『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMPS MAJOR)』翻訳・解読【運命の車輪】Vol.3
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こんにちは。
『タロットの世界』へお越しくださり、ありがとうございます。
ついに、これといったカードの話もないまま、「運命の車輪」第三回目を迎えてしまいましたね。
今回こそ、カードに関する話があると良いのですが…。
いつも通り、私もまだ内容をほとんど知らないのですが、恐らく、今回は四つの文章を取り上げることになると思うので、早速本題に入りたいと思います。
ぜひ、温かいお茶などをご用意の上、ごゆるりとお楽しみください。
前回の記事はこちら
もくじ
今回の文章:「運命の車輪」の変遷とパピュスの影
今回扱う文章です。
Of recent years this has suffered many fantastic presentations and one hypothetical reconstruction which is suggestive in its symbolism.
The wheel has seven radii; in the eighteenth century the ascending and descending animals were really of nondescript character, one of them having a human head.
At the summit was another monster with the body of an indeterminate beast, wings on shoulders and a crown on head.
It carried two wands in its claws.
※原文にある改行時に用いられるハイフン(-)は省略しています。
Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より
四文目は短いので、様子を見ながらになりますが、三文目と一緒に見て行くかも知れません。
量が量なだけに、今回も一筋縄で行かないような気がしていますが、出来る限りウェイトの意図を汲み取れるよう、しっかりと目を凝らして挑みたいと思います。
また、前回はカードに関する話がほとんどなかったため、お見せするのを忘れてしまっていましたが、改めて「運命の車輪」もご紹介しておきたいと思います。

右:マルセイユタロットの「運命の車輪」
本来であれば、この§2では、右側の伝統的なマルセイユタロットについて語られるはずでした。
しかし、読み進めているとあることに気が付きます。
「あれ?いつの間にかウェイトの話になってる…」
そうなんです。
いつの間にか、ウェイト自身の思想(価値観/世界観)や、(恐らく)ウェイト=スミスタロットの解釈にすり替えられていることが多いのです。
つまりこの§2は、入り口では「マルセイユタロットの紹介だ」ということを思わせながらも、実際はウェイト自身の解釈を上書きするための章だった、という認識をしています。
もちろんこれは、現代のインターネットなどで、様々な情報を引き出せるからこそ見えてしまう部分ではあるのですが、今後もそのような発見があった際には、ぜひ共有させていただければと思います(というか、言わせてください笑)。
その上で、もし宜しければ、当時のインターネットもない時代に、ただ占いが好きでウェイトの本を手に取った一読者としての視点でも見てみてください。また別の面白さが見付かるかも知れません。
何はともあれ、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
では、よろしくお願いいたします。
一文目:近年の「運命の車輪」に見られる奇抜な図像と仮説に過ぎない再解釈
では、まず一つ目の文章〝Of recent years this has suffered many fantastic presentations and one hypothetical reconstruction which is suggestive in its symbolism.〟を見ていきたいと思います。
この章に入ってからは知らない単語ばかりですね。いつも通り単語等のチェックから行っていきましょう。
・recent → 最近の、近頃の
・of recent years → 近年の、ここ数年の
・suffered → (望ましくないこと)を受ける、被る
・presentations → 提示、表現、描写のされ方
・hypothetical → 仮説上の、想像上の
・reconstruction → 再構成、復元、作り直し
・suggestive → 何かを示唆する、暗示的な
※ここでは一般的なものを挙げています。
久しぶりに〝symbolism〟という単語が出てきましたね。
ウェイトをはじめ、神秘主義的な文脈において、この〝symbol〟系の単語は頻繁に使われるそうですが、私にはこのような単語の違いが、日本語訳を見比べるだけではあまり理解できませんでした。
〝symbol〟系の単語について、以前、自分なりにまとめたものがありますので、宜しければそちらも併せてご覧ください。▶▶ こちら
では、参りましょう。
まず〝Of recent years this has suffered many fantastic presentations〟ですが、こちらは「近年、これは多くの奇抜な描き方をされてきた」というような意味でしょうか。
「これは」というのは、言うまでもなく「運命の車輪」のことだと思うのですが、「やっと(マルセイユタロットの解説が)来たか!!」と思いきや、やや批判的な様子です。
この〝suffered〟には「被害を受けた」というようなニュアンスがあるのですが、まるで自分が描いたかのような言い分です。
続いて〝and one hypothetical reconstruction〟とありまして、こちらが「そして、一つの仮説的な再構成を(受けてきた)」というような意味だと思います。
〝hypothetical〟は「ハイポセティカル」と読みます。
そして〝which is suggestive in its symbolism〟ですが、こちらが「(それは)その象徴性においては示唆的です」という意味かなと思います。
一度、まとめてみましょう。
〝Of recent years this has suffered many fantastic presentations and one hypothetical reconstruction which is suggestive in its symbolism.〟
→ 近年、これは多くの奇抜な描写がされ、その象徴性において示唆的な、ある仮説的な再構成が提示されてきた。
まずは直訳寄りにしましたが、この「象徴性」とか「示唆的な」とか「仮説的な」という語は、具体的に何なのか捉えにくいです(それがウェイトの正装でもあるのですが)。
先に、私なりの意訳をお伝えしてしまいますが「近年、「運命の車輪」は様々に奇抜な描かれ方をされ、一つの仮説的な再構成に晒されてきた。中には象徴性が感じられるものもあるようだけどね」というような言い分だと思います。
個人的には、「え?ウェイトが自分で描いてたの?第一人者だったっけ?」と突っ込みたくなる内容で、自分で絵を描いたわけでもないはずなのに、何故〝suffer(ed)〟を用いて、被害者のような雰囲気を出しているのかなと感じます。
また現時点では、数ある「運命の車輪」の描写に対してと、その中のある「運命の車輪」の再構成に対する批判と、別々に「運命の車輪」を批判していると思います。
とは言え、被害者を装いながらも、しっかりと批判する姿勢には言葉もありません…(ウェイトらしいと言えば、ウェイトらしいのですが)。
(これを言うと元も子もないという気もするのですが…)「仮説」とは言いますが、個人的にはどの『タロット』も――
いえ、敢えて極端な言い方をすると、この世のあらゆる全てのものが、誰かによって取って付けられた「仮説」のようなものに過ぎないと思っています…ぼそっ(小声)。
…詳細は、また考察の方で掘り下げていきましょう。
では、次の文章に進みたいと思います。
二文目:ウェイトが指摘する18世紀版の「運命の車輪」
二つ目の文章は〝The wheel has seven radii; in the eighteenth century the ascending and descending animals were really of nondescript character, one of them having a human head.〟です。
また、単語の確認から行っていきましょう。
・radii → radius(半径)の複数形
・ascending → 上昇していく
・descending → 下降していく
・nondescript → 特徴のはっきりしない、正体不明の、何とも言えない
・character → 性質、特徴、外見的なタイプ
※ここでは代表的なものを挙げています。
ゲームで育ったと言っても過言ではないため、これまで当たり前のように「キャラクター(character)」という語を使ってきましたが、初めて英語的な意味を知りました。
では、参りましょう。
まず〝The wheel has seven radii〟ですが、こちらは直訳ですと「その車輪は七本の半径を持つ」という意味です。
一見「はっ?」となりそうな訳ですが、今一度「運命の車輪」を思い出してください。

(ニコラ・コンヴェル/グリモー版)
こちらは、私が所持しているマルセイユタロットになりますが、七本と言えば七本(正確には六本+一本な気がしますが)ですので、こちらを例にして差し支えないと思います。
この車輪の中心と外枠を繋ぐスポーク(自転車の車輪の棒)のようなもののことを言っていると思うのですが、恐らく、インテリっぽい雰囲気を出すために、「半径」などという言い方をしているのだと思います。
次に〝in the eighteenth century〟ですが、こちらが「18世紀において」という意味です。
そして〝the ascending and descending animals were really of nondescript character〟ですが、こちらが「上昇し下降する動物たちは、本当は正体不明の性質だ」というような意味だと思います。
後程、お出しできるだけ、当時の代表的なマルセイユタロットの「運命の車輪」を並べようと思いますが、確かに上記の「運命の車輪」同様、どれも何の生き物なのかはっきりしないと思います。
そのことについて述べているようですね。
最後に〝one of them having a human head〟とありまして、こちらが「それらの内の一つは人間の頭を持っている」というような意味でしょう。
上記のマルセイユタロットだとそうでもないのですが、確かにそのようなマルセイユタロットもなくはないというような気がします(断言できるほどはっきりしていないというのが正直なところなのですが)。
では、一度まとめてみましょう。
〝The wheel has seven radii; in the eighteenth century the ascending and descending animals were really of nondescript character, one of them having a human head.〟
→ その車輪は7本の半径を持ち、18世紀においては、その上昇し下降する動物たちは、実のところ正体不明の性質であり、それらの内の一つは人間の頭を持っている。
直訳だとこのような感じになると思いますが、内容は伝わりますよね。
…どうしようかな。
一旦ここで、先程お伝えしていた、当時のマルセイユタロットもお見せしてしまいますね(スマートフォンだと小さく表示されてしまうと思うので拡大して見てみてくださいね)。

(1650年前後)

(1650年頃)

(1701年頃)

(1760年)
出典:Gallica / BnF
ここで挙げたのは、以前、当サイトでも『伝統的なマルセイユタロット』として取り上げたことのあるものになります(ジャック・ヴィエヴィル版は少し特殊ですが最も古いものという経緯で掲載しました)。
…あっ、ごめんなさい。
改めて見返してみたら、「18世紀においては」とありましたね。(汗)
つい、ダウンロードした手元にある「運命の車輪」を全部挙げてしまいましたが、「こんなものもあるんだー」くらいの軽い気持ちでご鑑賞いただければと思います。
18世紀と言っても、右側の二枚が該当するとも限らないですしね。
もしかしたら、制作された年も、ここまで特定できたのは最近の話かも知れませんし。
こうして見比べてみますと、確かに「人間の頭」らしき描写もありますが、個人的にはもはや胴体部分もどうなっているかもわからないので、もしかしたら人間を描いたものだったかも知れませんし、もしかしたら人間の頭に見えるけど描いた本人は別のものを表していた、という可能性もあるかも知れません。
正直、この一文は、割とウェイトの一方的な主張のようにも感じてしまいます。
全体的に「馬(ペガサス?)っぽい」「猿っぽい」「王様っぽい」と確かにはっきりとしていませんが、「正体不明」と言うのは、ウェイトにしては少し簡単に片付け過ぎている気がします(よって何らかの思惑があるのでは?と思ってしまいたくなるんです)。
恐らくですが…当時の読者で、マルセイユタロットを実際に目にしたことがある人はそう多くなかったのではないかと考えています。
見れたとしても、それは直接というよりは、白黒の小冊子のようなものなのではないのかなと思います。
つまり、ウェイトが何を言っても真偽を問う者が少ない、と言えるのです。
要するに、何らかの思惑があったかも知れないということです。
また個人的には、「ウェイトも実際には実物を見たことはなかったのかな?」とも感じました。
ですが、どうやらその線は薄そうです。
道中にも記載したのですが、この「半径」と呼ばれるスポーク――どう見ても、「七本」と一括りにして良いものではないと思うのです。
八本に見えるものもあるのですが、それは六本のスポーク+車輪と土台を繋ぐ一本の棒が二本に見えるだけで、基本的には全部六本+一本ですよね。
なので、最初私は「ウェイトがカラー版のものを見たことがないから見間違えた(識別できなかった)のかな」と思っていたのです。
ですが、見間違えの線はあまりにも根拠が乏しすぎると思い、しばらくAIとのやり取りを重ねていました。
すると、「象徴として〝7〟を使いたかった可能性がある」という説が出てきたのです。
どれが正解とは言えませんが、個人的にはそんな考え方を持ったこともなかったので、驚いて、ついここで共有したくなりました。
ウェイトのような神秘主義者にとって、「7」という数字は特別らしいのです。
絵としては六本+一本でも、ウェイトにとっては象徴として「7」という意味だったかも知れないとのことでした(物凄くざっくりですみません)。
正直、私にはそのような感性がないのか、あまり納得はいっていないのですが、そういう可能性もあるということで知っていただければなと思いました。
ちなみに、そうは言いながらも、ウェイト=スミスタロットの「運命の車輪」は八本なんですよね。

…実際、単に間違えた可能性も否めませんね。(笑)
また、本当に余談になってしまいますが…
当時ウェイトもまだ存在を知らなかったであろう、更に古くから存在する『ヴィスコンティタロット』の「運命の車輪」は、個人的にはもっと奇妙です。
「現存する最古のタロット」と言われるカーリー・イェール版の「運命の車輪」は未だ発見されていない(いつか見付かるといいですよね)ので、実在する最古の「運命の車輪」は、恐らく、ピアポント・モルガン・ベルガモ版と呼ばれるものになります。

(1450年前後)
出典:Wikimedia Commons
何故このデザインになったかというのは諸説あるようなのですが、ただ〝絵〟として見るだけなら、個人的には、こちらの方がよっぽど奇妙に思います(もちろんウェイトはヴィスコンティタロットの存在は知らないはずですが)。
人が、人の上に立って、その人の周りを人が回っている(…のでしょうか)。
「何してんのかな?」という感じがします。
どうしてこれが、先程のマルセイユタロットのような描写に変化したのか、私にはそちらの方が気になります。
では、どんどん寄り道してしまいそうなので、そろそろ次の文章へ進めたいと思います。
併せてご覧ください
三文目、四文目:引き続き「運命の車輪」の描写について語るウェイト
やはり、三文目と四文目は一緒に見ていきたいと思います。
〝At the summit was another monster with the body of an indeterminate beast, wings on shoulders and a crown on head.〟と〝It carried two wands in its claws.〟です。
また、単語等のチェックから行っていきましょう。
・summit → 頂上、最上部
・indeterminate → 判別できない、特定不能の
・carried → (ここでは)持っていた
・claws → かぎ爪
※ここでは代表的なものを挙げています。
ゲーム好きの私に嬉しい単語がいっぱいです。
…幼い頃、実家から少し離れた場所に『サミット』というスーパーがあったんですね。
私が子供の頃は、今のようにペットボトル飲料もそれほど多くなかったように思います。
そんな中、お店の駐輪場の隅にある、紙コップで出てくるタイプの自動販売機がすごく好きだったんですよね(特にメロンソーダが)。
時折、お店のサービスか何かで配布されているぬりえに色を塗って持って行くと、ちょっとしたおもちゃのようなものがもらえることもあり、すごい好きなお店でした。
次に『サミット』と聞いたのは、それから数年後。『桃太郎電鉄』というゲームに出てくる〝サミットカード〟だったと思います。
それから、2000年に行われた〝沖縄サミット〟だったと思います(26年前…)。
今初めてここで〝summit〟という意味を知って驚いています。
まさか「頂上」だなんて意味だとは思ってもいませんでした(「集まる」とかそういうニュアンスだと思っていました)。
余談でした。
では、参りましょう。
まず〝At the summit was another monster〟ですが、こちらは「頂上には別の怪物がいた」という意味です。
先程の「運命の車輪」の描写の続きになります。
恐らく、わざとだとは思いますが、これまでの文体を思うと、とても同じ人物が書いたとは思えないほど、急に子供が語っているような文体になりましたね。
あまりのギャップに、訳しながらもつい笑ってしまいました。
続いて〝with the body of an indeterminate beast〟とありまして、こちらが「正体不明の獣の身体をしている」というような意味です。
さて、どうでしょう。
戻るのは面倒だと思うので、再掲します。

(1650年前後)

(1650年頃)

(1701年頃)

(1760年)
出典:Gallica / BnF
これらのタロットのことを言っていないとしても、恐らく、他のタロットであっても、そこまで大きな違いはなかったのではないかと考えますが、そんなに言うほどでしょうか…。
そして〝 wings on shoulders and a crown on head〟とありますが、こちらは「肩の上には翼、頭の上には王冠」といった意味です。
淡々と述べているように見えますが、個人的には、ウェイトが述べる描写はそんな大したことがないのではと思ってしまいます。
ですので、何故このようなことを述べているのか気になります。
ここまでが三文目の訳ですが、続けます。
四文目〝It carried two wands in its claws〟、こちらが「それはその爪の中に2本の杖を持っていた」という意味です。
リストでは〝claws〟を「かぎ爪」と記載したのですが、実際こちらは先端がくるっと内に巻いているドラゴンが持つような鋭い爪のことを指します。
「え?これだけ?」というお声はごもっとも…今回は「運命の車輪」の描写を述べるだけで終わってしまいましたね。
今回扱った文章については、もう少し掘り下げる価値はありそうですが、ひとまずはまとめてみましょう。
〝At the summit was another monster with the body of an indeterminate beast, wings on shoulders and a crown on head.〟
→ 頂上には、正体不明の獣の身体をした別の怪物がおり、肩には翼を持ち、頭の上には王冠を載せていた。
〝It carried two wands in its claws.〟
→ それは、その爪の中に二本の杖を持っていた。
伝わるかどうかという意味では、大丈夫そうですよね。
なんとなく、ウェイトが語っているカードは、ご紹介したマルセイユタロットではないような気がしてきました(ごめんなさい)。
四文目の「二本の杖」というのが引っ掛かるのですが、ここで取り上げたマルセイユタロットにはそのような描写はありません。
「杖」と言うより、「棒」あるいは「剣」と言う方が近い気がしますし、そもそもいずれも一本だけだと思います…。
一度『まとめ』に入りましょう。
まとめ
改めて、今回の一文をご紹介します。
Of recent years this has suffered many fantastic presentations and one hypothetical reconstruction which is suggestive in its symbolism.
Arthur Edward Waite
The wheel has seven radii; in the eighteenth century the ascending and descending animals were really of nondescript character, one of them having a human head.
At the summit was another monster with the body of an indeterminate beast, wings on shoulders and a crown on head.
It carried two wands in its claws.
『The Pictorial Key to the Tarot』より
また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、前回の結論もお伝えしておきます。
型にはまった表現ではあるが、私はそのような包括的な呼び方に異論はない。それはあらゆる世界に通用するものであり、何故これまで一般的な占いの場で採用されてこなかったのか不思議なほどである。
また、それは大アルカナ(従来の切り札)の一つのタイトルでもあり――それは、まさに今この瞬間、私たちが扱っている「運命の車輪」のことであり、私の副題が示している通りである。
そして、今回のこれまでの訳です(多少不自然でも、なるべく原文に手を加えずダイレクトに訳したものになります)。
→ 近年、これは多くの奇抜な描写がされ、その象徴性において示唆的な、ある仮説的な再構成が提示されてきた。
→ その車輪は7本の半径を持ち、18世紀においては、その上昇する動物と、下降する動物たちは、実のところ正体不明の性質であり、それらの内の一つは人間の頭を持っている。
→ 頂上には、正体不明の獣の身体をした別の怪物がおり、肩には翼を持ち、頭の上には王冠を載せていた。
→ それは、その爪の中に二本の杖を持っていた。
最後に、なるべく本文の内容を踏まえ、日本語としてもう少しわかりやすく整えた(当サイト比)訳がこちらです。
近年、このカードは数々の奇抜な表現に見舞われ、(その象徴性においては示唆的ではあるが)一つの仮説的な再構成にも晒されてきた。
その車輪には七本の放射線があり、十八世紀の版では、上昇し下降する動物たちは実に得体の知れない姿をしており、そのうちの一体は人間の頭をしていた。
頂上には、正体不明の獣の身体を持つ別の怪物がおり、肩には翼、頭には冠を載せていた。
その爪には二本の杖が握られていた。
はい、このような形に仕上げました。
二文目以降は特に問題なかったと思うのですが、一文目が具体的にどういう意味なのかがわかりづらく難しかったです。
わかりやすいを優先して、奥の手『括弧()』を使いましたが、ウェイトの言いたいことを日本語として文章に書き表すのであれば、私的にはこれが一番納得できました。
では、最後に考察を挙げ、終わりにしたいと思います。
宜しければ、最後までお付き合いください。
解説・考察
…では、まず今回取り上げた文章に関係のある解説、兼考察をお話しさせてください。
たまたまですが、私は今回の訳を進めていて、「誰の「運命の車輪」のことなんだろう?」という疑問が尽きませんでした。
名前は挙げられていないものの、恐らくウェイトがこれほどまでに淡々と述べている内容は、特定の誰かに当てはめることができるのではないかなと考えていました。
その答えは、割と簡単でした。
- Court de Gébelin(コート・ド・ジェブラン):1725-1784
タロットのエジプト起源を提唱 - Etteilla(エッテイヤ):1738-1791
世界初、タロット占いを体系化 - Éliphas Lévi(エリファス・レヴィ):1810-1875
タロットをカバラ(神秘種的な秘儀)と結び付ける
近代のタロットの基礎となる人物 - Papus(パピュス):1865-1916
エリファス・レヴィの体系を再構成
ウェイトの時代で、ウェイトが重要視するような人物、且つ『タロット』に関わりある人物と言えば、まずこの四人しかいないと言っても過言でないと思ったからです(ひとまず、これまでの『The Pictorial Key to the Tarot』内に出てきた人物に限ります)。
「全員の「運命の車輪」を調べればいいんだ!!」
たった四人の「運命の車輪」を調べれば良いことですから、これは簡単。
と思ったのも束の間…恐らくなんですが、エッテイヤだけは私たちが知る一般的なタロットとは少し体系が違うようで…(例えば『大アルカナ』という概念がないような?)。
つまり、「運命」っぽいものはあるのですが「運命の車輪」に相当するものはないようなのです。
よって、エッテイヤは除外(で良いはずです)。
となると、あとの御三方になるわけなのですが、無事三人の「運命の車輪」を入手することができたので、お見せしたいと思います。
たまたま、パピュスが書いた『The Tarot of the Bohemians』には、パピュスとエリファス・レヴィ、二人の「運命の車輪」が載っていたのラッキーでした。

Internet Archiveより
後日追記
すみません。
私、何かを勘違いしていて、上記の図像をエリファス・レヴィとパピュスのものだとお伝えしてしまったのですが、左側が恐らく Oswald Wirth(オズワルド・ヴィルト)の「運命の車輪」で、右側は特定することができませんでした。
またせっかくなので、改めてエッテイヤ、エリファス・レヴィ、パピュスの「運命の車輪」的な図像も掲載しておきます。
ただし、これらの画像は従来の『タロットカード』とは扱いが違うという印象です(版が複数あるものもあるそうです)。あくまで比較の参考資料としてご覧いただければと思います。



左『Le Grand Etteilla, ou l'Art de tirer les cartes:後期版』(1900)
中『Le clef des grands mystères/大いなる神秘の鍵』(1861)
右『Tarot De Los Bohemios』(1892)
出典:Internet Archive
パピュスの方は、今回取り上げたマルセイユタロットとそう変わりありませんね。
エリファス・レヴィの方は、他のものに比べて一つひとつの象徴がもっとわかりやすくなっていますね。
そしてお待ちかね、真打の登場です。

左:コート・ド・ジェブランの「運命の車輪」
「もうこれしかないでしょ!!」と言いたいです。
『(杖のようなものを)二本持っている何か!!』は、まさしくこの図像ではないでしょうか。
確かに頂上にいる〝何か〟は「人間の顔、獣の身体、肩に翼、頭に冠」ですよね。
ようやく見付けることができました(本当にいつも『Internet Archive』ありがとうございます)。
というわけで、どう足掻いても「恐らく」と言う他にありませんが、それでもひとまずは、ウェイトが語る「運命の車輪」の正体が掴めたのではないかと思います。
対象と思われる「運命の車輪」を見付けられたかも知れないとは言え、私としましては、今回扱った文章からは、あまり嫌味や批判といったものがあまり感じられないと思っています(もはや、見下しているような雰囲気は標準装備と解釈しています)。
どちらかと言えば、カードの描写を淡々語っている、という印象です。
ただし、良い風にも言っていないとは思うので、もしかすると私が気付いていないだけで、本当は嫌味のようなものが込められていたのかも知れません。
また敢えて、誰の「運命の車輪」かを特定できるようなヒントを、ちゃんと残していたのだとも思うのですよね。
これだけ当時のマルセイユタロットの「運命の車輪」を調べた中で、対象(特に「杖を二本持っている」という点)となるものが一点しかないというのは、私は〝コート・ド・ジェブランの「運命の車輪」〟として特定させたかったからではないのかなと思ってしまいました。
では、解説と考察は以上になります。
ここからは、誰の「運命の車輪」かを調べている中で起きた出来事に触れたいと思います。
今回の文章にはあまり直接は関係しないのですが、個人的にはまぁまぁ面白い気付きだと思っているので、ぜひご覧いただけたら嬉しいです。
筆者の一人会議
まず最初に、お伝えしたいことがあります。
それは、読んでくださる方を限定したいということではないのですが、これまでの記事も読んでいただいているという前提でお話しさせてください。
どなたが見ても伝わるようにと、一度は文章を書き始めていたのですが、どうしても話が取っ散らかってしまい、それは難しいと判断しました。
ですので、できればこれまでの記事も読んでいただけると嬉しいです。
今回、私が味わった「ぞっ」を、みなさんにも共感していただきたいのです。
もちろん、このまま読んでいただいても有難いのですが、内容があまり伝わり切らないこともあるかも知れません。その点はご容赦ください(よろしくお願いいたします)。
私は今回、「誰の「運命の車輪」なんだろう?」と調べている中で、過去に自分が書いた記事を読み直す機会がありました。
私もとうに忘れていたことではあったのですが、今回の内容を掘り下げるため、自分が書いた作品ではありますが、これまで調べたことの中から「何か得られることがないかな」と軽い気持ちで見返していました。
すると、このような記述がありました。
『The Tarot of the Bohemians』について
【The Tarot of the Bohemians】
原題:Clef absolue de la science occulte
著者:Papus
本名:Gérard Anaclet Vincent Encausse
【初版】
1892年:Chapman and Hall, Londonから出版
1896年:英訳版が同じくイギリスの G. Redwayから出版 (訳:A.P.Morton)
【第2版】
1910年:William Rider & Sonから出版
※『第2版』としましたが、『改訂版』などと言う方が、内容としてはあっているかも知れません。
こちらは以前、先程のパピュスとエリファス・レヴィの「運命の車輪」が載っていた『The Tarot of the Bohemians』を扱った際にまとめたものになります。(詳細は▶▶ こちら)
私はこれを見て「ぞっ」としました。
実際、私が書いているものなので、気付いて当然と言われればそうかも知れないのですが、私はつい先日、これと似たようなことをお伝えしたばかりだなと思ったのです。
「はて?なんだったっけな?」と、一瞬そのようにも思いましたが、すぐに思い出しました。
本当に、つい先日取り上げたばかりの記事になるのですが、「ウェイトが、自分とは別の名義で本を出版していた」ということを扱った時の話です。
そうです、「運命の車輪」の第一回目です。
「きっと、ウェイトが生計のために、別名義で大衆向けの占いの本を書いていたのでは?」という考察を挙げていたのですが、その若かりし頃(推定ウェイトが30代後半の時)のウェイトが書いた著作『Manual of Cartomancy』を出版した会社と同じ出版社、それが上記の G. Redway社だったのです。
これだけでは、あまりぴんと来ないかも知れません。
ですので、まず時系列について、さっとお話しさせてください。
① 『The Tarot of the Bohemians』は、元々1892年にパピュスが書いたもの。
② そして4年後、1896年に A.P.Mortonという人物によって英語訳され(ちなみにパピュスの著作はフランス語)、 G. Redway社から出版される。
③ そこから約15年後の1910年。ウェイトの序文が追加され、ライダー社から出版……(何度もお伝えしていることになりますが、数多くのウェイトの著作も出版し、そしてウェイト=スミスタロットの出版社でもあります)。
④ ちなみに②と③の間の1909年に、ウェイト=スミスタロットが出版されています。
⑤ ③と同じく1910年には、この『The Pictorial Key to the Tarot』の前身でもある『The Key to the Tarot』が出版され、先日の『Manual of Cartomancy』も、元々は G. Redway社から出版していたものだったのにも関わらず、大幅な改変を加えライダー社から出版。
⑥ 『The Pictorial Key to the Tarot』は1910年、あるいは1911年の出版と言われている。その中で G. Redway社から出版した頃の『Manual of Cartomancy』を批判。それも、ライダー社から出版する際に追加した部分を除く〝元々の内容〟をほぼ全否定(「運命の車輪」Vol.1 参照)。
と、このような並びなのですが、個人的にこの時系列にはなんとなく違和感を覚えます。
また、私は以前、この『The Tarot of the Bohemians』を扱った際に、ある仮説を立てています。
語弊を恐れずお伝えしますが、それは「ウェイトは、タロット界では名の通っていたパピュスの知名度を利用したのではないだろうか?」ということです。
上手くお伝えできると良いのですが……『The Tarot of the Bohemians』が、ライダー社から出版された時の表紙がそれを物語っていると思うのです。
それが、こちらなんですが…。

左:初版 右:ライダー社から出版されたもの
右側のライダー社から出版された『The Tarot of the Bohemians』の表紙は、どう見てもウェイト=スミスタロットの「運命の車輪」ですよね?

再掲しますが、パピュスの「運命の車輪」は――

左がエリファス・レヴィ、右がパピュスの版。
右側です。
これでは、まるでウェイトの作品のようではないでしょうか。
更に、『The Pictorial Key to the Tarot』の序文ですら5ページ程の序文だったに対し、なんと『The Tarot of the Bohemians』では14ページにも及ぶ序文を書いているのです(もはや序文と呼べるのだろうか…)。
そして今回、せっかくなので物凄く簡単にですが、その序文もチェックしました。
本当に大まかになりますが、パピュスの本であるにも関わらず、全体的に、パピュスをはじめとする当時のオカルティストの批判という印象です。
そうでない部分もありますが、基本的にはそういった人物が唱えた説や、思想、歴史、手法、多くの者を名指しで批判(否定)していると言って差し支えないと思います。
ウェイトの主張が正しいと思われる部分もあるのですが、パピュスの本を売り出しておきながら、その序文の中でパピュスを否定し、自身の正しさを述べるという行動は、ちょっと私には考えられない大胆さです。
ちなみに、ウェイトとパピュスは年齢差はあるものの、同世代のオカルティストと総称して良いと思いますが、恐らく、当時の知名度は圧倒的にパピュスに軍配が上がっていたように思います。
全てが憶測になりますが、パピュスは医師でもあり国際的な活動もしていたため、ウェイトから見れば羨ましくなるような点は多々あったのではないかと考えます。
またウェイトは、この§2の「運命の車輪」になってから、少し不可解なことを述べていました。
「世の(大衆的/世俗的な)タロットの大アルカナ全部は、ウェイト=スミスタロットの「運命の車輪」一枚に相当する」
この発言は、本当に最初はどう解釈すればいいのかわかりませんでした。
ですが、これらのことを踏まえ、先程のウェイトの作品であるかのような『The Tarot of the Bohemians』の表紙……。
正直、「この人は一体どこからこのようなこと(タロットに関わること全体)を計画していたのだろうか…」と、私には怖さのようなものすら感じられました。
当時の G. Redway社はオカルト出版業界の中心だったそうなので、同時期に G. Redway社を出入りしていたウェイトがパピュスの存在を知っていても何ら不思議ではありません。
そして、『Manual of Cartomancy』と『The Tarot of the Bohemians』をセットでライダー社に持ち込んだ――という可能性は大いに考えられるのではないでしょうか。
もちろん、全てが憶測に過ぎませんけどね……。
たった二つの作品からでも、このような推測が浮かんでしまったので、もしかすると他の著作でも似たようなケースがあるかも知れませんね(敢えて、調べたりはしませんが)。
では、本当に長々とご清聴ありがとうございました。
あまり上手く伝えられていないような気もしますが、私の感じた「ぞっ」をお届けできていたら嬉しいです。
これにて、私の一人会議は終了となります。
繰り返しになりますが、最後まで見てくださり、本当にありがとうございます。
また次回、お会いしましょう。

