『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMPS MAJOR)』翻訳・解読【正義】Vol.4

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『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMP MAJOR)』翻訳・解読【正義】のアイキャッチ画像。

こんにちは。
『タロットの世界』へようこそ。

いつもご覧いただきありがとうございます。

今回で、§2の「正義」は最後になります。

前回の膨大な量からは一転、長文と言えど、今回は一文しかないので、さすがに少しは楽に終われそうな気がします(手を抜くわけではありませんよ)。

また前回にもお伝えしたのですが、しばらくの間、更新の頻度を下げ、少しゆっくりすることにしました。

§2に入ってからは特に、たった一文でさえ情報が物凄く多く感じられることもありました。

それに比例し調べることも増え、必然的にモニターの光に晒されている時間も長くなり、脳や目に軽いバグのようなものを来すようになってしまいました。

今後も出来る限り快適な作業を心掛けたいので、ここは無理をしない方が良いと判断しました。
どうぞ、ご理解のほど宜しくお願いいたします。

では、本題に入ります。

前回の記事はこちら

『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMPS MAJOR)』日本語訳|マルセイユタロット【正義】Vol.3 | タロットの世界

歴代オカルティストを翻弄する『四大枢要徳』の欠落を巡る。「思慮」とペルセポネの関係、さらにコート・ド・ジェブランの解釈まで遡り、ウェイトの言葉に隠された真意を…

今回の文章:存在しない「思慮」――「隠者」に託された〝思慮の道〟

今回の一文です。

The Tarot has, therefore, its Justice, its Temperance also and its Fortitude, but—owing to a curious omission—it does not offer us any type of Prudence, though it may be admitted that, in some respects, the isolation of the Hermit, pursuing a solitary path by the light of his own lamp, gives, to those who can receive it, a certain high counsel in respect of the via prudentiæ.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

なんだか、カンマ(,)が多い文章になっていますが、また一癖も二癖もありそうですね。

長いので、三つに分けて見ていきます。

それと、文末の〝prudentiæ〟について少しお話しをさせてください。

この〝prudentiæ〟なのですが、手元にある『The Pictorial Key to the Tarot』を見る限りでは、間違いなく〝o〟と〝e〟がくっついたようなラテン文字〝œ〟に見えるのです(ちなみに「オエ」という文字だそうです)。

アーサー・エドワード・ウェイト著『The Pictorial Key to the Tarot』の本文写し。〝via prudentiæ〟というラテン語の一節において、本来の〝æ(ae)〟ではなく〝œ(oe)〟または〝ce〟に見える特異な印刷フォントが赤線で強調されている箇所。
『The Pictorial Key to the Tarot』§2 p.22

本当は〝c〟と〝e〟が合体しているような文字に見えているのですが、リガチャ(合字)には〝c〟と〝e〟が合わさったような文字は存在しないため、「なら〝œ(o+e)〟かな」という妥協点です。

ですが、どのAIに尋ねてみても、「それは印刷ミス(擦れ等)であり、使われている単語から言っても〝æ(a+e)〟以外にあり得ない」というようなことを言われます。

また、海外のサイトに掲載されている『The Pictorial Key to the Tarot』を見ても〝æ〟とはなっていました。

私には言い返せるほどの知識はないので、不本意ながらも「じゃぁ、そうなのかな…」と受け入れざるを得ないのですが、これまでにも度々〝æ〟は使われていて、どれもはっきりと〝æ〟と印刷されていたのに、「擦れたからと言って、こんな見た目なるかな…」と何とも受け入れ難い現実を目の当たりにしているため、個人的には納得がいっていません。

とは言え、多分〝æ〟なのだろうとは思うのですが、どう見ても私の目には〝æ〟には見えないため、念のため赤字にして記しておきました。

本編とは関係のないことだったかも知れませんが、よろしくお願いいたします。

ちなみに、後日この画像をAIに見せると、「本当だ…」と、ぐうの音も出てきませんでした。(笑)

では、参りましょう。

【後日追記】
もしかすると、フォントがイタリックだから変な風に印刷されてしまったのかなぁ…。
(でも、だからと言って当時の印刷のまま刷り続けているとは到底思えないのですが…)
どう見たとしても〝a〟には見えませんよねぇ…ぶつぶつ

前半

まずは〝The Tarot has, therefore, its Justice, its Temperance also and its Fortitude,からです。

分けると短くなるので良いですね。久しぶりです、この感じ。

わからない単語は、都度触れていきたいと思います。

では早速、最初は〝The Tarot has, therefore, its Justice〟ですが、こちらは「タロットは、従って、その「正義」を持っている」というような意味です。

従来のマルセイユタロットの「正義」の解説かと思いきや、突如ウェイト=スミスタロットの「正義」の話も織り交ぜながら、今度は急に『タロット全体』の話になりましたね。

〝therefore〟は「従って」という意味ですが、こちらは日常会話ではほとんど使われません。かなりフォーマルな文章で使われるそうです。

続いて〝its Temperance also and its Fortitude〟ですが、こちらは「その「節制」もまた持っており、そして「剛毅」も持っている」というような意味だと思います。

あれ…タロットカードの「節制」はまだ出てきていませんでしたよね。

とすると、ここでの「正義」や〝Temperance(節制)〟「剛毅」は、『四大枢要徳』のものかも知れません。

一度まとめてみましょう。

〝The Tarot has, therefore, its Justice, its Temperance also and its Fortitude,〟

→ タロットは、従って、その「正義」を持ち、その「節制」もまた持っており、そしてその「剛毅」も持っている。

このような感じでしょうか。

これまでのところ、ウェイトは自身のタロット以外のタロットに〝Tarot〟という語を用いていません。

基本的には〝it〟とか〝card〟〝Trump〟など、違う語を用いて明確に区別しています。

お気付きの方も多いと思いますが、ここでは〝Tarot〟と記されているので、内容的にはウェイト=スミスタロットのみを指している可能性が高いと思います。

ひとまずは、このまま先に進みましょう。

次は〝but—owing to a curious omission—it does not offer us any type of Prudence,〟です。

短いにも関わらず、わからない単語が多いので取り上げます。

owing → 借りがある、負っている
owing to → ~が原因で、~のために
curious → 奇妙な、不可解な
omission → 欠落、抜け落ち
offer → 提供する、与える
any type of → いかなる種類の~も

※ここでは一般的なものを挙げています

では、まず〝but—owing to a curious omission—〟ですが、こちらが「しかし――奇妙な欠落が原因で――」というような意味だと思います。

…個人的には、この独特な言い回しの方がよっぽど奇妙だと思います。

次に〝it does not offer us〟とありまして、こちらが「それ(タロット)は私たちに提供しない」という意味です。

なんとなくですが、私はこの〝does not〟と略さない書き方の方が好きです。

続いて〝any type of Prudence〟ですが、こちらが「どんな種類の「思慮」も」という意味ですね。

一度繋げてみましょう。

〝but—owing to a curious omission—it does not offer us any type of Prudence,〟

→ しかし――奇妙な欠落が原因で――それは私たちに、どんな種類の「思慮」も提供しない。

こんな風になると思いますが、いかがでしょうか。

ウェイトの文脈におけるダッシュ(―)は、これまで私が訳してきた中では、日本語の括弧()に近い使い方なのかなと考えています。

つまり「奇妙な欠落が原因でね(ぼそっ)」という雰囲気になっているのだと考えます。

この「奇妙」が何なのか、今のところはまだよくわかりませんが、はっきり言って「奇妙なのはおまっ…」っと、これは止めておきましょうかね。

正直「まだ「思慮」の話なの?」というのが素直な気持ちで、何故こうも「思慮」について熱くなっているのか、ちょっと不思議です。

確かに、ウェイトが再表現した『四大枢要徳』は、あくまでもタロットを主として設けられた解釈だったと思います。

一方、コート・ド・ジェブランやエリファス・レヴィは、従来の『四大枢要徳』の「思慮」を主にタロットを当てがった、というのがウェイトの主張のようなので、それがよっぽど気に入らなかったのでしょうか。

だとしても、少し過剰な気がします。

それに、ある意味そのような経緯があったからこそ、ウェイトが再表現した『四大枢要徳』には〝占い的な解釈〟ではなく、〝タロットそのものとしての解釈〟というような説得力が加わっているようにも思えます。

一応、ここ〝マルセイユタロットの「正義」の解説〟という名目だったと思うんですが、「正義」の解説は一体何処へ行ったのでしょう。

次は何と語られるのでしょうか、楽しみですね!!

では、最後の一節を見ていきましょう。

後半

最後は〝 though it may be admitted that, in some respects, the isolation of the Hermit, pursuing a solitary path by the light of his own lamp, gives, to those who can receive it, a certain high counsel in respect of the via prudentiæ.〟です。

ここは、また単語等の確認から始めていきます。

though → ~ではあるが、とは言え
admitted → 認められる
in some respects → ある点においては、ある意味では
isolation → 分離、孤立、孤独
pursuing → 追い求める、進む
solitary → 独り、孤独
receive → 受け取る
via prudentiæ → 思慮の道(ラテン語)

※ここでは一般的なものを挙げています。

久しぶりに「~に関して」を意味する〝in respect of〟が出てきましたね。

これまでに「~に関して」という語は七つ出てきていますが、その中でも〝in respect of〟は最も硬い/重い表現になります。

そのことから、ここで語られている内容は、格式あるものとして見せたかった可能性が高いと考えられると思います。

念のため、これまでの「~に関して」をリスト化したものを表示しておきます。

表現意味・ニュアンス使われる場面
about最も一般的な「〜について」。ややカジュアルな印象日常会話
カジュアルなビジネス
concerning「〜に関して」。やや硬く、問題・懸念など深刻な話題にも報道・公的文章
説明文など
regarding「〜に関して」。現代的で自然なフォーマル表現ビジネス文書
公式な連絡・案内
as regards「〜に関して言えば」。やや格式あり、全体の話題導入に使われる書き言葉
論文や哲学的な語り
with reference to「〜に関して言えば」。やや古風で格式があり、構文重視の語りや文語的な導入に使われる書き言葉
古典的な論考・構造的な語り
as to「〜について言えば」。特定の要素に焦点をあてる補足的表現公式文書
説明文中の要素補足
in respect of「〜に関して」。契約・法律文書で使われる最も格式の高い表現契約書
法律関連文書

日本では、「リスペクト(respect)」は「尊敬」という意味で使われていることが多いと思うのですが、これまでのウェイトの文脈では、まだ一度も「尊敬」という意味で使わていたことはなかったと思います。

基本的に、どれも特定の部分を指すような熟語の一部として出てきていたと記憶しています。

特に深い意味はないのですが、「そうなのかなー」と思ったので、お伝えしてみました。

また都度、解説も交えながら進めたいと思います。

では、参りましょう。

まず〝though it may be admitted that〟ですが、こちらは「とは言え、それは~であると認められるかも知れないが」というような意味です。

最近、文脈によっては「とは言え、100%認めているわけではないんだよね…(ぼそっ)」という、ウェイトの心の声のようなものが聞こえてくるようになりました。

恐らく、この一節にもそのような含みがあると思います。

次に〝in some respects〟ですが、こちらは「ある点においては」という意味です。

それから〝the isolation of the Hermit〟とありまして、こちらが「その隠者の孤独」というような意味になると思います。

個人的に、この〝isolation〟は〝lonely〟のような「寂しい」を表す「孤独」だとは思いませんで、どちらかと言うと物理的な「孤立」、あるいは「分断/分離(距離を取る)」といったもののように感じます。

まだはっきりとはわかりませんが、「隠者」ともあるので、そこまで悲観的なものではないような気がしています。

続いて〝pursuing a solitary path by the light of his own lamp〟ですが、こちらが「彼自身のランプの光によって孤独な道を追い求める」というような意味でしょうか。

こちらも一般的には「孤独」と訳されてしまうのですが、やはり個人的には〝isolation〟も〝solitary〟も、世間一般が言う「孤独」とは少し違う気がします。

例えば、一人で楽器を演奏する奏者のことを「ソリスト(soloist / 仏:soliste)」と言ったりしますが、このような人のことを「孤独」とは言いませんよね(語源が同じ〝solo〟なので例に挙げています)。

むしろ私は、一人で舞台に上がったりする人のことを「すごい!!」と思ってしまいます。

一概には言えないかも知れませんが、少なくともここでの文脈においては、「孤独」より「孤高」の方が適していると考えます。

念のために調べてみたのですが、「孤高」を意味する直接的な英単語はないそうなんですね。

もしかすると「孤高」は、日本語独自の素敵な表現だったのかも知れません。

最後は、区切るとわかりづらくなってしまうと思ったので一気にいきます。

〝gives, to those who can receive it, a certain high counsel in respect of the via prudentiæ〟ですが、こちらは「与える、それを受け取ることのできる人々に、〝思慮の道〟に関してのある高い助言を」という意味でしょう。

「英語的には「与える」を最後に持ってくるべき」だそうなのですが、個人的には「だったら途中のカンマ要らなくない?カンマ打って区切ってるのに、どうして後ろの文章とくっつけちゃうの?」という疑問が拭えません。

英語的には不正解かも知れませんが、ここは私の勘を優先しています。

ウェイトが意図したことはわかりませんが、私は、ここはちょっとした言い伝え(あるいは呪文)のような雰囲気を出したかったのかなと考えています。

―― リーテ・ラトバリタ・ウルス アリアロス・バル・ネトリール ――

こちらはご存知、スタジオジブリの名作『天空の城ラピュタ』で使われる「我を助けよ、光よ蘇れ」という意味の呪文なのですが、これも単に「我を助けよ、光を蘇れ」と言うより、「リーテ・ラトバリタ…」と表現されたからこそ、より心に残る呪文となったのだと思うのですよね。

…ちょっと違いますかね(けど、まぁいいか)。

また〝via prudentiæ〟についてですが、こちらは実際に哲学や神学などにおいて「思慮の道」という概念を表す語として使われているそうで、そのためイタリック表記になっているのだと思います。

当時はラテン語で書いた方が〝それっぽく〟見えるという風潮もあったので、そういう理由もあったかも知れません。

いずれにしても、きっとウェイトにとっても大切な言葉だったのだろうなと信じたいです。

では、一度まとめてみましょう。

〝though it may be admitted that, in some respects, the isolation of the Hermit, pursuing a solitary path by the light of his own lamp, gives, to those who can receive it, a certain high counsel in respect of the via prudentiæ.〟

→ とは言え、それは、ある点においては、その隠者の孤立――彼自身のランプの光によって孤高な道を追い求める――が、与える、それを受け取ることのできる人々に、〝思慮の道〟に関してある高い助言を、と認められるかも知れない。

日本語としては破綻気味ですが、直訳としてなら、まずはこれでも差し支えない範囲だと思います。

今回は一文を分割しているので、一度まとめてから全体の解説に進みたいと思います。

では、『まとめ』に入りましょう。

まとめ

改めて、今回扱った文章をご紹介します。

The Tarot has, therefore, its Justice, its Temperance also and its Fortitude, but—owing to a curious omission—it does not offer us any type of Prudence, though it may be admitted that, in some respects, the isolation of the Hermit, pursuing a solitary path by the light of his own lamp, gives, to those who can receive it, a certain high counsel in respect of the via prudentiæ.

Arthur Edward Waite
『The Pictorial Key to the Tarot』より

また、これまでの流れも把握できた方がわかりやすいと思うので、前回の結論もお伝えしておきます。

「正義」のカードは、大アルカナに含まれる四つの枢要徳の一つとして提示するものと考えられているが…生憎、実際はその四つ目の象徴が欠けており、解説者たちは何としてもそれを見つけ出す必要に迫られたのである。
彼らは可能な限りを尽くしたが、〝研究の法則〟においては、「思慮」という名目である以上、ペルセポネを救い出そうとする試みは一度も成功したことはなかった。
コート・ド・ジェブランはこの難題を強引な力業で解決しようとし、「吊るされた男」の象徴から自分が欲するものを抽出できたと信じ込んだが、それは彼自身の思い込みに過ぎなかったのだ。

そして、今回のこれまでの訳です(日本語としては不自然でも、なるべく手を加えず、ほぼ文法通りのダイレクトな訳になります)。

→ タロットは、従って、その「正義」を持ち、その「節制」もまた持っており、そしてその「剛毅」も持っている。

→ しかし――奇妙な欠落が原因で――それは私たちに、どんな種類の「思慮」も提供しない。

→ とは言え、それは、ある点においては、その隠者の孤立――彼自身のランプの光によって孤高な道を追い求める――が、与える、それを受け取ることのできる人々に、〝思慮の道〟に関してある高い助言を、と認められるかも知れない。

続いて、なるべく本文に忠実に、その上で日本語としてもう少しわかりやすく整えた(当サイト比)訳がこちらです。

従ってタロットには、先程の「正義」、そして「節制」、そしてまた「剛毅」も有しているものの、奇妙な欠落により、いかなる「思慮」であっても、それが私たちに差し出されることはない。とは言え、ある点においては、隠者の隔絶――自らのランプを頼りに孤高の道を進む在り方――を受け取ることのできる者たちにとっては、〝思慮の道(via prudentiæ)〟に通ずる高い助言を与える、と認めることはできるかも知れない。

なるべく意訳し過ぎず、出来る限り本文の意味を吸い上げたつもりです。

今回は、単語の持つニュアンスを日本語としてどう反映させるか、迷う一文でした。

ひとまずは、当サイト最終訳としてお納めください。

とは言え、細かな部分で「これってどういうこと?」というような点がいくつかある気がします。

最後に、それらについてお話しさせてもらえばなと思います。

ぜひ、最後までお付き合いください。

解説・考察

まず、今回の一文の全体的な解説について、私なりの解釈をお話しさせてください。

当サイトの最終訳は最終訳として、これまでの §2「正義」全体の訳を終えたことも踏まえつつ、更に噛み砕くという意図で私なりに意訳します。

従ってタロットには、これまで話した「正義」「節制」、そして「剛毅」も含まれるが、どういうわけか「思慮」だけは存在しない。本来なら四つ揃って『四大枢要徳』なのに、何とも不思議(奇妙)な話だよね。
だから、そもそもない「思慮」をどんな形で見繕うと、それが私たちに「思慮」を提示していることにはならないんだ。
とは言え、〝隠者〟として確立される者――すなわち、自らのランプによって導かれる孤高の道を歩む在り方――そういう者たちには〝思慮の道〟に関する適切なアドバイスが与えられる、ということは認めても良いことかも知れないね。

個人的には、このようなことを言っているのだと思いました。

ですが、これまでの §2「正義」の何処かでも触れていたかも知れないのですが、いまいち「一体何の話をしているんだ?」という感覚は否めません。

「正義」の解説はそっちのけに見えますが、ウェイトがここで何を伝えたかったのかについても、考察を挙げたいと思います。

ということで――

・「奇妙な欠落」って何?
・ 一体何の話?
・「隠者の隔絶」という訳について

この三点について、少し掘り下げたいなと思います。

ほぼ全てが私の解釈になりますが、正否については一旦横に置かせてください(ご了承ください)。

「奇妙な欠落」とは

恐らく、今回はこの言葉通りなのかなと思います。

最初は「また何かあるのかも!?」と身構えてしまっていたのですが、そういう時に限って…なんですかね。(笑)

ウェイトはこれまで「従来の『四大枢要徳』は不完全であることが完全=「思慮」が欠けているのが〝当然(普通)〟」というようなことを述べていました(もちろん私の解釈です)。

恐らくなんですが…ここまでウェイトの意図を汲み取ろうとする人はそう多くないと思います(自分を良く言うわけではありませんが)。

なので、本来ここはさっと読み流されてしまうようなところだと思います。ですが、それでも何の問題もないと思います。

ただ個人的には、「奇妙」と言っているのには、先程の意訳でお伝えした「本来なら『四大枢要徳』は四つの徳が揃って成り立つもの、なのに何故それがないんだろうね?」という、やはりちょっとした嫌味のようなものが込められていると感じたので、それでなんとなく引っ掛かってしまったのかも知れません。

これまで §2「正義」の訳を進めてきた際の何処かでも触れましたが、ウェイトにとっては、「思慮」が欠けている従来の『四大枢要徳』は、むしろそれで〝完璧(通常/普通)〟という前提がある、と私は考えています。

であるからこそ、「どうして四つ揃っていないの?なのに、それで『四大枢要徳』だなんて言っちゃうの?おかしいよね?」と、当時の「解説者たち」を遠回しに攻撃しているようにも伺えました。

もちろん、最初からそのように見えていたわけではないのですが、こうして疑問を持ち、そこから考えを張り巡らせている間に、私には、それがこの「奇妙」に集約されているのではないかなと感じました。

当時はもう、その「解説者たち」はこの世に存在していなかったはずですけどね……。

§2「正義」で語られている『四大枢要徳』は、従来のものとウェイトが再表現したものとが入り混じって語られていると思うので、物凄くわかりづらかったと思います。

次の考察では、そちらについても少し触れたいと思います。

「奇妙な欠落」については以上です。

一体何の話をしているのか?(§2「正義」全体の訳掲載)

もう何度もお伝えしていることになりますが、本来§2は〝マルセイユタロットの「正義」の解説〟という名目の場でした。

厳密には『マルセイユタロット』という記述はなく、〝ウェイト=スミスタロット以前のもの〟と解釈していましたが、この件に関しても今思えばですが、わざとはっきり〝何〟とはわからないようにしていたのではないかなと思います。

これまでの経緯も踏まえますと、そのような解説がされないことはもうわかっているのですが、今回はいつも以上に「はて?何の話をしているのかな?」と、何故ここでまた「隠者」や「思慮」を取り上げるのか、正直あまりよくわかりませんでした。

一文毎に集中し過ぎて、直近の訳ですら思い出せなくなることはしょっちゅうあるのですが、ここでこれまで「正義」の訳を一度整理してみたいと思います(長くなります)。

念のため、全部の訳をお見せする前に、今一度マルセイユタロットの「正義」と、ウェイト=スミスタロットの「正義」のカードもご紹介しておきたいと思います。

左:ウェイト=スミスタロット「正義」、右:マルセイユタロットの「正義」
左:ウェイト=スミスタロット
右:マルセイユタロット

そして、こちらがこれまでの訳をまとめたものです(ひとまず最終訳だけにします)。

【Vol.1】
11、正義
タロットが歴史的な古さを帯びていたとしても、太古ほど昔から存在するというわけではなく、もし本当に太古から存在したのであれば、それはもっと古めかしい様式で描けたはずであることが、このカードによって示されている。
この種の事柄において識別の才能を持つ者ならば、年代というものがこの考察の本質では決してないということは言うまでもない――しかし、敢えて例えるなら、フリーメイソンの第三階級における『閉会の儀式』は十八世紀後期のものかも知れないが、その事実には何の意味も持たない――タロットは依然として、制定され、公式に認められたあらゆる秘儀の集大成なのである。

【Vol.2】
11番目のカードの女性像は〝アストレア〟であると言われており、アストレアは「正義」を体現したものであり、同一の象徴らによって表されている。
とは言え、この女神にせよ、あの低俗なキューピッドにせよ、タロットの起源はローマ神話にあるわけでもなければ、ギリシャ神話にあるわけでもない。

【Vol.3】
「正義」のカードは、大アルカナに含まれる四つの枢要徳の一つとして提示するものと考えられているが…生憎、実際はその四つ目の象徴が欠けており、解説者たちは何としてもそれを見つけ出す必要に迫られたのである。
彼らは可能な限りを尽くしたが、〝研究の法則〟においては、「思慮」という名目である以上、ペルセポネを救い出そうとする試みは一度も成功したことはなかった。
コート・ド・ジェブランはこの難題を強引な力業で解決しようとし、「吊るされた男」の象徴から自分が欲するものを抽出できたと信じ込んだが、それは彼自身の思い込みに過ぎなかったのだ。

【Vol.4】
従ってタロットには、先程の「正義」、そして「節制」、そしてまた「剛毅」も有しているものの、奇妙な欠落により、いかなる「思慮」であっても、それが私たちに差し出されることはない。とは言え、ある点においては、隠者の隔絶――自らのランプを頼りに孤高の道を進む在り方――を受け取ることのできる者たちにとっては、〝思慮の道(via prudentiæ)〟に通ずる高い助言を与える、と認めることはできるかも知れない。

長いですね。(汗)

本当なら、毎回このようにしたいと思うのですが、いかんせん一つのカード(解説)が終わると、つい「やったー!次行こ、次!次!」と進めたくなってしまうんですよね。

ということで、この最終訳から更に〝実際にタロットのこととして直接関係ありそうな部分〟を抜き取ってまとめてみたいと思います。

【Vol.1】

  • 従来のマルセイユタロットの「正義」の歴史や描写を語りながらも、ウェイトにとっての『タロットとは』という思想を語っている

【Vol.2】

  • 従来のマルセイユタロットでは「正義」は8番であるにも関わらず、開口一番に「11番」と言い切っている(しかし、だからと言ってウェイト=スミスタロットの「正義」について語っているかは定かではないが、ここはウェイト=スミスタロットの「正義」を指していると考えるのが妥当かなと)
  • 「正義」のカードに描かれた象徴は「アストレアと同じ」と語る(主に剣や天秤のこと)
    ウェイト=スミスタロットの「正義」を指しているとして「〝アストレア〟と言われている」という言い回しは〝まるで以前から皆がそう呼んでいる〟かのような演出にも見えなくもない(しかし、実際にウェイトが知っていたかは別として、この「正義」のアストレア説はヴィスコンティタロットの頃からあったそう)
  • タロットの起源が神話にある説を否定

【Vol.3】

  • 「正義」のカードは『四大枢要徳』に含まれる一つと語る(何がとは言われていないがさすがに「正義」だと…)
  • 「思慮」を見付けられない解説者やコート・ド・ジェブランを批判

【Vol.4】

  • 「思慮」以外はタロットに含まれているけど、「思慮」そのものはないから、どのような形であっても我々に提示されることはないと主張
  • 「隠者」として確立される道を歩むものには「思慮」に通ずる助言が訪れるかも知れないと語る

まとめたつもりではあるのですが、またけっこうな量になってしまいましたね(すみません)。

ですが、いかがでしょう。

「正義」の話だろうと思って読み進めていると「え?何の話?」となっていましたが、いざこうしてまとめてみると、(あっているかは別として)私自身、気付いたことがありました。

…これって結局、またウェイト自身の「隠者」の話に戻そうとしてるのではないでしょうか?

違いますかね。

何と言いますか、曲がりなりにもつい最近、私たちは一生懸命「隠者」の部分で語られた『四大枢要徳』を学んできたと思います。

個人的に、ウェイトの再表現した『四大枢要徳』はお気に入りです。

またその中でも、僭越ながら、私も私なりに思うことがいろいろとありました。

「隠者」を扱っている際にお伝えしたかは覚えていないのですが、ウェイトは§2の「隠者」の解説の際にも、またウェイト=スミスタロットの「隠者」に解説を交えていたと思います。

てっきり私は、既にその時に、『四大枢要徳』の「思慮」をウェイト=スミスタロットの「隠者」に当てはめて語っていたのだと思っていたんですね(この時はまだ〝従来の〟とか〝再表現の〟とかなく漠然とでしたが)。

で、ウェイトはその際、自身の「隠者」のカードに対し「探究ではなく、到達のカード」という説明をしているんですね。(▶▶ こちら

なんとなく、これが今回の一文の内容と似ているかなという気がしたのです。

それと『隠者 Vol.3』で語られていた〝完全さへの助言〟の内容も、やはり今回の一文と似通った部分があるかなと感じます。

〝完全さへの助言〟は「より高みを目指す人のための特別なアドバイス」というような意味で使われていると考えていて、そこからウェイトが再表現した『四大枢要徳』の解説に入るんですね。

自分でも、最初に「一体何の話?」という疑問が浮かんだ時には、まるで想像もしていなかった答えが出てきたので驚いているのですが、恐らく、ここで語られていることと言えば「真の『四大枢要徳』の「思慮」は、ウェイト=スミスタロットの「隠者」になら見られるかも知れないよ」というようなことなのではないでしょうか。

なんとなくですが、圧倒的に「思慮」の話の方が多かったですよね。

なんか私、今回のこの一文はすごい好きだなーと思いました。

「初めて」と言うのは言い過ぎかも知れませんが、ここ、ウェイトも「タロットには『四大枢要徳』の「思慮」はない」と言い切っているんですよね。

そのためなのか、自身のタロット「隠者」にならそれが〝ある〟とも言っていないんですよね。

(今のところ)何かのカードに無理矢理当てはめるわけでもなく、強引にそれらしい説を語るわけでもなく、「ない」と言ったものをちゃんと〝ないもの〟として扱っているのが、なんかいいなぁと思いました。

とは言え、たまには「ちょっとやり過ぎじゃない?」と感じることも全くないわけではないので、ひとまず〝今回は〟ということにしますが。

正直私には、『四大枢要徳』が当時のオカルティストたちにとって、どのくらい重要なものだったかわかりません。

ですが、足りないのであれば補いたくなるのが普通だと思います。

そこをウェイトは「ない」ものとして扱っていて、その上で、自身が思う「思慮」を『四大枢要徳』まとめて再表現して(最早それを『四大枢要徳』と呼んで良いものかはわかりませんがひとまずそれは置いといて…)、その上で「隠者」に設定…と言うと夢がなくなってしまうかも知れませんが、そうして独自の「思慮」を創り上げているんですよね。

個人的にはウェイトの再表現した『四大枢要徳』は本当に良い話だなと思ったので、もしそうだとするなら、ウェイトがあのコート・ド・ジェブランの「思慮」と「吊るされた男」の解説を否定する気持ちも、今ならよくわかる気がします。

確かに、コート・ド・ジェブランの解説には、ちょっと無理矢理に感じられる部分がありましたよ。カードを作る職人が上下を間違えたとかなんとか…。(▶▶ こちら

ということで、全くないということではありませんでしたが、ここでは「正義」について解説するのではなく、やはり自身の再表現した「思慮」改め『四大枢要徳』を推したかったのではないでしょうか。

何故なら、いずれにしても「正義」のカードが『四大枢要徳』の「正義」を担うと言うのであるならば、やはり「思慮」がいなくては成り立たないわけですよね。

そうすると、無理矢理にでも「思慮」の必要性を訴える必要があったのではないかと感じました。

割と思ったままを書いてしまったのですが、何か伝わるものがあったら嬉しいです。

もしかしたらですが、思い返せばこういうことも初めてではなかったかも知れませんね。

では、「一体何の話だったの?」についての考察は以上となります。

あわせて読みたい『四大枢要徳』

『The Pictorial Key to the Tarot(§2 TRUMPS MAJOR)』翻訳・解読【隠者】Vol.8 ~四大枢要徳 まとめ~

§2の「隠者」でウェイトが再表現した『四大枢要徳』を総括。従来の四大枢要徳との違いや、交換の法則に基づく「供給と需要」の意味を徹底追究。現代に落とし込んだ具体例…

「隠者の隔絶」という訳について

最後に、〝the isolation of the Hermit〟を「隠者の隔絶」と訳した経緯について、私なりの解釈をお話しさせてもらえばなと思います。

本当に物凄い細かい点だと思うのですが、気付くとどうしても放っておけないんですね。

そのくらい、私も「隠者」が好きなんですね。つい、わかりたくなってしまうと言いますか…んふふっ。

ということで、既にご存知の方も多いかと思いますが、私は難しい言葉を使うのがあまり好きではありません。

基本的にですが、興味を持った人が興味を失ってしまうほどの言葉選びはしたくないんですね。

もちろん、「どうしても…」という場合はありますが。

ただし「難しい日本語を使いたくないなー」と思う一方で、「でも、難しい日本語ってなんかかっこいいよね」と思う節もあります。

翻訳を行う際、違う英単語の意味を調べているのに、同じ日本語訳が出てくることがよくあります。

今回の〝isolation〟と〝solitary〟も、まさしくその一つでした。

どちらも「孤立」や「孤独」と出てくることが多く(他の意味もあります)、実際にそう訳されることも多い印象でした。

しかし、私は(以前からお伝えしていることになりますが)「違う単語なのに同じ意味なわけがないだろ!」と思ってしまいます。

最近は、「同じ意味を持たせたいなら同じ単語を使うよね?」と考えるようにもなりました。

なので、「孤独」や「孤立」とは出てきても、まずはそこは区別するべきだと考えました。

訳を進める中で、ここでの〝solitary〟は〝寂しさから来る孤独〟ではなく、〝選んだ道の末、孤だった〟という『在り方』を表現しているように感じられ、比較的早い段階で「孤高」という訳がぴったりだと考えていました。

そうすると、単に〝isolation〟を「孤独」や「孤立」とするのも、なんか違うなーと感じていたんですね。

そこで、「孤立」や「孤独」に似た言葉を探しました。

その中で、〝隔たり〟という意味を含み、〝絶つ(断つ)〟という意味もある「隔絶」は、私が思う「隠者」にぴったりだなと感じました。

あくまで私なりの解釈でしかありませんが、ウェイトが理想とする「隠者」って、「孤独」や「孤立」といった感覚はとうに過ぎた存在なのだと思っていました。

「そんなもの、とうの昔に味わい尽くした」みたいなイメージだったんです。

だからと言って、そういったものを感じなくなったという意味ではなく…それらを通過してきた上で、もっと磨きがかかったと言うような――そんな「孤独」や「孤立」だと感じていたのです。

ウェイトが語る「隠者」って、ある種の〝境地〟のようなものだと思うんです。

なんかこう似たような意味でも、程度が違う言葉ってあるじゃないですか。

例えば――

慈愛、敬愛、親愛、博愛、溺愛、恋慕、熱愛

など、これらはいずれも〝愛情〟を表す言葉ではありますが、そこには明確に熱量や温度感の違いがありますよね。

私は、「孤独」を思わせる単語にもこのような段階があると考えていて、その中でも「隔絶」は、(どちらかと言えば)物理的な状態を表す孤独系単語の最上位である気がしました。

「隔絶」自体はあまり耳にする言葉ではないと思いますが、使われている漢字を見れば、おおよそでも伝わってくるものがあると思いましたので〝難しい日本語〟とまではいかないかなとも思い、採用しました。

また「孤高」と訳した〝solitary〟は、(どちらかと言えば)精神状態を表す孤独系の単語として最も高い位置にあるように思い、採用しました。

恐らく普段であれば、直感的に受け、そしてろくに考えず処理されている部分を言葉にしているので、かなり感覚的な部分も多かったと思いますが、以上が「隠者の隔絶」という訳にした、私なりの経緯になります(ご清聴ありがとうございました)。

今回は以上です。

ひとまず§2としての「正義」は終えたわけなのですが、どうもしっくり来ませんね。(笑)

次からは「吊るされた男」になりますが、最早カードの名前をタイトルに取り入れる意味がない気がしています。(涙)

とは言え、個人的には「吊るされた男」大好きですので、楽しみではあります。

ちょっとゆっくりの更新になりますが、ご容赦くださいね。

それでは、最後まで見てくださりありがとうございます。

また次回、お会いしましょう。

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