう良いですかね。(笑)

そして、最後に〝wherein he deceived himself〟とありますが、こちらが「その点において、彼は自分自身を欺いた」という意味になります。

ちなみに、ウェイトとコート・ド・ジェブランとでは、一世紀以上の世代差があるので、時期が重なることはありません(約130年ほどの開きがあります)。

では、一度まとめてみましょう。

〝Court de Gebelin attempted to solve the difficulty by a tour de force, and believed that he had extracted what he wanted from the symbol of the Hanged Man—wherein he deceived himself.〟

→ コート・ド・ジェブランは、強引な力業でその難題を解決しようと試み、そして彼は「吊るされた男」の象徴から彼自身が欲するものを抽出したのだと信じた――その点において、彼は自分自身を欺いたのである。

はい、このような形になると思います。

細かい部分はさておき、内容としてはそのままでも十分に伝わりますよね。

ただ個人的には、内容としてはやはりこの「正義」の場ではなく、「隠者」の「思慮」で話すべき内容だったのでは?と感じてしまうのですが……何か理由があるのでしょうかね。

「正義」の次のカードが、「吊るされた男」だからでしょうか…。

では、まとめに入りたいと思います。

まとめ

改めて、今回扱った文章をご紹介します。

Its presentation of Justice is supposed to be one of the four cardinal virtues included in the sequence of Greater Arcana; but, as it so happens, the fourth emblem is wanting, and it became necessary for the commentators to discover it at all costs.
They did what it was possible to do, and yet the laws of research have never succeeded in extricating the missing Persephone under the form of Prudence.
Court de Gebelin attempted to solve the difficulty by a tour de force, and believed that he had extracted what he wanted from the symbol of the Hanged Man—wherein he deceived himself.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、前回の結論もお伝えしておきます。

11番目のカードの女性像は〝アストレア〟であると言われており、アストレアは「正義」を体現したものであり、同一の象徴らによって表されている。
とは言え、この女神にせよ、あの低俗なキューピッドにせよ、タロットの起源はローマ神話にあるわけでもなければ、ギリシャ神話にあるわけでもない。

そして、今回のこれまでの訳です(日本語としては不自然でも、なるべく手を加えず、ほぼ文法通りのダイレクトな訳になります)。

→ 「正義」の提示は、大アルカナの並びに含まれる四つの枢要徳のうちの一つであると考えられているが、しかし、生憎、その四つ目の紋章は欠けており、何が何でもそれを見つけ出すことが、解説者たちにとって必要となったのである。

→ 彼らは可能であったことをしたが、それにも関わらず、研究の法則は、「思慮」という形の下でその欠けているペルセポネを救い出すことにおいて、一度たりとも成功したことはなかった。

→ コート・ド・ジェブランは、強引な力業でその難題を解決しようと試み、そして彼は「吊るされた男」の象徴から彼自身が欲するものを抽出したのだと信じた――その点において、彼は自分自身を欺いたのである。

続いて、なるべく本文に忠実に、その上で日本語としてもう少しわかりやすく整えた(当サイト比)訳がこちらです。

「正義」のカードは、大アルカナに含まれる四つの枢要徳の一つとして提示するものと考えられているが…生憎、実際はその四つ目の象徴が欠けており、解説者たちは何としてもそれを見つけ出す必要に迫られたのである。
彼らは可能な限りを尽くしたが、〝研究の法則〟においては、「思慮」という名目である以上、ペルセポネを救い出そうとする試みは一度も成功したことはなかった。
コート・ド・ジェブランはこの難題を強引な力業で解決しようとし、「吊るされた男」の象徴から自分が欲するものを抽出できたと信じ込んだが、それは彼自身の思い込みに過ぎなかったのだ。

今回はとても大変でした。

ちなみに、この最終訳を出すために、まずこの後に続く『神話としてのペルセポネ』を理解しようとし、本文に使われている単語について考察を深めてから戻ってきているという感じなので、脅かすわけではないのですが、特に二文目は神話の内容を知らないと理解が難しいと思いました。

かなり長くなってしまうのですが、もし宜しければ、この後に続く『考察』もぜひ併せてご覧ください。

正直、私自身もそれを知ったからと言って「100%理解できた」とは言い難いのですが、ないよりは参考になる部分もあるのではないかと自負しております。

ということで、今回はいつも以上に一つひとつを掘り下げていっています。

そのため、『神話のペルセポネ』→『考察』→『解説』という順番になっています。

神話としてのペルセポネ

はい、では早速ですが、まずは〝神話としてのペルセポネ〟について、お話ししたいと思います。

当然と言えば当然だったかも知れないのですが、ほんの数日前に、私は「『神話』というものは時代と共に変化しているものなんだな」ということを知りました。

私はこれまで、基本的には漫画やアニメ、ゲームなどのキャラクターを通して、神話に出てくる神様たちを知るというくらいで、『神話』そのものに触れたことはほとんどありませんでした。

てっきり、元々大昔に『神話』という一つの作品が作られていて、その中に数多い物語が存在しているのだと思っていたのですが、そもそもは口で伝えられてきたと知り驚きました。

ですから、最早「この神話こそ正しい」という〝正しさ〟のようなものは、誰にも判断できることではないということも悟りました。

前回の〝アストレア〟とは違い、ペルセポネは比較的初期の段階からキャラクターとして確立していた印象がありますが、それでも後世になればなるほど、様々な脚色が加えられたのは言うまでもありません。

ですので、解釈も十人十色、人それぞれだと思います。

ですが、まず私自身が〝神話としてのペルセポネ〟について何も知らない状態ですので、ここでは――

① 最古のペルセポネ
② ウェイトの時代のペルセポネ
③ 現代の主流となっているペルセポネ

この三つの時代に絞って〝ペルセポネ〟を調べてみたいと思います。

きっと、ウェイトの理解を深める助けになるでしょう。

① 基本的なペルセポネ(最古層)

まず、基本的な〝ペルセポネ〟のストーリーとして、最古層にあたる『ホメロス風讃歌(Hymn to Demeter)』の一つ、『デメテル讃歌』に記されていたとされる、ペルセポネの部分だけを物凄く簡単にまとめてみたいと思います(お手柔らかにお願いいたします)。

ちなみに『ホメロス風讃歌』と言いましたが、ギリシャ神話を語った有名な詩人の一人としてこのホメロスが挙げられるそうなのですが、タイトルにある〝風〟はその名の通り「ホメロスっぽい」という意味で、実際の作者や成立時期は特定されていないそうです(むしろ、それが『神話』っぽくて良いですよね)。

基本的なペルセポネの物語(最古層)

ある春の日、豊穣の女神デメテルの娘〝コレー〟は野に咲く花を摘んでいました。すると突然、大地が裂け、冥界の王ハデスが馬車に乗って飛び出してきたのです。
コレーは悲鳴を上げましたが、そのまま暗い冥界へと連れ去られてしまいました。

ギリシャ神話『デルメル讃歌』をイメージした画像。野原で花を摘む少女コレー(ペルセポネ)と、背後の大地の裂け目から現れる冥界の王ハデスの影。

しかしこの出来事は、神々の王ゼウスが密かに許可を与えていたものでした。

娘の悲鳴を聞いたデメテルは、松明を掲げて九日九夜、飲まず食わずで娘を探し回ります。
やがて、娘の誘拐がゼウスの意向によるものだと知ったデメテルは激怒し、神々の座オリンポスを離れました。

彼女は老女の姿に変装して人間界を放浪します。
彼女の深い怒りと悲しみは大地から一切の芽吹きを拒み、人類は飢餓の危機に瀕しました。

このままでは人類が滅び、神々への供物も絶えてしまうと焦ったゼウスは、ハデスにコレーを地上に戻すよう命じます。
ハデスは表向きには同意しますが、別れ際、コレーにザクロを食べさせました。

冥界の食べ物を口にした者は、完全には地上に戻ることができない――
この掟により、コレーは一年の一部を冥界でハデスの妻として過ごさなくてはならなくなりました。

冥界で過ごす女王としての彼女は、ここで初めて〝ペルセポネ〟と呼ばれるようになります。

ギリシャ神話『デメテル讃歌』をイメージした画像。冥界の掟によりハデスの妻・女王ペルセポネとして、暗い冥界の玉座に静かに座る姿。

ペルセポネは一年の三分の二を地上で母と暮らし、一年の三分の一を冥界でハデスと暮らしました。
娘が冥界で過ごす間、作物が実ることはありませんでした。「冬」の誕生です。

そして、この循環こそが「四季」の起源として語り継がれていったのでした。

…まとめながら気付いたのですが、ペルセポネと言うよりは、お母さんのデメテルを主人公とした物語だったようですね。

自分で『デメテル讃歌』と記述しているにも関わらず、後半になる辺りまで、お母さんの名前がタイトルになっていたことに気付きませんでした。(汗)

一応、補足として、

  • 本来〝コレー〟も〝ペルセポネ〟も固有名詞と言うより、〝役割〟を示すような名称だそうです
  • 最古のものは〝誘拐 → 嘆き → 仲裁 → 四季の成立〟という非常にシンプルな構成
  • そもそもは人間の何たるかを語るものではなく、農耕のサイクルを説明するための物語だったそう
  • 後世で付け足されたような恋愛や心理的描写は無し

これらのことも、お伝えしておきます。

いかがでしょうか。

直訳を再表示しておきますが――

「彼らは可能であったことをしたが、それにも関わらず、研究の法則は、「思慮」という形の下でその欠けているペルセポネを救い出すことにおいて、一度たりとも成功したことはなかった。」

正直現時点では、私には〝神話のペルセポネ〟と〝ウェイトのペルセポネ〟の繋がりが全く見えてきません…。

大丈夫かな、ちょっと怪しい気がします…。

調べたのに、また「何の成果も!!得られませんでした!!」になったらどうしよう(あぁ、記憶に新しい〝アストレア〟…汗)。

まっ、まぁ、その時はその時ですよね。

神話は神話で知りたいとも思っているので、それはそれでまた良しとしましょう♪

では続けて、ウェイトが生きた時代(1900年頃)のペルセポネを見ていきたいと思います。

② ウェイトの時代のペルセポネ(1900年頃)

1900年前後になると、文学・心理学・芸術の影響でペルセポネのイメージは大きく変化しました。

ここでは、それを簡潔に述べたいと思います。

  • 〝四季の説明(農耕のサイクル)〟に意味が足された
    → 変化の際には必ず停滞の時期がある
    例)冬=失敗や罰ではなく「次の再生の前段階」
  • コレーとペルセポネが「段階の違い」と読まれるようになった
    ・コレー:役割を持たない状態
    ・ペルセポネ:役割を引き受けた状態
    ※あくまで社会的、象徴的な段階差であり、この時点では性格や感情は加えられていないそう
  • 冥界のマイナスイメージが和らぐ
    → 冥界=消失ではなく〝保留〟という考え
    → 地上に戻るための必要な領域=次の段階に進む過程
    ※ハデスの美化ではない、冥界の機能の再定義
  • ペルセポネを象徴として捉える理解が広まった
    → 古代の宗教的な思想(特にエレウシス秘義)が再び注目され、〝生と死〟〝失うことと再び得ること〟などを表す象徴として捉えられるようになった
    ※ペルセポネの心理的な成長ではなく、世界の循環を成り立たせるために必要な役割として考えられた

ちなみに、この時点ではまだ付与されていないものとしては、

  • ペルセポネの恋愛感情、ハデスとのロマンス
  • 自発的に冥界を選択する描写
  • ハデスとの対等な関係
  • 心理的成長の物語

このようなことが挙げられます。

正直、本文のペルセポネを理解するのであれば、1900年頃までの〝ペルセポネ〟を知っていれば十分かなと考えていたのですが、私は、この時点でも全然ぴんとは来ていません(どうしよう…汗)。

とは言え、ついでなのと、個人的に知りたいという理由のため、現代のペルセポネについても簡単にまとめておきたいと思います。

…やはり三千年近くもの歴史=人々の思いが詰まった物語ですから、どうやっても一朝一夕にとはいきませんよね。

内容として不十分な点も多いと思うのですが、どうかご寛大に、ご容赦賜りたく存じます。

実際、現代のペルセポネは本文とは関係ありませんので、もし最終的な考察に飛びたい方は「こちら」からどうぞ。▶▶ こちら

③ 現代主流となっているペルセポネ

既に②でも軽く触れましたが、①と②を踏まえ、現代ではどのようにペルセポネが扱われているのか、また簡潔に述べていきたいと思います。

  • ペルセポネの主体性が強調されるようになった
    → 誘拐された娘から、自ら冥界に関わる役割を引き受ける存在へ
    ※受動的な被害者ではなく、選択や意思を持つ存在として再解釈される
  • コレーとペルセポネの「段階の違い」に内面的変化も加えられた
    ・コレー:未分化で守られた状態
    ・ペルセポネ:経験を経て自己を確立した状態
    ※前章の②の社会的、象徴的な段階差に〝心理的な成長〟という意味が重ねられる
  • ハデスとの関係性が再構築される
    → 強制的な支配ではなく〝対等〟なパートナーとして描かれることが増えた
    ※あくまで現代的な価値観を反映した再解釈
    ※現代創作の特徴としては恋愛的な要素も付与される
  • フェミニズム的な再解釈
    ・ペルセポネ → 母から独立し、自分の世界を持つ女性
    ・デメテル → 自立の象徴
    ・ザクロ → 自分の選択を引き受ける行為
  • 『二面性の女神』という設定
    ・地上では春と花の女神
    ・冥界では強く美しい女王
    ※こちらは本当に現代寄りのキャラクター造形

かなり、ざっくりになりますが、

① 農耕的な物語
②キャラクターや物語そのものが象徴として捉えられるようになる
③ 心的な要素が組み込まれる

こうした変化があるのだと思いました。

繰り返しになりますが、どう考えてもたった一日二日で網羅できるものではありませんので、どうか参考程度に留めてください。

自分的にはかなり注意深くまとめているつもりですが、何分、どう答え合わせをすれば何が正解になるかもわからないものですから…その点、特にご容赦いただけますと幸いです。

ゆっくりにはなりますが、私自身も、今後も学び続けていきたいと思います。

では、拙い点もあるかと思いますが、〝ペルセポネ〟については以上となります。

これらを踏まえ、ようやく「ウェイトが何故〝ペルセポネ〟を用いたのか?」という考察に入れます。

考察・解説

はい、ということで、三千年もの歴史を持つ物語のほんの一角に触れただけに過ぎませんが、全体的な流れとしてはお伝えできたのではないかと思います。

ここからは、これらのことを踏まえた上で、お話しさせていただければと思います。

ウェイトが〝ペルセポネ〟と言った意図について

正直今も、ウェイトが「ペルセポネ」と言った意図(意味)がわかりません。

これは非常に残念な結果になってしまいました。

〝ペルセポネ〟という神様が登場する神話に触れられたこと自体は、ゲーム好きとして大変喜ばしいことなのですが、ウェイトの意図を理解するという点においては、ほとんど意義をなさなかった気がします…。

あれですね――

「試合に勝って勝負に負けた」

あれ、「勝負に勝って試合に負けた」でしたっけ?

まぁ、どっちでもいいか。

とは言え、だからと言って、ここではまだ引き下がりたくはありません。

もう少し粘らせてください!!

もう一度、直訳を表示します。

「彼らは可能であったことをしたが、それにも関わらず、研究の法則は、「思慮」という形の下でその欠けているペルセポネを救い出すことにおいて、一度たりとも成功したことはなかった。」

特に意味がよくわからない単語を取り上げます。

1.under the form of Prudence(「思慮」という形の下で)
2.missing Persephone(欠けているペルセポネ)
3.extricating(救い出す)

個人的には、この三点が特に「え?何?どういうこと?」という感じがするので、ここからは、この三つの語について、自分なりの考察をお話ししたいと思います。

1.under the form of Prudence(「思慮」という形の下で)

そもそも、この〝under the〟を「~の下で」と訳したのが良くなかったかも知れませんでした、すみません(自分でももう経緯を全然覚えていないのですが…)。

「~という名目で」「~という枠組みで」「~として」というようなニュアンスがあるそうで、「(四大枢要徳の)「思慮」という名目で」とも捉えられるようです。

「表向きの名前」や「口実」というような意味もあるようで(初めて知りました)、「四大枢要徳の「思慮」という名前は使っているが、結局は「思慮」じゃない」ということなのだと思いました。

ひとまず、ここはこの解釈で大丈夫かと思います。

2.missing Persephone(欠けているペルセポネ)

いや~、本当に目で見えるものって当てにならないよな~(独り言です)。

そっかぁ~〝missing〟だもんなぁ~…ぶつぶつ(独り言です)。

歌手の久保田利伸さんの楽曲に『missing』という曲があるのですが、私は〝missing〟という単語をその歌を聴いた時に知りました。

特に調べたわけでもなく、直感的に「会えなくて寂しいんだろうな」と思い、それ以降もそのように思い込んでいたので、今回も本文を見た時には、「なんかよくわからないけど、ペルセポネが寂しいのかな?」と一度は思っていたんですね。

ですが「念のため、調べておこう♪」と調べた結果、どちらかと言えば「欠けている」という意味が一般的だということを知ったんです。

ですが、ここではむしろ「寂しい」という意味で捉えた方が正解だったのかも知れません。

「神話を調べた意味があってくれ!」という強い思いから、もしかするとこじ付けになっているかも知れませんが…

神話でのペルセポネって、いつも誰かに欲されるキャラクターでしたよね。

春、夏、秋には母であるデメテルと過ごすわけですから、その間、ハデスは寂しいはずですよね。ペルセポネが恋しいのです。

一方、冬になると(物語的には冬は後から付いてきますが)ペルセポネはハデスのいる冥界に行きますから、今度は母が寂しいですよね。

そうなんです。

ペルセポネを主軸として考えると、まるで意味のわからない〝missing〟だったのですが、ペルセポネの周りのキャラクターを主軸にして見ると、ペルセポネはいつも誰かにとって欠けた存在になっていて、この考え方だと〝missing〟が成立する気がするのです。

そうすると、「ペルセポネは必ずいなくなる時期が存在する=欠けている」みたいな意味で捉えられると思ったのですが、いかがでしょうか。

これを、本文に照らし合わせると、少しは「おっ!?」となりませんか?

…意味、伝わっていますかね。(汗)

最初は全然わかりませんでしたが、もしかすると〝ペルセポネ〟そのものではなく、ペルセポネの置かれている環境(境遇?)を指しているのかなと思いました。物凄くわかりづらいですが。

またかなり細かい点になりますが、デメテルにとっても、ハデスにとっても、欠けた時期が存在するので一見は〝不完全〟のようにも見えますが、ペルセポネがいなくなること自体が〝当たり前(普通)〟になってしまっていたのなら、ある意味ではそれは〝完全〟とも言える気がします(なんかこういう思想ありましたよね)。

ですから、少し極端ではありますが、「欠けているペルセポネ」を「そもそも欠けていることが完全」というようなニュアンスで訳すとします。

すると、「そりゃ、いくら表向きには「思慮」だとか言っても、そもそも欠けていることが完全なんだから、真の「思慮」なんて見付かりっこないよ。最初から〝欠けていることが完全〟って言ってるじゃない。」というような声が聞こえてくる気がします…。

つまり、ここで語られている「思慮」は、ウェイトの再表現した『四大枢要徳』の「思慮」ではなく、従来の「思慮」のことを指しているのかなとも思います。

何故なら、ウェイトが自分で再表現した解釈に対して、「欠けている」だなんて言うということはまずないと思うからです(あるとすれば何らかの意図があるはずです)。

それと以前、「従来の『四大枢要徳』の「思慮」を「隠者」のカードに(無理矢理に)当てはめたのは Éliphas Lévi(エリファス・レヴィ)だ」ということも述べていました。

さすれば、遠回しながらも、ウェイトにとっては、再びエリファス・レヴィを批判する絶好の機会とも言えなくもないわけです。

もしかすると二文目は、「これまでのタロットにも『四大枢要徳』は当てはめられていたけど、その『四大枢要徳』は言ってしまえば、そもそも「思慮」が欠けた状態で成り立っているから、そもそも成立していない/見付けられるわけがない(けど、それが完全)」という、物凄く遠回しな嫌味なのかなと思いました。

ですが、根拠が薄いと言いますか、判断材料が乏しいと言いますか、私の空想、妄想、憶測に過ぎないので、どうか軽く聞き流していただけると幸いです。

ただ、またいつの日か、二周目を迎える日が来るかも知れませんので、念のため書き残しておきたいなと思いました。

この仮説があっているとするなら…少しは神話を調べた甲斐があるかも知れませんよね。

あまり上手く説明できていなかったかも知れませんが、「欠けているペルセポネ」についての考察は以上となります。

3.extricating(救い出す)

では、最後に〝extricating〟についてです。

こちらも最初は意味がわからず、複数のAIとかなりのやり取りを繰り返しました。

どのAIも、「〝extricating〟には「抽出する」という意味もある」と言うので、最初はそのように捉えていました。

すると「思慮からペルセポネを抽出する」あるいは「ペルセポネから思慮を抽出する」というような選択肢ができました。

しかし、私は「〝Persephone〟は何かしらの比喩に違いない!」と考えていたので、あまり納得がいっていませんでした。

ところがどういうわけか、わからないながらも記事を書き進めていたら2のような考えが浮かんできたので、もし2の考察があっているとするなら、むしろここでの〝extricating〟は、そのまま「救い出す」という意味で読んだ方が適切なのではないかと思いました。

きっとAIも、〝Persephone〟を『ペルセポネ』というキャラクターそのものとしてしか捉えていなかったのだと思います。

こちらも2同様に、ペルセポネを主体として考えるのではなく――例えば、母デメテルから見たペルセポネは「救い出せた」とは言えませんよね。

ハデスの視点では、どちらかと言うと「救い出す」というニュアンスではない気がするので(ややこしくなりそうですし)、ここは母だけに止めますが、そのような視点で見ると「ペルセポネを救い出すことにおいて一度も成功していない」という言い分が、「なんとなく、少しわかるかも」と思っていただけるのではないかと思います。

神話:「娘を取り戻そうと必死に探したデメテルでしたが、結果、一年を通してペルセポネを取り戻すことはできなかった」

ウェイト:「解説者たちは「思慮」を見付け出そうと必死だったが、結局は一度も見付けることはできなかった」

なんとなく似ていませんか?

多分ですが、この一文はネイティブの方が読んでも、神話の内容を知らなければ「言ってることはわかるけど、何が言いたいのかはよくわからない」となるような文章だと思うんですね。

神話を調べた甲斐がありましたね。(泣)

これは、神話を調べなければ想像もつかないようなことだったと思います。

ということで、考察は以上になります。

解説

いやはや、かなり疲れました。満身創痍です。

ですが、すみません。

最後に、今回扱った文章についての解説も、少しだけ簡潔に伝えさせてください。

サクッと進めます。

一文目

こちらは、§2の「隠者」のところで語られていたのですが、従来の『四大枢要徳』の四つ目の枢要徳=それが「思慮」に当たるのですが、これが欠けているというのが一文目のウェイトの主張です。

以前、ウェイトは「半ば枢要徳の四つを揃えたいがために、エリファス・レヴィは無理矢理「隠者」のカードに「思慮」を当て込んだ」と述べていました。(該当記事▶▶ こちら

また少し先読みになりますが、三文目には「コート・ド・ジェブランが~」という記述がありますので、コート・ド・ジェブランも『四大枢要徳』をタロットに当て込んだ人物ということになります。

…ということは?

「解説者たち」とは言っていますが、基本的にはその二人のことを指しているのかなと思います。

当然、他の人物が含まれることも考えられますが、さっと調べた感じでは、この二人以外に、ウェイト以前のオカルティストに『四大枢要徳』をタロットに当て込んだ人物は見当たりませんでした。

つまり、「エリファス・レヴィもコート・ド・ジェブランも、「思慮」に見合うカードを見付ける必要に迫られた」というようなことを言っているのだと思います。

二文目

ここが、今回の一番の混乱ポイントでしたね。

恐らく、今回の記事を熟読してくださっている方であれば、私の拙い解説であっても、なんとなくでも伝わる部分があったのではないかと思っています。

二文目は、最終的な私の解釈になりますが、「まぁ、エリファス・レヴィもコート・ド・ジェブランも頑張ってはいたんだけど?そもそも(タロット的には)欠けてることが完全である従来の『四大枢要徳』の「思慮」を表面的に取り繕っているだけなんだから、そりゃ〝研究〟という分野においては失敗、当然一度たりとて成功するはずがないんだよ」というようなことを言いたいのかなと思います。

詳細は、ぜひ上記の『ウェイトが〝ペルセポネ〟と言った意図について』の考察をご覧ください。

三文目

三文目ですが、こちらは本書では初めて語られた内容だと思います。

ウェイトは、エリファス・レヴィは「思慮」を「隠者」のカードに割り当てたと述べていて、今回は、コート・ド・ジェブランは「思慮」を「吊るされた男」に割り当てたということなんですね。

で、本当に確認程度なのですが、以前から度々登場しているコート・ド・ジェブランの著作『Monde primitif(原始の世界)』の「吊るされた男」の解説を実際に調べました。

フランス語なのでAIを使って翻訳したのですが――

  • コート・ド・ジェブランは、そもそも「吊るされた男」を「思慮(La Prudence)」という名前で扱っている
  • 「思慮」は四大枢要徳の一つであり、本来タロットにも含まれているはずだと主張
  • 当時のタロットには「思慮」が存在せず、「吊るされた男」が位置されていると述べる
  • 本来は「片足を地面につけ、もう片足を宙に浮かせ、慎重に次の一歩を見極める人物」のカードであり、これが「思慮」の象徴だという考え
  • しかし、後世のカード職人がそれに気付かず、勝手に逆さ吊りに描き変えたと主張
  • 本来は「足を浮かせた男(pede suspenso)」という名前であると述べる

要約すると、このような内容でした。

【参考文献】
Court de Gébelin
Monde primitif』(1773-1782)

実際に、コート・ド・ジェブラン本人はそう思っていたのかも知れませんが、恐らく、ウェイト的にはあまりにも辻褄が合わないような主張に感じられたのではないでしょうか。

個人的には、「何も知らなければ〝そうなんだろうな〟と受け止めちゃうな」と感じましたし、片や私もこうしてインターネットを介して様々な情報を得られているからこそ「なんだか無茶苦茶だな…」とは感じ取れるものの、そういう意味では、ウェイトはよくここに疑問を持ったなと思います。

もしかしたら、「吊るされた男」の成り立ちがきちんと説明されるのでしょうか?(ないか…笑)

ですが、何かしらの根拠があったのだろうとは思うので、今後に期待したいところです。

ではこれらを踏まえ、最後にもう一度、当サイトの最終訳を表示しておきます。

「正義」のカードは、大アルカナに含まれる四つの枢要徳の一つとして提示するものと考えられているが…生憎、実際はその四つ目の象徴が欠けており、解説者たちは何としてもそれを見つけ出す必要に迫られたのである。
彼らは可能な限りを尽くしたが、〝研究の法則〟においては、「思慮」という名目である以上、ペルセポネを救い出そうとする試みは一度も成功することはなかったのだ。
コート・ド・ジェブランはこの難題を強引な力業で解決しようとし、「吊るされた男」の象徴から自分が欲するものを抽出できたと信じ込んだが、それは彼自身の思い込みに過ぎなかった。

きっと最初より伝わるものがあると思います。

では、解説は以上となります。

いやぁ、膨大な量になってしまって申し訳なかったです。

私もまさかこんな量になるとは思っていなくて…。

ですが最後まで見てくださり、本当にありがとうございます。

また次回、お会いしましょう。

「正義」は次回で終わりになります。お楽しみに!!

お知らせ

「正義」が終わり次第、更新の頻度を少し下げることにしました。

やる気とは裏腹に、目や体調に異常を感じるようになったためです。
確かにここ最近、調べなくてはならない範囲が急激に広がり、一日中PCの前にいることも少なくありませんでした。
私の要領の悪さは否めませんが、以前から過度なPC作業で目や体調に異常を来すことは度々あり、一度ペースを落とし、様子を見ながら進める必要があると判断しました。
楽しみにされている方がいらっしゃいましたら大変申し訳ないのですが、どうかご理解のほど宜しくお願いいたします。

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